北京オリンピックが始まった。オリンピックはスポーツの祭典と言われるように、地球規模で行われる大運動会であり、世界中を巻き込む大きな祭りだ。スポーツ選手にとっては国の誇りと自身の名誉をかけた一世一代の勝負の場であり、その選手たちを送り出すそれぞれの国の人々にとっても、心を芯から熱くするような大イベントだ。誰でも自国の選手を応援したい。そして他国の選手ならばやはり同じ地域の、自分たちに近い境遇の選手を応援したくなるのが人情というものだ。ぼくも当然、日本選手を応援するし、彼ら全員が少しでもいい結果で終われるよう願いたい。そして、勝っても負けても4年前のアテネ大会の時のようにたくさんの感動を味わいたいと思っている。
ぼくは物心ついたころからスポーツが大好きだった。もちろんぼくに限った話ではないだろう。子供は体を動かすことが大好きだ。ただ、ぼくの “スポーツ好き”
には自分の体を動かすということだけではなく、他人がスポーツをするのを見るということも含まれている。1961年生まれの僕には、3歳のときに行われた1964年東京オリンピックの記憶はほとんどない。かすかに覚えているような気もするが、それは後年に見た映像の影響としか考えられない。ぼくの中にある最も古いオリンピック関連の記憶はメキシコオリンピックへの出場権をかけて1968年に行われたマラソンの国内最終選考レースだ。ぼくは父の影響でマラソンを見るのが好きだった。当時は宇佐見彰朗選手と君原健二選手が強かった。宇佐見選手は白いキャップがトレードマークで、後半になるとキャップのつばを後ろに向けて走っていた。君原選手は疲れてくると呼吸の度に首を左に振って走った。その姿は、子供の目から見ても本当に苦しそうだった。この一レースを見ただけでもマラソンの過酷さが十分伝わってきた。宇佐見選手が1位、君原選手が3位に入り、共にメキシコ大会の代表選手の座を確実にしたのを白黒テレビの映像と共にはっきりと覚えている。
1968年のメキシコ大会で日本は金11、銀7、銅7、合計25個のメダルを獲得した。当時ぼくは7歳、いくつかの場面が印象に残っている。最も印象的だったのはウエイトリフティング・フェザー級で三宅兄弟が金メダルと銅メダルを獲得した場面だ。本当にかっこよかった。表彰台に立つふたりの誇らしげな顔が瞼(まぶた)に焼きついている。日本中が熱狂し、子供たちは重量挙げのまねをして遊んだ。表彰式でふたつの日の丸が揚がったことは、それほどまでに印象深い出来事だった。他には、君原選手が銀メダルを獲ったマラソンと圧倒的な強さを誇った男子体操が記憶に残っている。不思議なことに釜本選手、杉山選手を擁する日本イレブンの銅メダルやバレーボールの男女銀メダルを含め、その他の競技の記憶は定かではない。余談だが、このメキシコ大会で横綱白鵬のお父さんがモンゴルに銀メダルをもたらした。レスリング重量級でのことだ。この1968年にはグルノーブルで冬季オリンピックも開かれているが何ひとつ覚えていない。(※1992年まで夏季オリンピックと冬季オリンピックは同じ年に行われていた。)冬季オリンピックに興味を持つのは1972年の札幌大会からだ。メキシコオリンピックの時、ぼくはまだ7歳だったが、誰に教わった訳でもなく自然に日本人選手を応援していた。日本人なのだから当然といえば当然なのだが、これっぽっちの疑いもなく当然だと言いきれてしまうところに特別な何かがある。人は言葉を覚えるのと同じように愛国心を芽生えさせていくのだろうか。
1972年の夏季ミュンヘン大会、冬季札幌大会からは自国の選手を応援する歓びに酔い、スポーツの醍醐味を味わい続けてきた。自国の選手の活躍だけではなく、突出した力を持つスーパーアスリートたちの姿を尊敬と憧れの目で見つめてきた。人間が限界に挑む姿は見る者の心を震わせる。“血が騒ぐ”
という言葉がある。この言葉は本来 「興奮してじっとしていられない」 とか 「心が躍る」 のように心の状態を意味する。だが、オリンピックを前にすると、これらの意味とはまた別の、まさに字面(じづら)通りの意味での
“血” が “騒ぐ” ような感覚におそわれることがある。この感覚は頭や心からではなく、まぎれもなく血から湧き上がってくるもので、どんなに強い意志をもってしても抑えられないような底知れぬ力が体の底でうごめき始める。ぼくたち人間はオリンピックやサッカーのワールドカップ、野球のWBC(ワールド・ベースポール・クラシック)のように、国の威信をかけた勝負を前にすると冷静ではいられなくなる。このような状態をもたらすのは普段は自覚することのない無意識の働きに他ならないのではないだろうか。
心理学者カール・グスタフ・ユングは 「無意識には個人の心を超えた民族や文化、あるいは人類全体の歴史に関係するような情報や構造が含まれている領域がある」
と言っている。ユングやフロイト等の心理学は難しそうだが読んでみるとおもしろい。ユングが心の層を図にしたものがある。10数年前にノートに書き写しておいたものだ。その図を簡単に説明してみようと思う。
人の心、すなわち意識は三層構造になっている。上の層から順番に 「意識」 「前意識(半意識)」 「無意識」 である。「無意識」 は更に 「先天的無意識」
「後天的無意識」 というふたつの層に大別される。深い方の層が 「先天的無意識」 で、この中には 「生物的無意識」 と 「人類的無意識」 がある。その上層の
「後天的無意識」 は四つの層から成っており、下から 「民族的無意識」 「時代的無意識」 「家族的無意識」 「個人的無意識」 とある。「生物」→「人類」→「民族」→「時代」→「家族」→「個人」。なるほどと納得せずにはいられない。この図から考えると、国を挙げて戦う時には
「民族的無意識」 が知らぬところで働いて、普段とは違った心の状況を作り出してしまう、ということになる。更に 「民族的無意識」 には民族に伝わる
「神話」 も大きく影響、作用しているというから、それぞれの国の人々は心のどこか奥深いところで、選手の姿と古代の神々や伝説の英雄の姿を重ね合わせているのかもしれない。
話がだいぶ大袈裟になってしまった。この無意識の話だけで、ぼくが感じていた 『オリンピックが近付くと共にやってくるあの不思議な興奮はいったい何なんだろう』
という漠然とした疑問が解決したとは思えないが、オリンピック等の国際大会を前にしたときの言い知れぬ高揚感は、単なる 「愛国心」 からだけではなく、心理学でいう
「民族的無意識」 の働きにもよるのではないか、という考え方は方向としては間違っていないのではないだろうか。
野球とソフトボールは北京大会をもってオリンピックの競技種目から外されることとなった。試合時間が長すぎる、野球をしている国が少ないとの理由からだが、近い将来、復活することも考えられる。1900年のパリ大会から1920年のアントワープ大会までは
“綱引き” もオリンピックの正式種目だった。今、もし綱引きがオリンピック種目だったらどんなに楽しいだろう。想像するだけでもわくわくしてくる。2002年に国際綱引連盟(何ともかっこいい連盟ではないか!)が国際オリンピック委員会(IOC)に正式加盟しているから、オリンピック種目としての復活は決して夢でなない。そうなれば、綱引き日本代表選手が立派なアスリートとしてNIKEやADIDASのコマーシャルに出演するかもしれないし、水泳の北島選手や柔道の谷選手らと雑誌で対談したり、特集を組まれたりするかもしれないのだ。
オリンピックは世界を舞台にした祭りだ。ぼくが生まれた町にも祭りがある。子供の頃のある日、勇んで祭りに出かけようとしたぼくにおじいちゃんが言った。「祭りは楽しいぞ。みんなで祭りを楽しむことは大切なことだ。でもな、祭りの成功には協力が必要だぞ。祭りに来たくても来られない人たちの気持ちも忘れるな。」
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