オリンピックの熱戦は続く。毎日毎日が見所満載だからテレビの前に座ってじっくりとスポーツの醍醐味を味わい尽くしたいところだが、そういう訳にもいかない。ミュージシャンもなんだかんだと結構忙しいのだ。それでも携帯電話に送られてくる速報や夜のニュース、深夜の再放送、新聞などを見ては一喜一憂し、“真”のドラマを堪能している。女子柔道48kg級、谷亮子選手のまさかの銅メダルから始まって、水泳北島康介選手の2大会連続2冠!あきらかな実力差がありながらも最後まで向かっていった男女バレーボール、男子サッカー、女子ホッケー、バドミントン、男女卓球…!女子マラソンの悲劇!水泳マイケル・フェルプス選手の8冠!癌の告知を受けながらもオリンピックに向かった水泳平泳ぎ200mのエリク・シャントー選手!枚挙にいとまがない。印象に残っている場面をもう少し挙げると、水泳平泳ぎ100mで世界新記録を出して金メダルを獲った瞬間の北島康介選手やレスリング・フリースタイル60kg級で銅メダルを掴み取った湯元健一選手の雄叫び!女子卓球、平野早矢香選手のサーブ前の眼(がん)付け!(いや、にらみ付けですね。)
北京オリンピックは24日閉幕する。心洗われる日々がもう少し続く。
すべての競技に感動がある。いや、感動などという言葉ではまったく言い足りない。ぼくたちはなによりもまず、結果を求めてしまうが、選手それぞれが背負った想いの深さは決してメダルや順位だけでは物語れない。勝負師としての顔つき、全身から立ち昇る気、そして彼らの口からこぼれる言葉からその想いが伝わってくる。だからこそ、ぼくたちの心は打ち震えるのだ。見ているこちら側にも、どんなことでも受け止めるぞ、という何かしら覚悟のようなものが必要だが、そんな心構えで観ていてもハッとさせられることがたくさんあった。
4年前のアテネ大会代表選考レースで有力視されながら惨敗してプールサイドで涙した競泳の伊藤華英選手は北京オリンピックの切符を手にした時、「また同じことを繰り返したら死のうと思っていた」
と語った。23歳の女性の言葉だとは信じ難いが、彼女には本当にそう思ったのだろうと感じられるほどの 『必死』 さが窺えた。伊藤選手は今年4月に行われた北京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の100m背泳ぎで日本新記録を出して優勝した。このレースで2位に入ったのが前回のアテネ大会で銅メダルをを獲得した中村礼子選手だ。中村選手は北京大会でも銅メダルを獲り、伊藤選手は準決勝で敗れた。
※必死…死を覚悟して立ち向かうこと。全力を尽くすさま。
柔道女子78kg超級で銀メダルを獲った塚田真希選手の決勝戦での戦いはまさに 『死に物狂い』 だった。ポイントでリードしているにもかかわらず、なりふり構わずに前に出る姿は観る者の心を打った。確かに
『全身全霊』 をかけて立ち向かっていた。残り8秒で優勝候補の中国選手に逆転の1本を決められ彼女は敗れた。歓喜する中国選手の脇で精も魂も尽き果てた様子で放心する姿は痛々しくて見ていられないほどだった。勝たせてあげたかった。試合後のインタビューでは
「何も言えません」 と汗と涙で顔をくしゃくしゃにしていたが、表彰式では何とも見事な笑顔に変わっていた。なんと清々しいことか。その晴れやかさにぼくは一瞬びっくりしたが、心の中いっぱいに安堵の気持ちが広がった。レスリング女子48kg級銀メダルの伊調千春選手や同72kg級銅メダルの浜口京子選手も敗れはしたが、表彰台での笑顔は美しかった。力を出し尽くした人だけが得られる本物の笑顔だった。浜口選手の表彰式でNHKアナウンサーが
「素晴らしい笑顔、まさに日本の太陽です」 と言った。この一言で浜口選手の銅メダルはますます輝いた。ふと4年前のアテネ大会でのある場面を思い出した。体操男子団体決勝、エースの冨田選手が鉄棒演技のフィニッシュにかかる時だった。「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」
NHKアナウンサーの感情を抑えながらも絞り出した見事な言葉だった。
※死に物狂い…死んでもかまわないという気持ちで懸命に物事にあたること。
※全身全霊…身も心もすべて。
「必死に…」 「死に物狂いで…」 「全身全霊を込めて…」 これらの言葉は日常生活でも時々使われるが、本当の意味で使われることは滅多にない。本当に必死で戦っている選手の姿を見ると安易に使うべきではないと教えられる。死力を尽くして戦った選手たちに心からの賛辞を贈らずにはいられない。
今大会の表彰式では、19日の時点で8度、君が代が流れた。ぼくは君が代のメロディーが大好きだ。明治13年(1880年)宮内省雅楽課の奧好義が紡いだ旋律を雅楽奏者、林廣守が曲に起こした。落ち着いたテンポ、日本人の琴線に触れるメロディー。そこには日本の原風景が、そして歴史が凝縮されているように思う。シンプルで短い曲だが、余韻を含めて完璧だと思う。アレンジはドイツ人音楽家フランツ・エッケルトによるものだ。盛り上がる部分のシンバルの使い方や、後半にやってくる主メロディーとベースラインのユニゾン等がたまらなくかっこいいのだ。歌詞は平安時代に作られた和歌が基になっている。歌詞には何通りかの解釈があり、戦争に関連して考えられることもあるから簡単には語れない部分もあるが、ぼく個人としては歌詞も素直に受け入れられる。明治36年(1903年)にドイツで行われた
「世界国家コンクール」 で 『君が代』 は一等を受賞した。
本当に残念なことがあった。オリンピック開会式当日にロシアとグルジアが戦火を交えた。古代オリンピックの時代でさえ、オリンピックの期間中は参加のための移動期間も含めて3ヶ月は停戦したというのになんということだ。だが、ふたりのスポーツマンの行為に世界は救いを見た。ロシアがグルジア南オセチア自治州へ軍事介入し世界を震撼させた数日後、射撃女子エアピストルでロシアのナタリア・パデリナ選手が銀メダルを、グルジアのニーノ・サルクワゼ選手が銅メダルを獲得した。ふたりは肩を抱き合い、涙のキスを交わした。戦火は燃え広がらずに済んだようだが、ロシア軍はまだ撤退しておらず緊迫した状況が続いている。戦いはグラウンドやマットの上だけで十分だ。現代の武器は恐ろしいほど高性能だ。一瞬にして世界を灰にしてしまう力がある。政治家にそんなことが分からない訳がない。大概(たいがい)にしてほしい。
「戦(いくさ)」 という字の訓読みには 「戦(たたか)う」 の他に、もうひとつの読み方がある。目標に向かい、苦しみに耐え、戦いきったすべての選手の姿に、風に戦(そよ)ぐ旗が重なって見えた。
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