匝瑳高校での学園祭が終わると、中一日で待っていたのは修学旅行だった。次々と現れ来る行事のオンパレードに今だったら目を回してしまいそうだ。しかも、この中一日の9月16日(土)も、信濃町に出かけ、帰りがけに千葉MOTHERSに寄りテツロウと会っている。まったく疲れというものを知らない。修学旅行の準備はどうなっていたのだろうかと考えてしまうが、高校生ならばワイシャツや下着の替えを持って行くぐらいで十分だったのだろう。修学旅行は四泊五日。京都、奈良を巡る旅だった。総武本線で東京駅に行き、新幹線で京都に向かった。ぼくは東京へ向かう列車の中でも新幹線の中でも、そして京都到着後のバスの中でもずっと寝ていた。

  修学旅行は遊びではない。名目上は授業の延長だからスケジュールは綿密に決められている。昼間の団体行動は面倒くさそうだったが、京都や奈良で訪れた重要な史跡や名所は関東の田舎高校生にとっても十分に魅力的で、落ち着いた街の景観や歴史の奥深さを物語る個性的な建物に心奪われた。この旅で比叡山延暦寺、唐招提寺、薬師寺、金閣寺、龍安寺、清水寺、三十三間堂等を訪れた。古都には何やら目に見えない磁力のようなものが満ちていた。繰り返されてきた創造と破壊を、人々の紆余曲折を見つめ続けてきた土地ならではの空気なのだろうか。何することなくただ歩くだけで、数百年の空気に触れることができる場所というのは貴重だ。この時からぼくは旅することが好きになった。

  旅は魅力にあふれている。旅をしたいというのは誰もが持つ願望のひとつだと思うが、そう簡単に出かけられるものではない。家族や友達とスケジュールを合わせるのは大変だろうし、仕事によっては家を離れるのが難しい場合もある。金銭面の問題もある。「いつかは…」 「そのうちに…」 と思いながらなかなか実現できないのが旅なのだ。ミュージシャンにとって、コンサートツアーやライブツアーは仕事のひとつだ。言うまでもなくツアーとは旅のこと。幸運なことに、ぼくは “旅をする仕事” に就くことができた。今、なんとなく計算してみたのだが、自分でもびっくりしてしまった。四半世紀を超えている!なんと21歳から26年間もの間、毎年のように好きな音楽と共に旅をしてきているのだ。

  それでも、世界はもちろんのこと、日本国内でも足を運んだことのない場所がたくさんある。何度か訪れてはいるものの、じっくりと散策したことのない場所も数知れない。たとえ同じ場所であっても季節によって、時間によって、また、天気によっても表情は違う。そう考えると旅には限(きり)がない。旅とは “無限に相対する行為” だと言ったら言い過ぎだろうか。


  21歳でバンドデビューしてから数年後、バンドは呆気(あっけ)なく解散してしまったが、ぼくを含めたそのうちの3人は新たなバンドを結成し、すぐに活動を始めていた。デモテープを作り、レコード会社に送ったのがきっかけで、ぼくたち3人はあるアーティストのバックバンドに参加することになった。いきなりテレビで演奏する日々が始まり、コンサートツアーで日本各地を旅して回るようになったのだ。当初は仕事のことしか考えられず、観光しようなんて余裕はまったくなかった。ツアー前はリハーサルに明け暮れ、いざツアーが始まると移動してはコンサート、また移動してはコンサートの繰り返し。80年代の売れっ子アーティストのコンサートツアーは国内約50ヵ所を回る大規模なものだった。サポートミュージシャンに成りたてのぼくたちはスケジュールをこなすだけで精一杯だった。他のあらゆる仕事と同様にプロとしての生活リズムを掴むのに数年はかかった。

  ミュージシャンにとって、コンサート後の楽しみといえば一般的にはやはり酒だろう。打ち上げと称しては夜な夜な街に繰り出し酒を飲み交わすのだ。確かに酒に強いミュージシャンは多い。底なしとはよく言ったもので朝まで飲んでもケロッとしている豪傑がたくさんいた。日本列島は美味いものの宝庫だ。どこに行っても名物や名産品があり、ぼくたち新人ミュージシャンは経験豊かな先輩ミュージシャンに連れられてあの店この店へと渡り歩いたものだ。ぼくは酒に弱く、飲み屋の雰囲気にどうしても馴染めなかったのだが、誘われるままに付いて回っていた。

  そのうち、仕事にも慣れ少しずつ余裕が出てくると、バンドのメンバーは終演後、それぞれがそれぞれの時間を思い思いに過ごすようになる。とは言っても、一杯飲みたい人たちは当然のように連れ立って出かけるのだが、ぼくは誘われても断ることが多くなった。コンサート後にひとりになるのを好むようになったのだ。ひとりでホテルの近くをうろつき、美味そうな定食屋、あるいは饂飩屋、蕎麦屋、ラーメン屋等を探して簡単に食事を済ませ、ホテルで本を読んだり考え事をしたりしてボーっと過ごすのが楽しみのひとつになった。この行為は言い換えると付き合いが悪いということにもなる。このころから数年間は 「今日も行かないの?」 とか 「たまには付き合えよ」 とか言われながらも、我(われ)を通して自分の世界に入り込んでいた。たかが飲み会の話なのだがどちらが良かったのかなんて、簡単に答えを出すことはできない。ただ、ぼくがとった行動はプラスにもなったしマイナスにもなったということは断言できる。世の中、プラスの中に見え隠れするマイナスが起爆剤になることもあるし、マイナスの奥底に眠るプラスが新たな結果を生むこともある。「100パーセント確実!」 と確信を持って言い切れる問題なんて殊のほか少ないのだ。人の心は1から100の間を行ったり来たりする。心とは変化するもので、その変化こそが文化や芸術を生み出してきたと言ってもいい。今でこそ、飲み会は気心の知れた仲間たちと過ごすかけがえのない時間となった。


  修学旅行の話に戻ろう。友達たちと過ごす夜は本当に楽しかった。ある晩は、ぼくたちの部屋がディスコになった。誰かが持ってきたラジカセからはサタデーナイトフィーバーが流れ出し、ぼくは覚えたてのステップを披露した。みんなぼくを真似て踊った。引っ込み思案の友達もまじめな女子も汗を流して踊っていた。門限に遅れて2時間ほど正座させられた日もあった。朝方まで友達と話し込んだ晩もあった。17歳の四泊五日の旅は秋の訪れと同時に終わりを告げた。


  旅の話を書いていたら無性に出かけたくなってきた。どこに行こうか。鎌倉、小田原、足利、水戸、佐原等が思い浮かぶ。もし、時間が作れなかったら、神社や寺を巡りながら近所を歩いてもいい。隣の町にも、またその隣の町にも、まだ知らない心和(なご)む場所が待っているに違いないのだ。 (つづく)

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