今編で九十九編目のエッセイとなった。いやあ、よくここまで続いたものだなあ、と他人事のように感心してしまう。あと一編で百の大台だなんて本当に信じられない。百編なんて先の先だと思っていた。この数字、ぼくの頭の中ではまったくかけ離れたところにあった。二十編辺りで苦心していたのがつい先日のように思われてならない。だから、今、実際に九十九編目を書いていても、まだ実感というものが湧かずにいる。「気付くと九十九」
「いつの間にか九十九」 「あっという間に九十九」 というのが正直な心境だ。目次を見て初めて 『確かに書いてきたんだな』 と実感するのだが、それでも目次を閉じてしまうと百編近くも書いてきたなんてすぐに信じられなくなってしまう。さて、この九十九、数字自体がおもしろい。今回は百編目前!一歩手前の九十九編を記念して九十九にちなんだ話。
「九十九」 は 「きゅうじゅうきゅう」 「きゅうじゅうく」 と読むのが一般的だ。「くじゅうく」 「くじゅうきゅう」 と読む人もいる。古くは
「ここのそじあまりここのつ」 と読んだ。万葉の人々はなんと風情(ふぜい)のある読み方をしていたのだろう。九十(ここのそじ)と余りが九(ここのつ)という意味だが、いかにものんびりとしている。現代でも三十を
「みそじ」 と読むから、十を 「そじ」 とよむ伝統は今後もなくなることはないだろう。もうひとつのおもしろい読み方に 「つくも」 がある。九十九の次は言わずと知れた百だ。「百」
という字は百子とか百恵のように 「もも」 とも読む。九十九の次の数字が “もも” だから “次百(つぐもも)” それが転じて、“つくも” になったというのだから洒落ている。「百」
の文字から 「一」 を引くと 「白」 だから九十九歳のお祝いのことを白寿というのに似ている。我々の祖先はなんて遊び心のある人たちだったのだろう。この洒落っ気は日本の文化に大きな貢献をしてきた。人類の宝のひとつとも言うべき漢字から、平仮名や片仮名を創りあげてしまったセンスひとつとっても、賞嘆のまなざしで眺めずにはいられない。称賛、絶賛、熱賛、礼賛、激賞、歎賞…もっともっと誉めてもいい、称えてもいい。この、ちょっとした遊び心が、心の余裕が、真の豊かさの原点なのだから、我々みんなが少しずつでもそれを受け継いで、次の世代へと繋げられるような社会でなければならない。未来に向けての大きなテーマのひとつが
“こころ” であることに疑いはない。
ぼくは九十九里平野のほぼ中央の町で生まれ育った。九十九里海岸に面した町だ。九十九里平野は旭市飯岡の刑部岬からいすみ市の太東崎までの南北約60キロ、東西約10キロに渡る海岸平野で、海岸線に沿って細長い長方形をしている。九十九里海岸は日本の白砂青松百選と日本の渚百選に選定されている美しい海岸だ。見渡す限り海というのは格別だが、ぼくは海とはこういうものだと当たり前のように思っていた。この風景がここでしか見られない特別なものだと分かったのは大人になってからだ。南からの黒潮と北からの親潮(千島海流)が沖合でぶつかるせいで、近海では何種類もの魚が泳いでいる。漁獲量も豊富だ。魚繋がりでもうひとつ。平野の中央を流れる栗山川はサケが回帰する南限の川と言われている。ぼくの実家は栗山川まで50歩ほどのところにある。散歩のコースからは外せない。川岸には『密漁禁止』等の看板が立てかけられているが、ぼくはまだ栗山川で泳ぐサケを見たことはない。日本は海に囲まれた島国だから他にも美しい海岸はいくらでもあって、当然それぞれに特徴があるからこれでは単なるお国自慢になってしまうかもしれないが、それはそれで大切なことだと思う。誇りを持つことは大事だ。そして、誇りを持つ他者を尊敬することも大事だ。“誇りと尊敬”
これも未来へのテーマのひとつだと思う。
現在平野になっている部分も中世に海外線が後退するまでは 「玉の浦」 と呼ばれる海だった。その玉の浦が後に九十九里と呼ばれるようになるのだが、この命名はこの地に伝わる頼朝伝説に由来する。外洋に面した長い砂浜を見て驚いた源頼朝が距離を測るよう命じたため6町を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から九十九里浜と呼ばれるようになったと言われている。頼朝はこの時、49本目の矢を差した海岸線のほぼ中央にあたる蓮沼に祠を建てて矢を奉納したという。この説を裏付けるかのように山武市蓮沼には箭挿(やさし)神社がある。知らなかったがこの故事に因んで九十九里海岸には矢指浦との別称があるそうだ。“里”は元々は古代中国の周代における長さの単位であり、日本でも律令の時代からこの単位が使われるようになった。行政区画の単位のひとつでもあり律令制では50戸を1里として里長を置いていた。時代によって違いはあったものの、現在の日本では1里は3.927キロメートル、約4キロだ。ぼくにはさっぱり分からないが、1里は36町を表し、1町が360尺を表すそうだ。ちなみに1尺は33分の10メートルだから30.3センチとなる。中国では1里が500メートルだから、距離にすると8倍もの差があることになる。中国の歴史小説、特に軍記物を読むときには注意しなければならない。
十一編から九十九編まではアラビア数字(1.2.3.…)で表すと2桁だった。次編からは3桁となる。百から九百九十九編まで(100〜999)が3桁で桁数が減ることはない。だが、漢数字で表すとニュアンスがまったく違ってくる。百や千は一から十までと同じく1文字だ。二十編以降は37(三十七)や89(八十九)のように3文字が続くが、50(五十)や90(九十)のように2文字も10編ごとに訪れる。エッセイを書くときには、毎回必ず「○○の葉」と漢数字を書くところから始めるのだが、10編ごとの2桁の文字を見ると、何気ないことのようだが、そこには変化があって道しるべのような役割を果たしてくれているのがわかる。これから約3年は百一、百二…百十一、百二十…百二十一、百二十二…と2桁、3桁、4桁が続き、二百を超えると二百二十二等5桁の文字が主となる。千編書くには単純計算で、このまま書き続けてあと25年かかる。25年後、ぼくは72歳になっている。平均寿命を考えると問題はないし、75歳の父を見ているとまだまだ元気だから健康にさえ気をつければなんとかと思うのだが、千という数字はあくまでも言葉の文(あや)だ。こうなったら、それ以上を目標にしてもいいかなと思う。余談だが、ローマ数字も漢数字同様一筋縄ではいかない。I、V、X、L、C、D、M
はそれぞれ1、5、10、50、100、500、1000を表し4はIV、5はV、6はVIと書く。ローマ数字だけにさすがにロマンがある。99はXCIXだ。
99にちなんだ言葉は他にもたくさんある。佐世保市から平戸市にかけての島々の総称である九十九島(くじゅうくしま)、島原市沖に浮かぶ島々の総称九十九島(つくもじま)、掛け算の九九、老女の白髪
「九十九髪(つくもがみ)」、妖怪 「九十九神(つくもがみ)」、幾重にも曲がりくねった坂道 「九十九折(つづらおれ)」、メジャーリーグ、フィラデルフィア・フィリーズの田口壮選手の背番号
「99」、1979年に発表されたTOTOのアルバム 「ハイドラ」 に収められた名曲 「99」、99円ショップ、お笑いの 「ナインティナイン」…。
ちょっと前に、毎月30日に発表している 「楽器の話」 の新タイトルを決めた。「楽器の話」 第1話が掲載されたのが2007年3月だから連載は1年半になる。番外編を合わせると21編書いてきた。その番外編の中でタイトルの変更について触れた(※八十の葉参照)。生まれてから高校を卒業するまでの18年間を過ごした愛すべき九十九里に敬意を表して、次編から
「楽器の話」 は 「九十九(つくも)ボーイ」 としたい。これ以上相応(ふさわ)しいタイトルはないように思う。ただ、九十九編での発表というのは少々でき過ぎだったかもしれない。
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