<十の葉>
冬季五輪


 『いよいよ始まる雪と氷の祭典!美しきアスリートたちが白銀の世界で熱い戦いを繰り広げる!…』派手な決まり文句が新聞や雑誌の紙面を飾っている。そう、まさに今、第20回冬季オリンピックがイタリア・トリノで開催されようとしている。夏のオリンピックに比べると“世界的な盛り上がり”の面では見劣りするがそれはしょうがない。雪の降らない国の人々には馴染みのないスポーツばかりだからだ。走る(歩く、泳ぐ)スピードや跳躍の距離、物をどこまで飛ばせるか、持ち上げられるかを競う競技(その他、球技や格闘技等も)ならどんな国ででも行われているが、それらのほとんどは夏のオリンピックの種目である。冬のオリンピックでは選手がスキー(ボードを含む)かスケートを履く。履かないのはボブスレー、スケルトン、リュージュのソリ競技と最近五輪種目になったカーリングだけだ。幸いなことに日本はウインタースポーツの圏内にギリギリ入っている。楽しまなきゃ損だ。僕の冬季オリンピックにおける最初の記憶は1972年に行われた第11回札幌大会だ。それから2002年の第19回ソルトレイクシティー大会までの9つのオリンピックで、特に印象に残っている出来事をいくつか挙げてみたい。

 まずは札幌(アジア初の冬季オリンピック開催地。史上最も南の都市でもあった。)での奇跡、当時見た人ならば誰もが記憶に新しい“日の丸飛行隊”の快挙だ。70メートル級ジャンプで笠屋、金野、青地の3選手が、金、銀、銅を独占した。これこそまさに“天晴れ”、日本中が狂気乱舞した。

 次は92年の第16回アルベールビル(フランス)大会。日本は大躍進、7つのメダルを獲得した。フィギュアスケートで伊藤みどりが銀メダル。第15回カルガリー大会では素晴らしいジャンプを何度も決めながら5位入賞に留まった彼女はその後の4年間の実績から金メダル確実と言われていた。競技が終わって開口一番『銀ではダメでしょうか…』と呟いた。彼女が受けていた金メダルへのプレッシャーの大きさに唖然とした、と同時にそのプレッシャーの中よくも屈せずに銀メダルを手にしたものだと心の中で喝采した。現参議院議員の橋本聖子もスピードスケート1500mで銅メダルを取った。期待されていた500mと1000mでは振るわず専門外の1500mでのメダル、これも奇跡的だった。スケートの神様の贈り物としか思えなかった。そしてノルディック複合団体(萩原健司、河野孝典、阿部雅司)で金メダル。ここから萩原健司の黄金時代が始まる。萩原健司はその後もあらゆる大会で勝ち続けた。強すぎる彼を”勝たせないために”何度もルールが変更された。どうしようもないルールを押し付けられても彼は耐えて戦った。そして負けが込むようになっても新しいルールに挑戦し胸を張って出場し続けた彼は、金メダルを取った時よりもかっこよかった。マスコミは勝てなくなった彼に見向きもしなくなったが引き際も男らしかった。これからも応援していきたい。

 もうひとつは長野で行われた18回大会。この大会ではスピードスケートの清水宏保、岡崎朋美、そして原田雅彦らのジャンプ陣、更にモーグル・里谷多英、ショートトラック・西谷岳文、植松仁とメダルラッシュに沸いた。もう8年も前の話になってしまったがここに挙げた選手の中で今回のトリノ大会に出場する選手が何人もいる。スポーツ選手にとって8年は長い。心から健闘を祈りたい。

 ここまで書いてきてふと気付いたがどうしてもメダルの話が中心になってしまう。3位と4位ではこれほどまでに違うのだ。勝負の世界は本当に厳しい。今大会でも日本選手団には有力な選手がたくさんいるし、有力であればあるほどメダル獲得を期待される。選手たちには申し訳ないけれど我々はどうしてもメダルを熱望してしまう。本当は出場するだけでも大変なことなのに…。

 国の威信がかかってしまうからなのか。ナショナリズム(この言葉は難しい。単に民族的な共有、共感を表す場合には“愛国心”よりは使いやすいかな。でも右よりの匂いのすべては払拭できない)が疼くからか。無条件で湧きあがるこの感情は本当に不思議だ。時として不可解な行動をも引き起こす。サッカーがいい例で、ワールドカップ予選の勝敗が元で戦争に発展したり、ミスした選手が射殺されたり、という事実がいくつもある。人間には他の動物と同様に“争う”ということが本能としてインプットされている。元々生きていくためには戦わねばならなかった。力を誇示しなければならなかった。家族は他の家族と争い吸収して群れとなり、群れは他の群れと戦い取り込んで集団となった。その集団がまた違う集団を併合してより大きな集団となり、同じ場所で生活し長い年月をかけて民族となった。その時間は途方もないもので、その結果として誰もが“自分の血”や“民族としての誇り”を尊ぶ気持ちを持つようになることは当たり前のように思える。それはそれでいいと思う。でも、もし、そこにもうひとつの感情を持てたら…。自分たちを誇る気持ちと同じぐらい他人を、他の民族を尊重できたとしたら…。スポーツや芸術にこそその力がある。そう信じて日本人選手を応援したい。メダルを取るに越したことはないが勝っても負けても“誇りと尊敬は常にひとつ”と心がけて臨みたい。

 オリンピックのシンボル“五つの輪”は5つの大陸を表している。大陸同士が肩を組んでいるようにも、手を繋いでいるようにも見える。
 

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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