<百十八の葉>
春のつぶやき

 春真っ盛りだ!うららかな光が見るものすべてを優しく包み、若々しい風が縦横無尽に闊歩している。花は今ぞとばかりに咲き誇り、樹々はつややかな葉を茂らせている。これぞ、生命の息吹!まぶしい季節がやってきた!ぼくたちは美しい国に生きている。これ以上の幸せは、そうはないだろう。今年も桜が見事だ。いや、例年にも増して美しく感じるのだが、気のせいだろうか。桜のあざやかさは開花前の気温によるところが大きいという。今年は3月の中旬に一度暖かくなって、その後に急に冷え込んだ。そのおかげで美しさが増したのだろう。寒さ、厳しさに耐えてこその花。人も花も変わりないようだ。

 四季は当たり前のように巡ってくる。それがどんな姿をしていたとしても、ぼくたちはそれを受け入れざるを得ない。やってくる毎日を好き嫌いで選ぶことはできないのだ。その日がどんな1日であったとしても、甘んじて受け入れ、生き抜かなければならない。だから…だからこそ、生きるということは素晴らしいのではないだろうか。『どんな明日がやってくるのだろうか』人類は経験を記憶として蓄積し、それら蓄積されたデータに基づいてある程度の予測ができるようになった。だが、実際のところ、明日は来てみなければ分からない。いつ何時、思いがけないことが起こっても何ら不思議ではないのだ。それに、予知という点においては他の動物たちの方が、はるかに優れた能力を持っているようだ。地球という舞台の上では、いや、もっと言うと、宇宙という大きな枠組みの中では、ぼくたち人類も他の生物と同様、微少な存在にすぎない。星がいくつあるかなんて誰にも分からない。数え切れないことは確かだ。そんな無尽蔵の星のひとつ、ちっぽけな星が地球なのだ。

 思いがけず、固い文になってしまったが、今回はそんなつもりで書き始めたのではなかった。ぼくだって生身の人間だ。やはり、普段は自分自身の毎日が気にかかる。『おっ、いい天気だ!』と、ほくそ笑んだり、『今日は雨かぁ…』と、顔をしかめたり。宇宙がどうのこうのと考えるより、『夕食は何を食べようか…』とか『今度の休みはどこに出かけようか…』とか、あるいは『今日、イチローはヒットを打ったのか…』とか『美味い蕎麦屋はないか…』とか、現代社会の日常にどっぷり浸かっている時間の方がはるかに長いのは例に洩れない。もちろん、時には俯瞰、鳥瞰、いや月瞰、人工衛星瞰で、はるか遠くから自分自身を見つめることが大切なのは分かっている。ただ、ここ2、3日で感じた春の息吹と、その生命力のあまりの力強さについつい圧倒されたのは事実だ。当初は、今が盛りの春に因んだ事柄を思いつくままに書いてみようと思っていた。


 この時期、環境が大きく変わるのが子供たちだ。保育園、幼稚園から小学校へ、小学校から中学校へ、中学校から高等学校へ、高等学校から大学へ、大学から社会人へ…。春休みを境に日常がまるっきり違ってしまう。新しい環境との戦いだ。あせらずに泰然としていればいい。ぼくにも、その時々に想い出がある。特に小学校に上がるときのうれしさは格別だった。このことは以前にも触れたが、ランドセルを背負って登校するのは本当に誇らしかった。ぼくにとってはランドセルが次の一歩を踏み出すための象徴だったのだ。校門の前に大きな桜があった。舞い散る無数の花びらは幻想的だった。ぼくは桜吹雪の歓迎に酔いしれた。

 新しい教科書との出会いも新鮮だった。この気持ちは20歳になるまでずっと変わらなかった。折り目ひとつ付いていない教科書は神聖なものに思えた。『この教科書で一生懸命に勉強するぞ!』気合は入ったが、二月(ふたつき)もするとこなれてしまってぞんざいに扱うようになってしまう。誰にでも覚えがあることだと思うが、3学期が終わった時点で、4月の気合に見合った成績を残せた人がどのくらいいるだろうか。答えは容易に想像がつく。中学校に入学したときも、高校に入学したときも、大学に入ったときも、しばらくはカルチャーショックの波を浴びた。だが、その波はただの波ではなかった。どの波にも自分の世界が少しずつ広がって行くという喜びが伴っていた。


 季節にふさわしい食物と言えば“旬のもの”だ。日本人に限ったことではないが、四季がはっきりしている地域の住人たちは、古くから季節の贈り物とも言える恵みを授かってきた。さて、春における旬のものを挙げてみよう。春キャベツ、菜の花、セリ、蕗、セロリ、竹の子、グリーンピース、えんどう豆、そら豆、アスパラガス、新玉ねぎ…。体に良さそうなものばかりだ。春の食材には苦いものが多いが、体力を使う夏を前にして、体中に溜まった毒素を体外に出す作用があるそうだ。良薬は口に苦し、とも言う。やはり、理に適(かな)っている。


 季節の歩みは速い。訪れたと思ったらあっという間に本番を迎えてしまう。つい最近までダウンやコートを羽織っている人を見かけていたというのにこの暖かさはどうだ。あまりの急激な変化について行けない人もいる。季節の変わり目に体調を崩す人が多くなるのはこのためだ。このように、季節に寄り添って生きていく日々には厳しい面もあるが、もたらしてくれる喜びの方がはるかに大きい。ゴールデンウイークを過ぎるとすぐに梅雨になり、夏がやってくる。春を楽しめるのは今のうちだ。できるだけ春の陽射しの中で過ごそうと思う。さて、どこに出かけようか。


(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
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