<百二十七の葉>
短編小説
『ぶんきち』(上)

 今年の七夕は暑かった。30度はゆうに超えていたと思われる。一仕事が終わり、遅めの昼食を済ませた私は京王線のT駅へと急いでいた。次の仕事場へ向かうためだ。都内での移動は電車に限る。荷物が多いときは車を走らせることもあるが、たいていの場合は電車を使う。私は38歳のピアノ教師、個人レッスンを生業(なりわい)としている。自宅でのレッスンが中心だが、週に何度かはこうして通いのレッスンもする。この道に入って12年。音大を出てピアニストを目指したはいいが、ことはそう簡単には運ばなかった。生活のためのアルバイトとして個人レッスンを始めたのだが、黙々と仕事をこなすうちに10年が過ぎ去ってしまった。教えることが嫌いではなかったようだ。いつのまにかささやかな喜びを感じるようになっていた。私のような仕事の場合、電車で生徒宅に向かうのを通勤と言ってもいいものか。自ら通勤と言うのは何となく憚(はばか)られる。やはり移動と言うべきか。


 T駅は工事中だった。長い階段を上がらなければならない。階段を登るぐらいでハアハア言ってしまうのは30代としては情けないが、事実は事実として受け止めなければならない。そんな時は、週末からウォーキングを始めようか等とまったく現実味のない目標を思い描いてしまうのだが、毎度のことながらこの程度の発想しかできない自分がふがいない。そんなことを考えながら階段をもうすぐ登りきるという辺りまで来たときだった。足元を見つめていた私の目が緑色の昆虫らしきものを捉えた。かなぶんか?そうだ、かなぶんだ。かなり弱っている。6本の足のうちかすかに動いているのは右側の中足と後足だけだ。まさに虫の息だと言っていい。近くに窓があれば逃がしてやれるんだが…。辺りを探ったが仮設の階段には窓らしきものはない。しょうがないか。私はかわいそうにと思いながらも足を止めることなく通り過ぎた。

 階段を登りきったところに窓があった。窓はあったが、次の電車の発車時刻は迫っている。私はかすかなためらいを断ち切ってそのまま改札に向かおうとしたが、なぜだか足が前に進まない。放っておいていいのか…。いや、いい訳がない。このままだったら衰弱して死ぬか踏み潰されて死ぬか、どちらかしかないではないか。私は踵(きびす)を返し、かなぶんのもとへと駆け出していた。あの窓から投げれば飛んでいくだろう。それぐらいはしてやってもいい、そう思っていた。

 私はかなぶんを右手の親指と人差し指でそっと掴むと、左の手の平に乗せた。埃に塗(まみ)れた体にはまったく力がないように思えた。だが、6本の足は必死に何かを掴もうとしていた。私の手の平に細い鉤形のような爪を立て、懸命にしがみつこうとしている。痛みは感じないが肌を通してかなぶんの必死さが伝わってきた。窓は170センチの私がやっと顔を出せるくらいの高さにあった。開いていた窓から下を覗くと、地面まではかなりの距離がある。これでは墜落死させてしまう。さて、どうしたものか。


 私は小学生に託すことにした。小学生なら低学年でもいい。ただ。男の子に限る。彼らなら力を貸してくれるに違いない。いつの時代でも、男の子は昆虫に尽きぬ興味を持つものだ。男性諸君は小学生のころカブト虫やクワガタ虫にどれだけ憧れ、熱中したかを思い出してみればいい。もちろん女の子の中にも昆虫が好きだという子はいるのだろう。だが、残念なことに今の時代、女の子に安易に声をかける訳にはいかない。いや、男の子だったとしても気は使う。なるべく二人、あるいは三人でいる子の方がいい。私はかなぶんを手の平に乗せたまま改札から出てくる小学生の男の子を捜した。だが、ゆっくりしている時間はない。私は改札を抜けホームに進みながらも目を凝らした。小学生は…いない…。午後1時、こんな時間に小学生がホームにいる訳はないのだ。鈍行列車が滑り込んできた。降りる乗客の中にも小学生はいなかった。

 こうなったらどこか安心できるところまで連れていくしかない。目的地の風景を思い浮かべてみた。田園都市線N駅の周辺には川があり並木がある。連れていこう。私は特急電車を待つ列の後方に付いた。そして、そこで初めてじっくりと手の平でじっとしている深い緑色の体を見つめた。かなぶんに会うなんて久しぶりだな。都内に住むようになってから昆虫にお目にかかる機会はめっきり減っていた。そうだ!私はバッグの中に水があるのを思い出した。近くのコンビニで買ってからさほど時間は経っていない。まだ冷たいはずだ。何はともあれ水だ。飲ませよう。私はペットボトルを取り出すと、うずくまるかなぶんに触れないように左の手の平に少しずつ水を滴(したた)らせた。程よい量の冷水が溜まりほのかに揺れている。電車がやってきた。私は水をこぼさないように静かに歩を進め、ドアの近くに立った。幸い車内は混んではいなかった。

 電車が加速し安定した速度になると、私は、水がかなぶんの足にほんの少しだけ触れるようにと手の平をそっと傾けてみた。冷水はゆるやかに左に流れ、かなぶんの右側の後足をさっと撫でた。その瞬間、びくっ!かなぶんは体全体で反応した。私たちと同じだ。疲れて休んでいても、寝ていたとしても、もし、足に冷水をかけられたら飛び起きるに違いない。私の親指の付け根にしがみついき、指の方に頭を向けて体を横たえていたぶんきちは、おもむろに体の向きを変え始めた。水を背にしようとしている。決死の行動だ。彼の本能が水から逃げろと命令しているのだ。水に溺れたら最後、助かる望みはなくなる。私たちだってこのような状況に陥ったら同じ行動をとるだろう。その時だった。ぶんきちは何を思ったか、突然反対方向に回り始めた。頭を水に近づけようとしている。どうする?水を飲もうとしているのか…。私は注意深く様子を窺った。ぶんきちは冷水の正面に頭がくるとピタッと止まり、今度はゆっくりと後ずさりし始めた。やっぱり水から逃げようとしているのだ。私は少々気の毒になった。もういいから水を飲めよとばかりに手の平を大きく開き水の面積を広げると、ぶんきちの体を摘み上げ口もとを水の淵に持っていった。顔が水に浸かった瞬間、ぶんきちはまったく動かなくなった。


 ぶんきちは水を飲んでいた。放心状態で冷水を飲み続けていた。きっと、生涯でこれほど美味い水にお目にかかったことはないだろう。冷水はアメリカ産のクリスタルガイザーだ。私にはヨーロッパ産のエビアンやヴィッテルのような硬水はしょっぱく感じる。選ぶなら国産の水かクリスタルガイザーだ。どこで買っても少し安いクリスタルガイザーはさっぱりとしていて飲みやすい。それでも、ナトリウム、カルシウム、マグネシウム、カリウムもしっかり含まれている。ぶんきち…そう、私はいつの間にかこのかなぶんをぶんきちと呼ぶようになっていた。もしかしたら、かなこかもしれないとは思いつつもなぜか男同士の友情のようなものを感じていたのだ。ぶんきちは不純物のない冷水を、ナトリウムをカルシウムを、マグネシウムをカリウムを、体内に充満させた。手の平にあった水は自然蒸発もあっただろうが確実に減った。見る間に減っていった。2センチ足らずの小さな体のどこに入ったんだと思えるほど水を飲んだぶんきちはふーっとため息をひとつこぼしたように見えた。


 M駅で井の頭線に乗り換えたかなぶんはぶんきちが初めてだろう。こんなのん気なことを考えるようになったのは、彼が元気を取り戻したからにほかならない。緑色の体は光沢を増し、尾籠度(ビロード)色に光り始めた。手足は黄金色(こがねいろ)に輝いている。ぶんきちは完全に息を吹き返した。(つづく)


(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
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