<百三十三の葉>
フトシ回顧録
資料室長オニヤマジュウゾウ
(下)
オニヤマの真意が分からない。いったい、何を言いたいんだ? 『でっ』って言われても答えようがないではないか。だが、こんなふうに何度も聞き返されたら誰だってカチンとくる。オレはちょっと強い口調で答えた。
「でっ、ってお前、そりゃあ、どういう意味だ?」
オニヤマは、怒気を含んだオレの声にハッとして、ただもじもじと顔を赤く染めるだけだ。オレは続けた。
「今日の発表がよかった。素晴らしいものだった、ってさっきから何度も言ってるじゃねえか」
ヤツは先ほどまでとは打って変わって、小さく体を丸め小刻みに震えている。
「…」
「黙ってたんじゃわからねえ。何とか言えよ。」
エレベーターホールで、ふたりきり。さすがのオニヤマも、このシチュエーションでは逃げるに逃げられない。
「すみ…、……から」
またもや、蚊の鳴くような声だ。耳を澄ましても聞き取れない。
「オニヤマ、もうちょっと、でかい声で話してくれよ」
オレは頼むように言った。ヤツは意を決したように背中で二度大きく息をすると、搾り出すように言った。
「すみません、もうちょっと詳しく知りたかったものですから…」
「詳しくって…何?発表のことをか?」
「はい、そうです…。すみませんでし…」
あまりのしおらしさに、オレは、少々気の毒に思えてきた。
「……詳しくったって、そりゃあ、むずかしいよなあ…。かっこよかったとしか言いよう‥」
「い!いま!なんと??」
オレの発言が終わるか終わらぬかのうちに、突然、オニヤマが遮(さえぎ)った!
目を大きく見開き、何かを訴えようとしている。その視線の一途さに、今度はオレの方が怯(ひる)んでしまった。何か悪いことを言ってしまったのか、脳をフル回転させたが分からない。オレは、それこそ、蚊の鳴くような声で答えた。
「えーと… かっこよかっとしか言いようがないって言おうとしたんだけど…」
「お、大きな声で!」
オニヤマは意を決したかのように迫ってくる。オレは後ずさりしながら、今度は、はっきりとした声で返した。
「かっこよかったとしか、言いようがない!」
「も、もう一度!」
「かっこよかった!」
「アゲイン!」
アゲイン!?って…中学1年の英語の授業以来じゃねえか。オレは腹の底から声を出した。
「オニヤマあ!かっこよかったぞ!」
「あああ…」
オニヤマは、目を潤ませながら宙を見つめた。その時、突然エレベーターの扉が開いた。中には誰もいない。オニヤマはふらふらと、オレはいそいそと乗り込んだ。降下中、会話はなかった。オニヤマは恍惚の表情を崩すことなく打ち震えたままだ。オレは何階かを示す数字の灯りを見つめながら、オニヤマの心の内を思った。
誉められたかったのだ。オニヤマは、自分に向けられた真の賛辞を欲していたのだ。40周年記念式典では全社員の前で称えられ、社長からも暖かい言葉をかけてもらいはした。だが、すべては会社のためという視点からのものだった。オニヤマは、自分自身のがんばりを手放しで誉めてもらいたかったのだろう。当然だ。だれだって本当にがんばったら、一言ぐらいかけて欲しいと思う。だから、オレのちょっとした言葉にあれほどの反応を示したのだ。オニヤマにとっては、それほど大変な仕事だったに違いない。苦しい作業をやり遂げほっとした時に、頑(かたく)なだったヤツの心に労(ねぎら)いの言葉が沁みたのだ。そんなオニヤマがいじらしく思えた。そして、何だかいたたまれなくなった。オレは、この時点で“よかった”を3回、“すごい”を1回、“素晴らしい”を2回、“かっこいい”を5回、口にしていた。他にも讃える言葉はあったな、語彙が少ないと思われるのも癪(しゃく)だ等と考えながら、オレは、もう少しオニヤマに付き合ってもいいと思った。
エレベーターを降りて歩き出したがオニヤマが見当たらない。
「オニヤマ!」
慌てて名を呼び、周りを見回すと、間髪入れずに声が響いた。
「ここです!」
声は耳のすぐ後ろから聞こえてきた。オニヤマはオレに寄り添うように付いて来ていた。数センチ後ろにぴったりと貼り付くようにして歩いている。誰かと肩を並べて歩くということもなかったのだろう。だが、さすがにこの距離は困る。ふたりの中年男が連れ立って歩く絵としては異様だ。変な噂を立てられたくはない。
「オニヤマ。、もう少し離れて歩こう」
オレはヤツを右脇に誘導し、このくらいの間隔を空けて歩くんだと手で示した。
「飲みにでも行くか」
「は、はい…」
オレは馴染みの焼鳥屋に足を向けた。
「それにしても、今日はあっと言わせたなあ」
「あ…」
「みんなの度肝を抜いたんじゃないか?」
「そして…?」
「想像を絶するできだったよ」
「なるほど…」
「感服したなあ」
「更に?」
「さ、更に…?ええ、並々ならぬ映像だった。底抜けに痛快だ」
ついつい、この場に相応(ふさわ)しくない日本語も飛び出してしまう。
「あ、あの…他には…」
オニヤマは、飲み慣れないビールをちびちびすすりながら気持ちが良さそうだ。
「今日は、本当に立派だったよ。底知れない実力を見せたな」
「その心は…?」
オニヤマの口からは、アバンギャルドな単語が次から次へと発せられる。だが、オレは応える。
「見上げた男だということだ。偉業を成したと言ってもいい!」
「それが何か?」
冷静を装うのだが、口元の緩みは隠しようがない。
「いいか、オニヤマ、お前は映画界の巨頭!巨星!巨人!だ」
「で?…で?で?」
「映画界のオーソリティーよ!泰斗よ!オレは同期としてうれしいぞ!」
「ホソダさん…」
オニヤマの目には涙が光っている。何だかオレも泣けてきた。
「オニヤマ、お前はすごい!ものすごい!途方もなくすごいことをやり遂げたんだ!あめでとう!」
「あああああああああ……」
オレは、この出来事から“真実の言葉を直接伝えることの尊さ”を学んだ。『よくやったね』という労いの一言が、どれだけ人を幸せにするのか。オニヤマが改めて教えてくれた。
(了)
(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
+PAGE TOP
+目次
+ESSAY TOP
+BBS
+HOME