<百三十八の葉>
フトシ回顧録
違反者講習(一)

 小春日和の美しい朝だった。オレはS市郊外に向かうバスに揺られていた。ゆらゆらと気持ちよさそうな雲が車窓を通り過ぎる。オレは満員バスの重いビートに体をゆだねながら、ただぼうっと街の景色を見つめていた。秋は有形無形の恵みをもたらし、達成感や安堵感を感じさせてくれる唯一の季節だ。点在する畑には豊かな実りがあふれ、行き交う人々の足取りもどこか弾んでいるように見えた。そんな麗しい秋日の光景とは裏腹に、この時のオレには、満たされた思いなんてものはこれっぽっちもなかった。いや、たとえ似たような思いがあったとしても、どこかに追いやられてしまっていただろう。オレの心は、それほどまでに沈んでいた。もやもやとした、どんよりとした、黒い塊のようなものに覆われていた。

 「無駄な一日を過ごさなければならない…」「なぜオレが…」「忙しい時に情けない…」東京都公安委員会から“違反者講習通知書”が送られてきたのは、秋の気配が漂い始めた頃だった。オレは、2ヶ月ほど前にスピード違反で検挙されたのだが…、待てよ…、この場合は“検挙された”でいいのか…?少々大げさ過ぎはしないか…?ならば“挙げられた”では? “拿捕(だほ)された”ではどうだ?“召し捕られた”や“お縄になった”“生け捕られた”もあるぞ!…ううう…とにかく、スピード違反で捕まったとき、オレは瞬時に免停を覚悟した。運転免許点数制度における違反の累積が何点になっているのかは定かではなかったが、まず間違いはない。ただ、心のどこかに「もしかしたら、あと1点というところで留まっている、なんてことはないだろうか…」というかすかな望みを抱いていたのも事実だ。人は得てして往生際が悪い。届いた封書には公安委員会という文字が印刷されていた。はかない望みは露と消えた。

 運転免許点数制度とは『過去3年間の違反や事故に一定の点数を付して、その合計点数が一定の基準に該当した時に、免許の停止や取消し、又は免許の保留や拒否の行政処分を行う』という制度のことだ。オレは模範的なドライバーだとは言えないが、ドライバーとしてのキャリアには誇りを持っている。免許証を取得したのは25年前だ。若気の至りでスピード違反を繰り返したこともあった。駐車禁止で反則金を払ったことも一度や二度ではない。それでも、25年間大きな事故も起こさずにハンドルを握り続けてきた。

 『交通事故や交通違反などで運転者に課せられる責任は三つある。行政上の責任、刑事上の責任、民事上の責任だ』このことを理解している人は意外に少ない。何を隠そう、このオレもまったく理解していなかったも同然だ。こんなことには一生縁遠くてもよかったのだが、しょうがない。いい機会だと思って調べてみることにした。『三つの責任は完全に独立している。従って、それぞれが連動することは一切なく、処理する管轄も全く異なっている。行政処分とは点数制度による免許の停止や取消しなどのことで、公安委員会が行う。刑事責任とは、刑法に基づいて罰金刑や懲役刑などの処分を受けること。民事責任とは、民法に基づいて事故の被害者に損害賠償をする責任である。』交通違反をしたときには、点数を課せられ、反則金を払うことになるのだが、この反則金、金額がいくらであっても本当に悔しい…。オレは、自分の行為を棚に上げて「反則金を払うくらいなら、どぶに捨てた方がましだ。」なんて、何度ほざいたか分からない。不遜だなんて思わないでくれ。車を運転する限り避けては通れない問題なのだ。


 反則金と罰金がまったく別のものだということをご存じだろうか。このふたつは一様に“罰金”と呼ばれることが多いが決して同じではない。駐車違反や通行禁止違反などの軽微な違反に課せられるのが反則金で、オレが払ってきたほとんどがこれにあたる。合計するといくらぐらいになるだろう。20万円は下るまい。なんてことだ…。怒りに任せて捨ててしまった青キップ、今更ながらとっておけばよかったと思う。

 『罰金は、重度な違反に課せられる刑罰である。そもそも、罰金刑は反則金とは違って前科となる刑事処分であり、禁固刑、または懲役刑と同一線上にあるということを頭に入れておかなければならない。』う〜む、今後も罰金だけは払いたくはない。それこそ、“生け捕り”が相応しい犯罪者ということになってしまう。金額が高い安いというだけの問題ではなかったのだ。罰金刑の重さを知らねばならない。

 今回、オレは“違反者講習通知書”を受け取った。この通知書、読んでみると、以前に受けた免許停止処分とはあきらかに違う。一定期間内に交通違反を繰り返し、累積点数が6点を超えた場合、普通は30日間の免許停止となるのだが(免許停止処分者にも救済処置がある。“停止処分者講習”を受けることができ、成績がよければ処分日数が29日間短縮される。つまり、実質的な停止処分は1日だけとなる。)免停対象者のうちある一定の条件に適合している人は、“違反講習”と呼ばれる特別な講習を受けることになっている。

 ある一定の条件とは、過去3年以内に免許の行政処分を受けておらず、違反点数が3点以下の軽微な違反行為を繰り返し、累積点数が6点に達した場合ということだ。つまり、違反者講習とは、2点+2点+2点とか1点+1点+1点+3点のように軽微な違反の合計がジャスト6点になった人のみが受けられる講習だったのだ。この講習を受ければ行政処分が免除され、さらに6点が帳消しになる。免停よりは、はるかにましだ。ある意味、運がいいとも言える。だが、講習は丸一日かけて行われる。大切な一日が潰されると思うと喜んでばかりはいられないのだ。

 オレが受けた交通違反の取り締まりは、どれもこれもが理不尽なものとしか思えなかった。“理不尽”とは、物事の筋道が通らないこと、道理に合わないことだ。もちろん、オレの一方的な主張だが、まさにこの言葉が示すがごとく筋が通っていないと思えたのだ。オレは複雑な思いで満員のバスに耐えていた。この思いを何にぶつけたらいいのか。悔しさの矛先をどこに向けたらいいのか。冴えない気分は増すばかりだ。そして、そんな感情すべてを覆い尽くすかのような諦(あきら)めの心境が心を支配していた。「面倒くさい、面倒くさい、面倒くさい…」これが、オレの心のすべてだった。 (つづく)


(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
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