<百四十の葉>
紅葉

 落ち葉が舞う季節となった。我が家の前の道にも、乾いた葉が幾重にも降り積もり、かさかさと音を立てている。近くの街道を彩っていた並木の葉が風に乗って訪れるのだ。さあ、冬は目の前だ。寒気の訪れを告げる紅葉は、今年もぼくたちの目を十二分に楽しませてくれた。いろは坂や京都のような名所の艶(あで)やかさは格別だろうが、何気ない街の紅葉もすてたものではない。どんな木々にもそれなりの愛(め)で方がある。そんな小さな喜びを見つけられるのも四季に恵まれたこの国の住民の特権だ。

 紅葉は“こうよう”とも“もみじ”とも読む。今までは特に気にもならなかったが、よくよく考えてみるとおもしろい。このように日本語には普段何気なく使っていながら、奥深さが二重(ふたえ)にも三重(みえ)にも張りめぐらされている言葉がたくさんある。葉が、紅くなるのは紅葉(こうよう)、黄に染まるのが黄葉(こうよう)。“こうよう”にも2種類ある。

 紅葉(こうよう)とは、落葉に先だって葉が紅色に変わる現象のことだ。紅葉する木といえばもみじだが、“もみじ”は動詞“もみづ”(古くは“もみち”)が転じた言葉だ。“もみづ”とは秋の終わりごろ木の葉が赤や黄に変わること。我々の祖先は「山々が美しくもみじする」なんて浪漫あふれる使い方をしていたのだ。

 もみじはカエデ科の落葉高木だ。植物分類学上は、もみじという特定の科や属は存在しない。紅葉する樹木の中で“かえで”が代表的な種類であることから日本では“かえで”のことを“もみじ”と呼ぶようになった。したがって、“もみじ”と“かえで”は同義語で、ほとんど区別なく使われる。かえではカエデ科カエデ属の植物の総称であり、世界に約200種あるそうだ。日本には10数種あり、伊呂波紅葉(いろはもみじ)が有名だ。他にも、いろはもみじの変種であるやまもみじ、みやまもみじ、つたもみじ、おにもみじ等がある。かえでは“楓”と書く。なんてつややかな表現なのだろう。だが、実際は葉の形が蛙の手に似ているというところから、蛙手(かえるで)となり、“かえで”に転じたというから現実的だ。「まさに!」と笑ってしまうが、それにしても“楓”という字を充てた人はすごい!尊敬!


 もみじには、葉が紅くなる木と黄に染まる木があると思っていたが、そうではなかった。葉が枯れていく過程でカロチノイドという色素が現れ黄色になるというのはすべてのもみじに共通していた。問題は“赤”だ。葉が紅くなる木には特殊な酵素があり、葉内の糖類が赤色のアントシアニンという色素に変わるため紅く見えるというのだが、おもしろいのはここからだ。その酵素を持つ木だからといって、すべての葉が赤一色に染まるという訳ではなかった。太陽によく当たる部分は真っ赤になり、当たりにくい部分は黄色のままなのだ。日光の当たり具合によっては中間色のオレンジもある。更にまたその中間色がある。緑から赤へ、黄へ、オレンジへ、そのグラデーションは無数だ。一本の木がまとうのは無限の色だったのだ。この一本の木が地球だとしたら、葉の一枚一枚はぼくたち人間だ。どの色もどの人種も同じ幹から生まれたということを忘れてはならない。


 1日の最低気温が8度以下の日が続くと紅葉や黄葉が進行するそうだ。少しずつ色づき始め、更に5度以下になると一気に進むという。美しい紅葉の条件としては、「昼夜の気温差が大きいこと」「日照時間が長いこと」「湿気が少なく乾燥していること」等があげられるが、名所にはこれらの条件を満たす山岳地帯が多い。晴れが続いたあとは紅い葉が一際(ひときわ)目立ち、見事なコントラストがため息を誘う。それにしても、ぼくたち日本人はもみじが好きだ。もみじに因(ちな)んだ言葉をいくつかあげてみよう。この場合の“紅葉”はすべて“もみじ”と読む。

青紅葉…赤く色づく前のもみじ
薄紅葉…紅葉し始めて薄く色づいた木の葉
漆紅葉…漆の木が紅葉すること
桜紅葉…桜の葉が紅葉すること
夕紅葉…夕日に映える紅葉
蔦紅葉…紅葉した蔦の葉
薄紅葉…紅葉した薄(すすき)の葉
柿紅葉…柿の葉が紅葉すること
草紅葉…秋に葉が色づくこと
櫨紅葉…紅葉した櫨(はぜ)の葉
花紅葉…花のようにあざやかな紅葉
紅紅葉…女房装束のかさねの色目


 『紅葉(もみじ)』という美しい歌がある。この歌は1911年(明治44年)『尋常小学校唱歌(二)』に発表された。作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一のコンビによる。ちなみに、彼らは「故郷(ふるさと)」「春が来た」「春の小川」「朧月夜(おぼろづきよ) 等の名曲を数多く残している。


 紅葉(もみじ)

 秋の夕日に照る山もみじ
 濃いも薄いも数ある中に
 松をいろどる楓や蔦は
 山のふもとの裾模様

 渓(たに)の流れに散り浮くもみじ
 波にゆられて はなれて寄って
 赤や黄色の色さまざまに
 水の上にも織る錦(にしき)


 最後に、短歌を趣味とする父の一首でしめようかと電話してみたのだが、残念ながら紅葉を題材にした歌はなかった。その代わりにと言ってはなんだが(笑)、古今和歌集から一首。父の歌はまたの機会に…。

『雪ふりてとしのくれぬる時にこそ つひにもみぢぬ松もみえけれ』


(C)2009 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME