<百四十四の葉>
フトシ回顧録
違反者講習(四)

 バックミラーに映っていたのはやはり警官だった。30歳ぐらいの若い警官はあっという間にオレの車に追いつき、握った右手の中指第二関節で運転席の窓をコンコンと叩いた。オレは自分が違反をしたなんて夢にも思ってはいない。『何があったんだ?』不審な思いを抱(いだ)きつつ窓を開けると、警官は、はっきりとした声で言った。

 「運転手さん、やっちゃいましたね〜。ここは進入禁止ですよ」
 「…はあ?? オレはバスに付いてきただけだぞ!」
 「ここはバス専用です」
 「……」

 そんなことどこにも書いてなかったはずだ…。オレは記憶をフル回転させたが、進入禁止の標識などまったく覚えがない。

 「そんなことどこにも書いてないだろ?」
 「いいえ、はっきりと表示されています」

 警官は自信満々だ。オレは急に心細くなった。『見逃したのか…』そして、不安気なオレを見透かしたかのように警官は後方を指差した。

 「交番はあそこです。この先の角を曲がって一回りして交番まで来てください」

 普通自動車進入禁止とはいえ公道の真ん中だ。いつまでも車を停めて警官と話し込んでいる訳にはいかない。オレは分かったとも分からないとも言わずに車を発進させた。狐(きつね)につままれたような思いだった。そのまま走り去ってしまいたかったが、警官がナンバーを控えない訳がなかった。


 オレは不可解な言いがかりではないのかと納得できないながらも、言われたようにゆっくりと進み再び大通りに出た。バスの後を付いて曲がった場所はすぐだ。『どこにそんな表示があるんだ…』オレは目を凝らした。すると…『あ、あった!』進入禁止の標識が道路の真ん中、高さ5mぐらいのところに掲げられているではないか。そして、その下には小さくバスのみ進入可と書いてある。『見逃していたのか…ちくしょう…』ただ、周りを見回しても表示はこれだけだ。他に進入禁止を教示するようなものはない。標識は高い位置に設置されているため遠くからでも見渡せる。しかし、オレはその標識までわずか数十メートルの脇道から大通りに入り、大型バスの後ろにピタッと付いてしまった。死角に入り込んでしまったようなものだ。もし、オレの前を走っていた車が乗用車だったのなら容易に確認できたはずだ。よりによってバスの後ろについてしまったなんて…。オレは運が悪かったのか。バスのでっかい背中がオレの視界を遮ったのだ。


 『ならば、一般車はどうすればいいんだ?』一般車の流れはというと、何のことはない、バス専用道路のひとつ向こうにある細い道へと続いていた。一本右側の車線を行けばそのまま道なりに進める寸法だ。だが、手前の車線を走っている車にとって、その道は限りなく分かりづらかった。初めて訪れるドライバーは戸惑うに違いない。『これじゃあ、わからねえよな〜』オレは大きなため息をつくと交番の前に車を停めた。


 交番の前では先ほどの若い警官が待っていた。

 「標識分かりましたか?ありましたよね」

 オレは静かに頷き黙って免許証を差し出した。言い訳はするまいと決めていた。こんな時に調子のいい声を出して便宜を図ってもらおうなんて気は毛頭ない。どんなに下手(したで)に出ても人情に訴えてもこの状況が覆(くつがえ)ることはないと知っているからだ。警官だって人間だ。若いきれいな娘ならば許されるとかそんな話を聞いたことがあるが、人によって対応が変わるなんてことは信じたくはない。

 「それにしても、初めての人間にはずいぶん分かりにくいな…」

 オレはボソッとつぶやいた。その時の警官の反応がオレを刺激した。

 「そうなんですよね、わかりづらいようで、皆さんよく間違えるんですよ」

 『なにい?何なんだそれは?』誰もが分かりにくいのなら標識の位置を変えるとか、わかりやすい表示にするとか、何かしらの方法があるじゃねえか。ふざけるんじゃねえ。
 
 「そりゃあないでしょう。じゃあ、何でわかりやすくしないんですか」

 オレは言葉に気をつけながらも語気を強めて言った。

 「そうなんですよね〜。だから時々、こうして入り口で見張ってるんですよ」

 『…ん?何かおかしくはないか』進入禁止道路に指定されるということは危険だということだ。ならば、なぜ危険地帯に入ろうとする車を止めずに、入った後に運転手を取り締まるのだろう。これでは筋が通っていない。国民の安全を守るのが警察の本分だ。彼らがなすべきことは、進入禁止道路に入らないように心を砕くことであって、進入してくるのを知りながらそれを待ち伏せし罰することではないのではないか。これが警察の方針なのか。

 「おまわりさん、オレは哀しいよ。こんな哀しい目にあったことはない。国からこんな仕打ちを受けるなんて。いじめじゃねえか」

 本音だった。車が進入する前に止めてほしかった。そんなこともできないのか。オレは絶望感すら感じていた。法を破ったことは認める。黙ってお仕置きも受ける。だが、こんなことでは日本の警察の名が泣く。オレは悔しさを隠せなかった。取り締まりを受けたということが理由ではない。不条理なあしらいに対してだ。若い警官は、ばつが悪そうに無言で机に向かった。青色切符には警官の名が書かれ、オレの名前、住所、電話番号、車のナンバーが記入されていく。その下に反則事項、罰条の欄では“通行禁止違反”に丸が付けられ、その脇の“通行禁止場所通行”にも丸が付けられた。点数は2点。“反則金相当額”欄には7000円と記された。オレは唇を噛み続けた。 (つづく)


(C)2010 SHINICHI ICHIKAWA
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