<百四十八の葉>
フトシ回顧録
違反者講習(七)

 メインイベントである交通安全活動体験の話の前に、オレの違反点数のうちの残り4点の話をしなければならない。繰り返すが、違反者講習は違反点数が3点以下の軽微な違反行為を繰り返し、累積点がジャスト6点に該当した場合にのみ受講できる制度だ。ふと、子供の頃、夢中になったルーレットゲームを思い出した。何と言ったか、ルーレットの目がゴールまでのコマ数と一致しなければあがれないあのゲームだ。この講習は受講すると行政処分を課せられずに済む特別なものだ。たとえ違反点数の合計が6点であっても、以下のような条件に当てはまる人は受講できない。

1.過去3年以内に免停(保留)処分を受けた者
2.過去3年以内に取消(拒否)処分を受けた者
3.過去3年以内に違反者講習受講歴がある者
4.過去に「道路外致死傷」や「重大違反そそのかし等」をした者

 つまり、違反の常習者や悪質な違反を繰り返している人には資格が与えられないということだ。言い換えれば、普段は交通ルールを守っているが、たまたま軽微な違反を繰り返してしまった人たちへの救済処置的な制度だと言ってもいい。さて、オレのふたつ目の違反の話をしよう。顛末はこうだ。


 うららかな春の午後だった。オレは、愛車“紅丸”を駆(か)り先輩の住むS茶屋へと向かっていた。紅丸?そうだ。オレは車にも名前を付ける。ああ…なんということだ。いきなり話が飛んでしまった。始まってまだ数行だというのに…申し訳ないが許してもらうしかない。理由はくどくどとは申すまい。愛すべきオレの読者たちならば承知してくれるはずだ。

 紅丸との付き合いは長い。12年ほどになる。毎日走らせてきた訳ではないが、先日、走行距離が10万キロを超えた。だいだいにして、日本では車を短期間で乗り換える傾向が強い。下取り価格が高いうちに次の車へということなのか、エンジンの燃費等技術的な問題なのか、デザインの流行り廃(すた)りが理由なのか。兎にも角にも、たかだか4万キロ、5万キロで乗り換えてしまう人が多いと聞く。10万キロを超えた紅丸は、下取り車、あるいは中古車としての価格は二束三文だ。だが、オレにとっては大事な相棒であり信頼の置ける友なのだ。その価値は計り知れない。車は手入れさえしていれば20万キロなんて優に走れるそうだ。紅丸は10万キロ達成を機にタイミングベルト、サーモスタット、ウォーターポンプ等を交換してリフレッシュした。やつは新しい心臓を手に入れたかのように喜々として街を闊歩している。

 言うならば、オレは気に入ったものを長く使いたい派だ。そんな“派”があるのかどうかは知らないが、同じような思いの御仁は少なくはないように思う。オレの周りにはそれらしき男たちが結構いる。親友のカワシマなどは、未だに1972年製のケンメリを大切に乗り続けている。手入れが行き届いたその姿は壮観だ。いざ発進するや道行く人で振り向かない者はいない。かっこいいのなんの、このような姿をかっこいいと言わずして何と言う。“かっこいい”という言葉の本質を見極められるかどうかで、男の価値が決まる。車にも匠の技が散りばめられている。そこには、日本が誇る民芸品にも通ずる魅力があるとオレは常々思っている。

 …ええい、脱線ついでにもうひとつ。民芸とは“民衆的工芸”の略で、頭の“民”と最後の“芸”を並べた言葉だ。無名の職人たちが作る民衆の日常品の美しさに魅了された柳宋悦が作った造語で、彼が中心になって起こした民芸運動と共に国中に広まった。柳は「身近な生活道具に美を見いだす」という当時としては画期的な視点を説き、シンプルで飾り気のない美を探求した。そこには芸術品とは一線を画す生活に根付いた純粋な美、“用の美”がある。何とも日本的ではないか。1000年以上の長きに渡って受け継がれた日本の美がここにもある。

◆実用品であること
◆普通品であること
◆数があること
◆買いやすい値段のもの
◆民衆の生活に即したもの

 これらが民芸品であるための条件だ。柳は「美を共有することにより心に平和が生まれ、幸福をもたらす」と考えた。痛快だ!10年ぐらい前になるが、柳とともに民芸運動に関わった陶芸作家、河井寛次郎の記念館を訪れたことがある。京都にあるその記念館でオレは半日あまりを過ごした。幸せな時間とはああいうひと時を言うのだろう。あの日の気持ち良さは脳裏に刻み込まれている。


 そういえば、オレが代々乗ってきた自転車にも名前があった。何台ぐらいの自転車を乗り継いできたのだろう。数えてみないと分からないが、5、6台といったところか。それぞれの自転車に各々の名前があった訳ではない。オレは、乗っていたすべての自転車に同じ名を付けた。いや、これではニュアンスが違う。自転車自体が変わっても、オレは常に同じ名で呼びかけてきた。小学校2年生の誕生日におじいちゃんが買ってくれた初代の自転車に付けた名前、それが、“オレの自転車”の名となった。小学校2年生のセンスで名付けられたその名は“ジテン号”。…何?自転車の「じてん」からのネーミングかって?当たり前じゃねえか。その他に何がある。「ジテン号、発進!」と言って自転車に飛び乗った40年前のオレは、姿こそ違うが、その精神を宿したまま今もここにいる。


 ずいぶんと遠回りをしてしまった。気を取り直して話を先に進めよう。風薫る春の午後だった。オレは紅丸とともに幹線道路を走っていた。車は意外なほど少ない。車列は順調に流れていた。急ぐ理由もない。オレは心に十分過ぎるほどの余裕を持っていた。ある交差点に差し掛かったところで携帯電話が鳴った。メールの受信音だ。携帯電話は助手席に置いてあったのだが、運転中に覗く訳にはいかない。当然の分別だ。前方の信号がちょうど青から黄色に変わり始めた。前を行く車がゆっくりと停車し、オレはその後ろに十分な車間距離をとって紅丸を停めた。サイドブレーキを引き、完全に停車したのを確認すると、オレは携帯電話を手に取った。信号待ちの最中ならば手にしても大丈夫だ。メールを開いた。馴染みのラーメン屋から定期的に送られてくるメールだった。「今週はつけめんがお得!このメールを提示してくれた方にはトッピング一品サービスします!」最近、顔を出していないな。近いうちに行ってみるか。オレはのん気にそんなことを考えた。 (つづく)


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