<百五十四の葉>
がっららあ〜が〜!

 野球においての主役はなんと言ってもピッチャーだろう。試合の勝敗は、一球のボールの行方のみで決定されるのだが、そのボールを手にしている時間の割合が最も多いのがピッチャーだからだ。ぼく自身は、イチロー選手のように毎試合に出場する野手の方に魅力を感じるのだが、ピッチャーにも当然関心はある。メジャーリーグでは5日に一度、日本プロ野球では7日に一度登板する先発投手にはとりわけ注目している。90年代は野茂投手(主にロサンジェルス・ドジャース)に熱狂し、今でも、松坂投手(ボストン・レッドソックス)やダルビッシュ投手(日本ハム・ファイターズ)等、名投手の試合内容、結果は気にかかる。

 少年野球では、チームで一番“肩がいい”選手がピッチャーとなる。“肩がいい”というのは、より遠くに、より速くボールを投げるということだ。野球選手として最も重要な素養だと言える。速い球を投げるには、肩や腕だけではなく体全体の強さが必要とされる。運動神経が突出している選手だけがピッチャーになれるのだ。ぼくは、中学3年生のころ、遠投で90メートルは投げた。だが、ピッチャーにはなれなかった。中学生でも100メートル以上は投げられないとピッチャーとして声はかからない。


 野球の試合は、ピッチャーがボールを投げるところから始まる。両チームが9回ずつ攻撃しあい、より多く得点したチームが勝ちだ。1回は3アウトで終わる。つまり、ピッチャーはひとりで投げきった場合、1試合で27のアウトを取らねばならないということになる。野手は打撃が3割を越していれば一流と言われるから、10回打席に立って3回ヒットを打てばいいという計算だ。対ひとりと考えると、7割は投手が抑えるという計算なのだが、打者は9人もいる。更に、フォアボールもあれば、守備でのエラーもある。9回を投げきって0点に抑えるというのは至難の業なのだ。

 9回を0点に抑えることを“完封”と言う。試合を前にした投手の大きな目標だ。何本ヒットを打たれようと、いくつフォアボールを出そうと1点もとられなければいい。味方が1点さえ取れば勝ちとなる。この完封だが、その中でも特別な完封がある。“ノーヒット・ノーラン”だ。完封した上、1本のヒットも許さなかった場合を言うのだが、メジャーリーグでも日本プロ野球でも、1年に1度か2度あるかないかというほどの大変な記録だ。この“ノーヒット・ノーラン”、野茂選手はメジャーリーグで2度も達成している。すごい!!

 更に、この“ノーヒット・ノーラン”の上を行く記録がある。“パーフェクト”だ。パーフェクトゲームとは、ひとりのランナーも出さずに、27人に対し27のアウトを取って試合を終えることだ。ノーヒットで完封した上、フォアボールも出さず、味方のエラーもなかった試合のことを言う。同じ偉大な記録でも“パーフェクト”の方がはるかにむずかしい。“ノーヒット・ノーラン”はフォアボール等で何人出塁させても、いくつ盗塁を許しても、ヒットさえ打たれずに完封すればよいのだが、“パーフェクト”は27人をきっちりアウトにしなければならない。


 2010年6月2日、メジャーリーグでパーフェクトゲームになりそうな、いや、なるはずの試合があった。デトロイト・タイガース対インディアンス戦だ。タイガースのアルマンド・ガララーガ投手は9回2アウトまで打者26人で抑えていた。あとひとりで大記録達成だ。チームメイトも観客も(もしかしたら相手チームさえも)その偉業の瞬間を待っていた。その場に居合わせるだけでも名誉なことなのだ。27人目の打者はドナルド選手。ドナルド選手の緊張も半端ではなかったはずだ。不名誉な最後の打者になりたい訳がない。彼は必死でバットを振った。だが、無情にも打球は当たりそこねの凡ゴロだ。球は一、二塁間に飛んだ。この時点で誰もがパーフェクトゲームを信じた。一塁手のカブレラ選手が捕球し、一塁ベースカバーに入ったガララーガ投手に送球した。彼は必死でボールを掴み、しっかりベースを踏んだ。「アウトだ!やった!」『パーフェクトゲーム達成!』 …のはずだった。だが、余裕でアウトかと思われたその時、一塁のジム・ジョイス塁審の手は横に広がった。『セーフ』と判定されたのだ。この瞬間、チームメイトは一斉に頭を抱え、観客は言葉を失った。ガララーガ投手は苦笑いだ。打者のドナルド選手も『えっ?』と驚く大誤審だった。

 逆の見方をすれば、この審判はプロフェショナルだと言える。普通は、このような場合、審判はアウトと判定するものだ。もし、アウトかセーフか分からないというギリギリの場面であっても、ほとんの審判はアウトとコールするだろう。審判は試合の演出家でもあるからだ。ファンあっての球界なのだ。だが、ジョイス塁審は、パーフェクトがかかっている大事な試合でも信念を貫いた。

 つい10日前の5月29日、フィリーズの右腕エース、ロイ・ハラデー投手がマーリンズ戦でパーフェクトゲームを達成した。近代野球とされる1900年以降では、ワールドシリーズの1度を含めて18度目の快挙だった。(それ以前には、1880年に2度達成されているだけだ。)110年で18回しか成し遂げられていない大記録なのだ。ガララーガ投手の失望と悔しさは想像できる。『間違いなくアウトだ!』自ら捕球し、ベースを踏んだガララーガ投手自身が分かっていたに違いない。もちろん、タイガースのリーランド監督は猛抗議したが、判定が覆る訳がない。観衆からは大ブーイングが巻き起こった。だが、ガララーガ投手は冷静だった。次の1番バッター、クロー選手を三ゴロに仕留め、打者28人、内野安打1本という3-0の完封勝利で試合を終えたのだ。

 試合後、一塁塁審ジム・ジョイスはあっさりと誤審の事実を認めた。ジョイス塁審は「あのときはセーフだと思ってジャッジしたが、ビデオを見て間違いだと分かった」と話し、ガララーガ投手に直接謝罪した。ガララーガ投手にしたら、たまったものではない。「ふざけるな!」と怒りをあらわにしてもおかしくない場面だ。だが、彼は違った。「パーフェクトな人なんていない」と、その場でジョイス塁審を許したのだ。

 自分だったらどうしただろう。考えてみたが、セーフと判定された時点で怒り狂っただろう。試合を中断するぐらいの勢いで抗議したとしか思えない。ぼくだけではないだろう。ほとんどの人が似たような精神状態に陥り、同じような行動を起こすのではないだろうか。大記録を逃がした投手が、もし、彼ではなかったら、抗議むなしく涙にくれる悲劇のヒーローとなり、判定したジョイス塁審は世界中からいたぶられ攻撃され続けていただろう。

 事実、翌日の米紙はこの問題を取り上げた。デイリーニューズは1面で「史上最悪の判定」と報じ、ニューヨーク・ポストはパーフェクトを捩(もじ)って「“完全”犯罪」の見出しで伝えた。タイガースが本拠を置くミシガン州のグランホルム州知事は「審判は誤審を認めたのだから完全試合を認定すべきだ」とする公式声明を発表した。ホワイトハウスまでもが動いた。ギブス大統領補佐官は、記者会見で「ガララーガ投手に完全試合の栄誉を与えてほしい」と語った。たかが野球のことで、と思ってはならない。スポーツが政治を動かしたり地域の紛争に発展してしまったりすることはめずらしいことではないのだ。

 試合直後からガララーガ投手の救済策をめぐり全米が沸騰した。だが、メジャーリーグのセリグ・コミッショナーは『誤審は訂正しない』という方針を表明していた。当然、判定は覆らない。思えば、1986年にメキシコで行われたサッカーワールドカップでのマラドーナの“神の手”も、シドニー・オリンピック柔道100kg超級決勝で篠原選手が金メダルを逃してしまったのも誤審によるものだ。人間が裁くのだから誤審は付きものだと分かってはいても、それが明らかな時は簡単に納得できるものではない。


 運命のいたずらか、次の日の主審は当事者であるジョイス審判だった。観客は彼を許さない。許すはずがない。ブーイングは容赦なくジョイス審判を責め続けた。彼にしても、どんな想いでグラウンドに足を踏み入れたか。国中からバッシングを受けているのだ。苦しかったに違いない。それでも『どんな非難にさらされても…』と試合に出て来た彼もまた偉い。そんな中、タイガースのリーランド監督が粋な対応を見せた。普通、試合前のメンバー表の交換は両軍の監督がホームベースまで行き審判を介して行うのだが、この名監督は「こいつを持って行ってくれないか」とガララーガ投手にメンバー表を手渡した。ガララーガ投手は笑顔で応えた。彼はホームベースに歩み寄り、ジョイス塁審とガッチリと和解の握手を交わしたのだ。なんて素敵な演出だろう。この心優しい計らいにジョイス審判は思わず号泣した。その瞬間、スタンドのブーイングや野次も大きな拍手と声援に変わった。見ていたぼくまで涙があふれた。


 ガララーガ投手には母国ベネズエラのチャベス大統領からも温かいメッセージが届いた。彼の快投はもちろんのこと誤審を認めて謝罪したジョイス塁審に対する寛容な姿勢を讃えたのだ。このことが、険悪状態にあるアメリカとベネズエラの関係の雪解けに一役買うことになるかもしれないという話も出てきている。実直な審判とベネズエラ出身の28歳の若者は、世界にものすごいメッセージを発信した。“過ちを認める潔さ”とそれを“許す心”。この出来事に心洗われた人は少なくないだろう。不穏な空気が晴れそうもないこの世界だがまだまだ捨てたものではない。


(C)2010 SHINICHI ICHIKAWA
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