<百六十二の葉>
フトシ回顧録
夏の思い出(一)

 2010年夏、日本列島は茹(う)だるような暑さに包まれた。夏に強いオレだが、さすがにこの暑さにはついていけない。37℃とか38℃とか、これは一体何の真似だ。ふざけるな!我慢にも程がある。日本全国いたるところで茹蛸(ゆでだこ)が出来上がっているらしいが、もっともな話だ。何?茹蛸はちょっと不謹慎だ?…た、確かにそうだ。不謹慎極まりない。オレ自身がのぼせていたようだ。素直に謝りたい。『諸先輩方、誠に失礼致しました。口が滑りました。お許しください』


 オレは、今年も盆休みを利用して実家に帰った。盆に墓参りは欠かせない。ご先祖様の前に佇むと不思議と素直になれるものだ。墓参りから帰ると、心のどこかに閊(つか)えていたものが知らぬ間に無くなっていた、というようなことが幾度もあった。中学生の時の野球大会の前、高校時代の柔道の試合前、大学受験前、オレは、事ある毎(ごと)に墓の前に立ち、じいさんやばあさんに健闘を誓った。そして、墓に敷き詰めてあった石の中から小さな石を選び、それをお守りとして持ち歩いた。小石の効果は絶大だった。すべてが希望通りにいった訳ではないが、粗方(あらかた)の願いは叶えてくれた。努力したなりの結果を得られたと言っていい。ただ、不思議なことに、石は結果が出る頃になるとどこかへと消え失せてしまった。

 幸せなことに親父もお袋も健在だ。帰りを待っていてくれる人がいるというのは幸せなことだ。オレにはもうひとり、親父やお袋に負けないくらい帰郷を待ちわびてくれている盟友がいる。甥のタローだ。最強の小学校3年生が、オレの帰郷を手薬煉(てぐすね)引いて待っている。

「来たな、エーガ!」(まずはご挨拶)
「おう!待たせたな」(同等の挨拶を返す)
「いつまでいられんの?」(何よりこれが大事だ)
「明後日には帰らないといけないんだ」(正直に伝えること。余計な期待を持たせてはいけない)
「…よし、今日の今からと明日はず〜っと遊ぶからな!」(少々大げさだが、一緒に遊べてうれしいという気持ちの表れだ。当然、オレもその気持ちがうれしい。この時、午後1時)

 タローはオレのことを“エーガ”と呼ぶ。周りが『映画のおじちゃんだよ』と言っていた名残だ。『太いおじちゃんだよ』と呼ばれなくて本当によかった。

 小学校3年生に対して、適当な返答は許されない。『よし、分かった』なんて言ってしまったら最後、休憩さえも許されなくなる。“ず〜っと遊ぶ”と約束することは、文字通り、切れ目無く遊ぶということだ。小学校3年生の体力、気力はばかにならない。食べる量もそうだが、大人顔負け、いや、遊びに対する情熱なんぞ、大人のそれとは比べものにならない。その上、交渉は細かく綿密だ。

「いやぁ、エーガは休憩をいれないとダメだ。ずっとは遊べない」

 アホらしいが、自分のことをエーガなんて言うのにも慣れてしまった。交渉には、正直さ、真っ直ぐさも必要だ。小学校3年生は、こちらの言い分もきちんと考慮してくれる。

「じゃあ、2時間遊んで、10分休憩ね」(とりあえずは適当に言っていると推測するが如何に)
「いや、1時間遊んだら30分休憩だ」(こちらは、どうしてもある程度実現性を考えてしまう)

 遊ぶのも休憩するのも一緒にいるんだから関係ないのに、とも思うのだが、それは、あくまでも大人の理屈だ。タローにとっての休憩は“遊んでない時間”に他ならない。子供にとっての“遊び”とはそれほど重要なものなのだ。

「だめ!2時間遊んだら15分休憩」(こちらの要求通りにいく訳はない)
「10分遊んだら、1時間昼寝をしよう」(もちろん、冗談での発言だ)
「あっ、そんなこと言ったら3時間遊んで5分の休みにするよ」

 タローの目には、ふざけたことを言っているとひどい目に遭わすぞという妖しい光がちらつく。程よいところで手を打たなければならない。

「2時間で30分の休憩はどうだ?」
「…」

 タローは真剣に考えると、目を輝かせて言った。

「2時間で20分ならいいよ」

 あくまでも、タロー中心の交渉だ。最終決定はタローでなくてはならない。このあたりでうまくまとめたい。遊びの大半は屋外で行われる。この凄まじい暑さの中、1日中走り回るには少々歳を取り過ぎている。実際には炎天下で1時間も遊べるはずはないのだが、遊びの内容、持っていきようによっては、うまく回避することができるかもしれない。それに、ずっと、楽しみに待っていてくれたタローの気持ちも酌んであげたい。

「よし、分かった!2時間で20分の休憩にしよう」(ある程度の覚悟は決めた)
「うん!」

 タローは、これ以上ないという満面の笑みだ。思い描いていた楽しい時間が始まるんだという期待感が身体全体に現れていた。

「まずは、野球ね!」

 キャッチボールからだ。異論はない。かく言うオレもグローブは持参していた。タローとオレは、近くの空き地に向かった。オレが生まれた町には、キャッチボールをするぐらいの空き地ならまだいくらでもある。キャッチボールは子供との交流には欠かすことができない遊びだ。オレも、小学校に上がるとグローブを買ってもらい、親父とよくキャッチボールしたものだ。相手の胸を目がけて投げること。へそから上に来たボールはグローブを上向きに、下に来たボールに対しては、下向きにすることなど野球の基礎中の基礎を学べる。ボールは手から手へ。白球には自然と思いがこもる。しばらくすると、タローが言った。

「エーガ、おれがピッチャーね、キャッチャーやって」(主役はピッチャーだ)
「OK、でも交代にしよう!3アウト交代だ」(ずっと、キャッチャーをさせられてはたまらない)

「わかった〜」(ここは素直に応じる)

 オレは腰を落とし低く構える。タローはワインドアップから回転のいい球を投げ込んできた。いい球だ。

「ストラ〜イク!」

 球は、思いのほか速い。球筋はよくコントロールされているから、あっという間に三振だ。問題はオレの方にあった。タローへの返球がうまくいかないのだ。適度なスピードで投げることができない。どのくらいの力で投げたらいいのか加減ができないうえに、20代前半のときにやっていた草野球で痛めた肩が疼く。オレからの返球は暴投の連続となった。最初は黙ってボールを拾いに行っていたタローも次第に苛立ってきた。

「なんだよ〜、ちゃんと投げろよ〜!」(気持ちは分かる、すまない)
「ごめんな〜!」(平に謝るしかない)

 こんな時は、気にすればするほど、うまくいかなくなるのが道理だ。そのうち、タローは呆れて家に戻ってしまった。オレは、情けないやらばつが悪いやらでトコトコと後から付いて行くしかなかった。タローは無言で家に入った。機嫌が悪くなったのではと思いきや、そうではなかったらしい。オレが家に入るとテーブルには将棋盤がセットされていた。

「今度は将棋ね!」

 どうやら、キャッチボールはある程度満足したらしい。タローの頭の中は、どれほどの遊び計画が詰まっているのか。小学校3年生には、小学校3年生で対抗するしかない。オレは、自分の中に“小学校3年生の自分”がジワジワと蘇(よみがえ)ってくるのを感じ始めていた。 (つづく)


(C)2010 SHINICHI ICHIKAWA
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