<百六十四の葉>
フトシ回顧録
夏の思い出(三)

 オレは、濃いお茶をすすりながら子供の頃のことを思い出していた。タローとの無邪気な時間を過ごすうちに、ヤスシとの数々の出来事が頭を過(よ)ぎったのだ。ヤスシは、オレのふたつ下の弟でタローの父親だ。子供にとって2年の差は大きい。そこには、残酷と言ってもいいほどの厚い壁がある。同じ学年でも、四月生まれと早生まれでは体力や知力に差が出てしまう。保育園児と小学校2年生、1年生と3年生では、目の前に広がる世界がまるで違うのだ。

 歳の差というのはおもしろい。年齢を重ねるほど、“差”を感じなくなるかと思えばそうでもない。オレとヤスシのような2歳差の兄弟の場合で考えてみよう。高校生の頃は、年齢差が歴然としていた。22歳と24歳、30歳と32歳では、傍目(はため)には同じように見えたかもしれない。しかし、ふたりの間には差が確かにあった。36歳と38歳、47歳と49歳となれば見た目にはどちらが上か分からなくなる。それでも差はある。まだ見ぬ世界だが、72歳と74歳、88歳と90際となればどうだろう。若輩者の想像に過ぎないが、どうでもよくなるなんてことはないのだと思う。やはり、2年の差は厳然と存在し続けるのではないだろうか。しばらく前に旅立ってしまったが、100歳の双子、きんさんとぎんさんにも“姉”と“妹”がはっきり見て取れた。『兄弟や幼なじみだからか』と問う人がいるかもしれないが、そうとも限らない。オレたち日本人は、年上の人にはそれ相当の礼儀が必要だと当たり前のように考えている。だからなのか、オレは“老人”とか“年寄り”などという言葉があまり好きではない。自分の祖父のことは、“じいさん”と呼ぶが、よその方に向かって“お爺さん”“ご年配”“ご老体”なんて言うことは考えられない。“シニア”なんて尚更だ。どこからか借りてきた言葉のようでしらじらしい。かといって“翁”(おきな)や“嫗”(おうな)では古すぎる。そうやって考え抜いた末、オレは年配の方々のことを“諸先輩方”と呼んでいるのだ。洋の東西を問わず、年配者を労(いた)わろうという気持ちは同じだと思うが、東洋の倫理観はちょっとだけ違うような気がする。2500年前の思想家の想いが静かに息づいているのだ。


 オレは、2年生の誕生日にじいさんから自転車を買ってもらった。何?小学校2年生か中学校2年生かって?馬鹿も休み休み言え、小学校2年生に決まっているではないか。中には、中学校2年生で初めて自転車を買ってもらったという人もいるだろうが、文章には文脈というものがある。流れを読み、筋を掴めば誰にでも簡単に理解できるではないか。…(咳払い)。もとい。オレは、8歳の誕生日にじいさんから自転車を買ってもらった。ブルーの車体に金色のスポークが輝く美しい自転車だった。その感動と言ったらなかった。バイクや自動車を初めて手に入れたときのうれしさなど比較にもならない。天にも昇る気持ちとはまさにこのことだ。じいさんとカンダ輪業に自転車を見に行ったときのことを…、家の前の道に自転車を積んだトラックが入って来たところを…、自転車がトラックから降ろされる場面を…、オレは、忘れることができない。真新しい自転車にいきなり飛び乗ると、オレは全速力でこぎ出した。初めての道、初めての景色、オレは新しい世界の中を飛ぶように走っていた。

 大人になったオレたちは、何をもらったとしても、あの時と同じような喜びを手にすることはできないだろう。自転車は、子供の世界から少年の世界へ移行するためのパスポートのようなものだ。この二輪のマシンは、行動範囲を一気に広げてくれた。オレは、遠くに住む友だちの家にまで遊びに出かけるようになった。自転車で風を切るのが楽しくて楽しくて、すぐに自転車の虜(とりこ)になった。ただ…、ただひとつだけ困ったことがあった。オレの心を惑わす大きな問題があった。ヤスシだ。年長クラスとはいえ、保育園児のヤスシにとって小学校2年生のオレは憧れでしかなかった。自慢話をしているのではない。誰にとっても、兄ちゃんとは何でもできる、何でも知っている尊敬すべき存在なのだ。出来がよかろうが悪かろうが、見栄えが良かろうが悪かろうが、背が大きかろうが小さかろうが、“兄”は“兄”なのだ。兄弟がいる人は思い起こしてほしい。あなたが、兄であっても、姉であっても、弟であっても、妹であっても、オレの言っていることが痛いほど分かるはずだ。

 ヤスシは一瞬たりともオレの側を離れなかった。何をするにも、どこへ行くにも、後をピッタリと付いて来た。下品な言葉を使わないといけないが、ションベンをするのも一緒だった。便器の前にふたり並んで『エックスこうげき〜』と声を揃え、二本の水流を交差させた。水流は見事に“X”の形となって便器に突き刺さった。掃除をするお袋はさぞや大変だったことだろう。察して余りある。本当に申し訳ない。…。今でもたいして変わりはない。タローもオレを追いかけて便所にまで付いてくる。そして大小問わずに用をたしている最中でも平気で話かけてくる。オレも平気のへいざだがね。オレたちこそが、本当の意味での臭い仲だと言える。


 オレは、よくヤスシを泣かせた。いつもいじめていた訳ではないが、この年頃の子はちょっとのことですぐに泣く。ただ、その泣きっぷりはスカッと爽快だ。ヤスシは、どんなに泣かされても怯(ひる)まなかった。『ニッちゃん』『ニッちゃん』と言って、何があろうとオレから離れようとしない。…。ニイちゃんがなまってニッちゃんになったのだが、こんなことまで説明しなければならないのか?…(咳払い)。これだけ慕われてうれしくないはずはない。表面上はどうであれ、本当は、兄は弟のことがかわいくて仕方ないのだ。オレは、友だちと遊ぶようになると、面倒だと思いながらもいつもヤスシを連れて歩いた。近所で遊ぶ分にはよかった。歩いて行ける範囲ならば何も問題はなかった。だが、遠くへ行くとなるとそうはいかない。

 自転車で出かけるには、ヤスシを巻く必要があった。自転車を持っている友だちたちとまだ見ぬ世界へと繰り出すのだ。足手まといがいては、皆に迷惑がかかる。それに、自転車を持っているのに(もう子供ではないのに)いつも弟連れではかっこ悪い。オレは、ヤスシの目を盗んでひとりで出かけようと脱出を試みた。だが、忍び足で玄関に向かいズックを履いているときに、ドアを占めた瞬間に、自転車に跨(またが)った途端(とたん)に、ヤスシはオレがいないことに気付き大声で『ニッちゃん〜!どこお?』と叫んだ。そして、血相を変えてオレを探すのだ。その様子を見たお袋はオレをどなる。

「フトシ、何やってるの!ヤスシを連れていきなさい!」

 今でも昔でもお袋には頭があがらない。オレは、トボトボと部屋に戻るしかなかった。ヤスシがテレビに夢中になっているときや、ゴロンと眠たそうにしているときがチャンスだった。運良くヤスシに知られずに自転車に乗り、通りに出られたこともあった。『よし、やった!』オレは、心を躍らせながらペダルを踏み込んだ。だが、何ということか。十中八九、ヤスシが追いかけてきた。オレがいないことに気付き、泣き喚きながら必死で追いかけてくるのだ。

「ぎやあああああああぐごうわあああああ〜〜〜〜」

  ヤスシの叫びが追いかけてくる。

「ぎあげあぐがあああごうああががががああぎげああ〜〜〜〜」

 尋常ではない。叫びは天にまで届きそうだ。ヤスシにとって、オレがひとりで遊びに行ってしまうということは、この世がひっくり返るぐらいの出来事だったのだろう。まるで、今生(こんじょう)の別れのような叫びを聞きながら、オレは、心を鬼にしなければならなかった。当時のオレは、刈り上げ頭で後ろ髪などはなかったが、進んでも進んでも響いてくるヤスシの声にどれだけ戻ろうと思ったか知れやしない。それでも、オレは、唇を噛み、力を振り絞ってペダルを踏み続けた。『はあはあはあ…』だいぶ先に来た。引き離しただろうと思い振り返ってみると、はるか向こうから黒い点のようなものが近づいてくる。

「ヤ、ヤスシだ…」

 ヤスシは、オレの姿が見えなくなっても構わずに全力で追い続けていたのだ。何がヤスシをそこまでさせたのだろう。オレはいたたまれなくなった。ヤスシのいじらしさと健気(けなげ)さに打たれたオレは、引き返すしかなかった。ゆっくりと前輪を回すとヤスシに向かって自転車を走らせた。そして、オレは、一向に泣き止まないヤスシを自転車の後ろに乗せて、友だちの元へと再び向きを変えた。 (つづく)


(C)2010 SHINICHI ICHIKAWA
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