<十七の葉>
「食」について

 脳内麻薬のせいだった。その快感を求めて我々は食べ続ける。

 『ラーメンやフライ等の油もの(高カロリーの油脂を多く含む食べ物)が止められない原因として、摂取直後に大量の脳内麻薬が分泌され快感を感じる仕組みがあることを京都大学大学院農学研究科の研究グループが突き止めた。』最近の新聞に載っていた記事だ。『人間は食事の際、脳内で「ベータ・エンドルフィン」と呼ばれるホルモンが分泌され快感を覚える。これは脳内麻薬のひとつでモルヒネと同じ作用を持つ』とある。要するに人は皆、生まれながらにして脂肪中毒ということなのだ。人類は約500万年前に誕生してから長い間、飢餓と闘わなければならなかった。そのせいで無意識のうちに体内に脂肪を貯めよう貯めようとする。進化の過程で生き抜くにはそうするしかなかった。だからこのホルモンは、「これでしばらくは生き延びられる。よくやった」という脳からのご褒美なのかもしれない。マラソン選手にも同じようなことがある。ランナーズ・ハイだ。かなりのスピードで長距離を走っているにも係わらず苦しさが一気に消えて、得も言われぬ気持ちよさに包まれる時があるという。この場合も脳内麻薬である「ドーパミン」が分泌されて快感を与えてくれる。マラソンなら苦しみに耐えての果てのご褒美とも思えるが、このベータ・エンドルフィンと食欲の関係については現代人としては複雑な部分もある。

 脳の指令は絶対だ。それに背けるほどの強い意志を持つ人が果たしてどれくらいいるだろうか。これはいけないのだとどんなに理解していても脳の指示に勝つのは難しい。アルコールやニコチンがそうだ。一度これらの快感に溺れてしまったら抜け出すのは容易ではない。常習性の強い薬物ならなおさらだ。この点では人間は本当に弱い。弱いということをもっと自覚しなければならない。自分の脳が要求していることに抗うなんてよくよく考えたら変な話だが、全くをもって人間は自分自身の要求と戦わなくてはならない不条理な存在なのだ。この欲求には人間が長年に渡って考えに考え抜いた“知恵”で対抗するほかはないのだが、どんなに知恵を絞っても、強い意志で打ち勝とうとしても、医療の力を借りても、最後には力尽きて敗れていく人がたくさんいる。

 油脂類摂取後のベータ・エンドルフィンの脳内分泌が発見されたことによって、何が変わるのか、何かが良くなるのか。新聞によると「同じ快感レベルの低カロリー油などができれば肥満防止や改善に繋がる可能性もある」ということだ。病気やダイエットに苦しむ人にとっては朗報だろう。将来、いいか悪いかは別として自分の体を自由にコントロールできるような物質ができても不思議ではない。

 どうせ食べるのなら好きなものを食べたいと思うのは当然のことだ。特に外食する場合に顕著になる。言っておくが僕はけっしてグルメではない。食べたくないものもたくさんある。まず、生ものが食べられない。新鮮な海の幸に恵まれた九十九里で生まれ育ったにも係わらずだ。魚に限らず生っけのあるものは受け付けない。ロースト・ビーフやミディアムのステーキもだめだ。肉でも魚でもよく焼いたもの、よく煮てあるものがいい。安上がりにできているのか高級なもの、特に珍味系にはまったく興味がない。店では(たぶん同じような人はたくさんいると思うが)注文するものが偏ってしまう。同じ場所でいつも同じものを頼む傾向にある。次回はこれを食べようなんて思っても次に来たときにはやはり同じものを頼んでいる。ベータ・エンドルフィンによる快感を覚えてしまっていて失敗を恐れてしまうのか。一回の食事ぐらい、と思うがそうもいかないのだ。

 好物のひとつに蕎麦がある。三日に一度は食べたくなる。それも冷たいもの、もり蕎麦に限る。海苔が乗っていると蕎麦の風味が味わえないから嫌だし(たまに大根おろしを付ける)暖かい蕎麦はどうしても歯ごたえに難がある。暖かくても美味い蕎麦にはめったにお目にかかれない。ラーメンと同じで90点以上のものにはおそらく10年に一度ぐらいしかめぐり会えないだろう。80点台なら3、4年に一度、70点台でもよしとしなければならない。十分においしい部類に属する。幸いに70点以上の店なら数軒なじみがあるので不自由はしない。蕎麦殻がちょっとまじっていて黒いツブツブがまぶしてあるような十割蕎麦でも、上品なグレイの二八蕎麦でもかまわない。当たり前のことだが美味いということが重要だ。立ち喰い蕎麦にだって美味いところはある。店によって30点から70点と味にかなりの差があるのはしょうがない。自分でも市販の乾麺を茹でる。歯ごたえがしっかりするようにさっと茹でる。汁(つゆ)は関東の辛めの醤油がベースになっているものがいい。千葉には醤油の名産地が2ヶ所ある。野田と銚子だ。小学校3年生の時に遠足で銚子のヒゲタ醤油の工場を見学した。鼻を突くものすごい匂いが印象的だった。やっぱりこの味がいい。量も大事な要素だ。全体的に食べる量は減ったが、蕎麦だけは大盛りにしたい。時々申し訳程度の蕎麦がちょこんと乗っているような気取った店があるがいくら美味くても(その店は特に美味くはなかった)興ざめしてしまう。大盛りもやってないなんて言う。ふざけるな、二度目はない。それに大盛りでもせめて150円〜200円ぐらいにしてほしい。並600円、大盛り900円ではなんだか損した気分になってしまう。味もそうだが店を出る時に「また来たい!」と思わせてくれる店がいい。この部分は結局どんなものでも同じだ。もちろん音楽も!
 御託を並べる店も嫌だ。美味い、不味いは食べた客が決めること、店の親父に決められたくはない。グルメ本もまず間違っていると思ったほうがいい。悪いことなんて書いてある訳はないのだ。ワサビ、ネギ、蕎麦湯も重要なポイントだ。三角巾に割烹着姿のおばちゃんの笑顔付きだったら申し分ない。いい店はすべてに気を使っている。完璧なバランスの蕎麦には山形で出会った。山形で食べたほとんどの蕎麦は美味しかった。レベルがかなり高いように思う。

 食べ物の話も尽きないようだ。今回は蕎麦の話だけで終わってしまった。さて、何やら腹が減ってきたぞ。そろそろベータ・エンドルフィンにご登場願おうか。
 

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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