<百七十の葉>
フトシ回顧録
千葉島(上)

 「千葉って“島”なんですよね」

 社員食堂でカツカレーの大盛りを食っていたオレは、右横数十センチのところから発せられた言葉にハッとして、声の主を探した。見ると、オニヤマがいつものように存在感をまったく感じさせずに、黙々と弁当をつまんでいる。“気配を消す”というのは武道の極意でもある。そう簡単にできるものではない。荒行苦行を積んだ武道家の中でも、一握りの者しか到達できない境地と言ってもいい。いつの間にそんな達人技を、とオニヤマの顔を覗きこもうとしたが、馬鹿馬鹿しくて止めた。オニヤマは特別だった。天性のものなのだ。

 いつの間にかオレの横に陣取っていたオニヤマには、少々びっくりしたが、オレの脳は、そんなことよりも不可思議な発言の方に反応していた。千葉が“島”だと?何を間の抜けたことを言っているんだ。それにしても、いきなりこんな言葉を投げかけるなんて、オニヤマのヤツ一体どういうつもりなんだ。オレが千葉の田舎育ちだってことをヤツが知っていてもおかしくはない。だが、なぜ、“島”なんだ?そんな話、聞いたことがない。千葉が陸の孤島とでも言いたいのか。それとも、今、千葉だけで特別に流行っているものでもあるのか。

 会社の40周年記念式典以来、オレたちは急接近していた。オレにとっては、まさに、困ったときの神頼みで、ヤツの類(たぐい)希(まれ)なる映画の知識に何度窮地を救ってもらったことか。ヤツもオレには大分慣れたようで、時々、恥ずかしそうにだが、自分の思いを口にするようになっていた。オレ自身、そんなオニヤマの態度が嫌いではないから、いつもはおもしろがって見ているのだが、この言葉ばかりは真意がつかめない。皆目、見当がつかないのだ。

 人間は、自分の常識や通念から遠く離れた事柄を事実として受け止めるのが苦手だ。もしも、言葉ではなく文章であったなら、オレは、『千葉って“鳥”なんですよね』と読み違えていただろう。無理やりだが、地図を見ると千葉県の形が鳥に見えなくも…。すまない。鳥には見えない。だが、少なくとも、島よりは結びついてもおかしくないように思える。あっ、千葉県の形を模(かたど)った動物といえば、2010年ゆめ半島国体のマスコット、チーバくんがいるではないか。何を隠そう、オレはチーバくんがす、な、何を言わせるんだ。


 「オニヤマ、千葉が“島”だって?一体どういう意味だ」

 オレは、おもむろに聞いた。何もなかったようにコーヒーをすすっていたオニヤマは、待ってましたとばかりに一冊の本をそっと差し出した。振り向きもせずに。タイトルは『島旅はいつも自転車で』。シェルパ斉藤という自転車男の著作だ。これを見ろということだろう。意外に思われるかもしれないが、オニヤマの趣味は自転車だ。時間を見つけてはツーリングに出かけているらしい。本をパラパラとめくると何が書いてあるかはだいたい分かる。自転車で島を巡った著者の案内書だ。目次には、波照間島、八丈島、種子島、周防大島、隠岐の島、神島…。島の名前がずらっと並んでいる。島でないのは房総半島だけだ。問題は、島に特化した本になぜ房総半島が載っているかということだ。オレは、房総半島のページを開いた。

 『…太平洋と東京湾に挟まれた房総半島は当然として、注目すべきは陸地の県境だ。千葉県は、利根川と江戸川によって他県と隔てられていることが分かる。つまり、千葉県は陸地続きではなく、周囲はすべて水で囲まれている。だから、定義上“島”と呼んでも間違いではない…』

 な、なんだと!?本当なのか?これが事実だとしたら、知らなかった自分がはずかしい。というより、こんな大事なことを何で教えてくれなかったんだ。そもそも、島とは何だ?半島とは何だ?オレは、オニヤマに目で合図をして、自分のデスクへと急いだ。島、島、島…。

 『島(しま)とは水域に四方を囲まれたオーストラリア大陸より面積の小さい陸地をいう。オーストラリア大陸より面積の大きな陸地は大陸と呼ばれる』

 何?オーストラリア大陸より小さい陸地?知らなかった。誰がそんな事を決めたんだ。この地球に暮らして50年、そんなことも知らなかった。情けない。

 ■島…4方位(全方向)を水に接している
 ■半島…3方位が水(海、川、湖など)に囲まれている地域
 ■地峡…2方位が水(海、川、湖など)に接している陸

 半島は、3方位が水に接している陸地のことだから、単純に考えると房総半島は名の通り、北側が陸続きだということになる。だが、シェルパ斉藤の説だと千葉県は、利根川と江戸川に…。ち、地図だ!オレは、地図帳を広げ、利根川と江戸川の接点を探した。

 「……」

 繋がっている…。確かに、利根川は、野田市関宿町でそのまま銚子へと流れる利根川と浦安の東側から東京湾に注ぐ江戸川に別れていた。オレたちは、島民だったのか…。一瞬、ショックを感じたがなんのことはない。本州も歴(れっき)とした島だ。オレは、もともと島民だ。というか、日本人全員が島民ではないか。

 だが、千葉県が島という“発想”はおもしろい。失礼、発想ではない。千葉県が島という“事実”がおもしろい。そんな思いで地図を眺めてみると、不思議な感覚に包まれる。橋がなかったら、歩いて他県には行けないのだ。今は、電車や道路が発達しているおかげで、陸続きと変わらなぬ生活をしているが、もし、橋がなかったとしたらどうだろう。船で渡るか、泳ぐかしかない。昔の人は、浅瀬を探して渡っていたのだろうか。だが、少なくとも、鎌倉時代には馬で渡れたはずだ。そうでなければ、頼朝の挙兵はならなかっただろう。


 ほとんどの千葉県人が、千葉県は陸続きだと勘違いしている。いや、千葉県人だけではない。日本人のほとんどが千葉県は本州の一部だと当たり前のように思っている。それにしても、先入観というか、思い込みとは本当に恐ろしいものだ。オニヤマの謎かけがなかったら、オレは、生涯この事実を知らなかったかもしれない。おかげで、千葉県のことを違う角度から見てみようという気になった。オニヤマにまんまとしてやられた。憎い男だ。 (つづく)


(C)2010 SHINICHI ICHIKAWA
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