<百七十五の葉>
フトシ回顧録
合言葉大作戦(上)

 クリスマスが過ぎた日曜の午後、オレは、散歩に出かけた。休日だと言うのに、空気はどことなく忙(せわ)しい。街中が、新年を前にして無理やりつじつまを合わせようとしているようにも見える。1時間ほどぶらっとして間もなく家に帰り着こうかという時に、ポケットの中の携帯が震えた。手にとって見ると、画面にはヤスシの名が浮かんでいる。正月の打ち合わせだろうか。オレは、通話ボタンを押すと携帯を耳に付けた。いきなり飛び込んできたのはタローの声だった。

「もしもし、エーガ?」

「おっ、タローか。どうした?」

「お願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「あのさ、お年玉なんだけどさ、ハナちゃんより500円多くほしんだけど」いきなりお年玉アップの要求だ。それも、金額の提示ではなく、姉より500円多くほしいときた。はははは、おもしろい。子供らしい発想にオレは当然乗る。

「いいよ、分かった」
即答だ。ただ、この場合の“分かった”はタローの言う通りにする、という意味ではない。単にタローにだけ500円多くあげたのではハナがかわいそうだ。タローの発想に沿いながらも、二人が喜ぶようなイベントにしてあげようというオレなりの決意を込めた“分かった”なのだ。子供にとって、お年玉は多い方がいいに決まっている。だが、金額アップの要求ではなく、姉より500円多くもらいたいという愉快な提案をしてきたタローの遊び心に報いてやりたかった。タローは、ふざけたことを言っていると分かったうえで伝えてきたのだ。ただし、タローの言葉の裏側には、あわよくば願いを叶えてくれるかもしれないとか、ダメだと言われても何か別のおもしろいことをしてくれるだろうとかいうおおいなる期待が込められていることを忘れてはならない。

「やったあ!」
元気な声が心地よく響いた。子供が子供でいられる時間はそう長くはない。タローには、小学校3年生としての本領を思う存分発揮してほしい。あと何年かすれば中学生だ。

「今日はこれから、何すんだ?」

「年賀状書くんだよ。パパに代わんね」
タローは、思いを伝えるとすぐに電話を放りだした。子供との会話に余韻などない。

「正月はいつ来んの?」
とヤスシ。

「1日の夜だな」

「何時ごろ?」

「7時ごろかな」

「そうか、じゃあ、会えないかもしれないな。」
ヤスシ一家は、1日の夕方にミトさんの実家へ行き、3日の夜に戻る予定だという。オレも4日から仕事だ。3日の夜には東京に戻っていたい。ハナとタローに直接お年玉を渡せるかどうか微妙なところだ。

「会えなかったら、お袋にお年玉渡しとくよ」

「わかった、ありがとう。じゃあね。」
ヤスシもあっさりと電話を切る。お年玉か、会えないとなると…。どうしたものか…。オレは、毎年、お年玉の渡し方には工夫をしている。子供にとって、お年玉は年頭を彩(いろど)る大イベントだ。華々しく盛り立ててあげたい。ワクワク感やドキドキ感が増すような演出をしてあげたいのだ。子供は、心を配ったなりの反応をみせてくれる。直接渡せないならば、渡せないなりに盛り上げられないものか。さて、どうする。

 このように考えてしまうのは、オレの習性のようなものだと思っていたが、もしかしたら、お袋によって培われたものかもしれない。オレが子供だった1960年代の日本は、奇跡的な高度成長の真っ只中にいた。歴史上、例をみないほどの見事な復興劇だったが、当時は戦争が終わって、まだ10数年しか経っていない。ほとんどの家庭が苦しかった。クリスマスの夜、定番の靴下型のお菓子箱を用意するのだって大変だったはずだ。それでも、お袋は、いや当時の母親たちは、オレたち子供に夢を持たせようと必死でがんばってくれた。本当にありがたい。あのお菓子の入った靴下の箱がどんなにうれしかったことか。言い換えるならば、オレは、あの時の気持ちをタローに伝えているだけなのだ。そんなお袋たちに育てられたオレたちが社会の中核を支える時代となった。同輩諸君、いかがなものか。もう少し、心豊かな国にしたいとは思わないか。

「来た!」
突然閃(ひらめ)いた!よし、いいぞ。これなら行ける!オレは、すぐに着信履歴からヤスシにダイヤルし、開口一番言った。

「ヤスシ、タローを出してくれ」
タローはすぐに出てきた。

「なあに?エーガ」

「タロー、あのな、正月におばばの家で会えないかもしれないんだ。」

「えっ!?何で?」

「タローたちが、家に帰ってくるころには、エーガも帰っちゃってるかもしれないんだよ」

「そうかあ…」
ちょっと、声のトーンが下がる。

「会えなかったら、おばばにお年玉渡しとくからもらってな」

「うん、分かった」
下がったトーンは一瞬にして上がる。

「でもな、おばばに合言葉を言わないともらえないよ」

「えっ!合言葉?何て言えばいいの?」

「ふふふ…それは、今は言えない。今から手紙に書くから、それを覚えてちゃんと言うんだぞ」

「分かった!待ってるね。早く書いてね!」
タローはおもしろいことが始まったぞとばかりにはしゃいで電話を切った。想像するだけで笑いが止まらない。お袋の前に正座したタローがこう述べるのだ。

『麗しきご尊顔を拝し、恭悦至極に存じ奉ります』

 タローには何のことか分からないだろうが必ず言う。お年玉のためだ。言われた方のお袋も目を丸くするに違いない。痛快だ。『うるわしきごそんがんをはいし、きょうえつしごくにぞんじたてまつります』オレは、葉書にひらがなで書いた。待てよ。この場合“合言葉”とは言わない。合言葉と言ったら『山!』『川!』あるいは、スローガンのことではないか。何と言うんだ?“決まり文句”…“呪文”…いやいや、“口上”だ!おもしろくなってきた。オレは、葉書を手に再び外へと飛び出した。 (つづく)


(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME