<百七十八の葉>
フトシ回顧録
合言葉大作戦(下)

 この計画を成功させるには協力者が必要だ。そもそも、この作戦は、正月にオレとヤスシ一家が会えないかもしれない、ということに端を発している。オレは、3日の夜のうちに東京に戻らなければならないし、ヤスシ一家も3日の夜まではミトさんの実家だ。帰宅は深夜になるだろうから、もし、会えたとしてもイベントを催すには無理がある。眠い目のタローに無理やり口上を述べさせたところで何になる。ハナとタローの笑顔が見たいだけなのだ。

 お年玉を直接渡せないのなら何か方法はないか、と考えたところから始まった大作戦だが、オレひとりが張り切ったところでどうにもなるものではない。独り相撲で、絵に描いた餅になってしまうことだけは避けたい。成功は、ホソダ家の4人のおとなにかかっている。親父、お袋、ヤスシ、そして、ミトさんの協力が不可欠なのだ。たかだか数分のことかもしれない。だが、集中力が必要とされるむずかしい仕事だ。4人の間に温度差があってもならない。

 オレもおとなの端くれだ。威勢だけでは物事が成り立たないということも知っている。様々な状況を想定してシミュレーションしてみたが、うまくいくとは限らない。かんばしくない事態も想像される。最悪なのは『タロー、ハナ、これエーガおじちゃんからのお年玉ね』と言って、オレの力作が入った袋ごとさらりと渡されてしまう場合だ。これでは、オレの努力が水泡に帰してしまう。緊張のあまり顔が引きつったまま渡されるのも困るし、逆に、ラフ過ぎて大笑いしながら渡されるのも困る。さすがにこれらは考えにくいが、最初からネタをばらされることだけは何としても避けたい。特に、勘の鋭いハナには感づかれないように進めたい。

 お袋には何度でも念を押す必要がある。正月、会った時に伝えればいい話だが、語らずにはいられない。オレはすぐに電話をかけた。タローにはポチ袋を5つ作ったこと、タローが『ご尊顔を拝し〜』と口上を述べたらポチ袋を渡してほしいこと、お袋→親父→ヤスシ→ミトさん、と回って最後にまたお袋に戻ること等を噛んで含めるように伝えた。最初は笑って聞いていたお袋だったが、終には、オレの熱意に絆(ほだ)されたのか、真剣みを帯びた声が返ってくるようになった。最後の『フトシ、わかった』という言葉がいつになく引き締まっていたことでも、チームリーダーとしての自覚を持ったことが分かる。これでいい。そして、お袋さえ理解してくれれば親父に伝わったも同然だ。お袋が口をすっぱくして伝えるに違いない。『おとうさん、分かったの?』と発案者のごとく何度も念を押してくれるはずだ。ヤスシにも同様に伝えた。


 そして、いよいよ1月3日がやってきた。昼飯後、お袋、親父と最終確認を行った。なぜか中心になって話をするのはお袋だったが、指示は的確だ。『分かった』『はい!』親父とオレはただ相槌を打った。その時、オレの携帯が鳴った。ヤスシからだ。

「アニキか、今日、8時にはそっちへ行くよ」

「本当か!?」

「タローが早く帰りたがってるんだよ」
オレに会いたいのか、少しでも早くお年玉を手に入れたいのか、どちらかは分からないが、どちらにしても子どもらしい。これで、タローの口上を直接聞ける。

「なんだって?ヤスシが帰ってくるの?」
横からお袋が口を出してきたがかまわずに続けた。

「オッケイ!分かった。待ってる。気をつけてな」

 電話を切るとその旨をふたりに伝えた。親父もお袋もうれしそうだった。午後は、3人で墓参りだ。ここ数年恒例となったご先祖様への正月の挨拶だ。ホソダ家とお袋の実家ウスイ家、両家の墓を訪れ手を合わせた。


 夕食を早めにすませたオレたちは、正月の特別番組を見ながらヤスシ一家の到着を待った。柱時計が7時半を指した時だった。『フュッ、フュッ、フュッ、フュフュッー〜』かろやかな口笛が鳴った。電話だ!オレの携帯の着信音は口ぶ…ま、待て、今、そんな話をしている場合ではない。

「エーガ〜、もう着くよ!」
タローの声だ。

「分かった、待ってるぞ」

 オレは、ヤスシとミトさんに渡すポチ袋をズボンのポケットにしまい、お袋は第1の袋と第5の袋を、親父は第2の袋をこたつの中に隠した。

「おとうさん、だいじょうぶ?タローが何か言ったら渡すのよ」
タローが言うのは、何かではなく口上だが、そんな分かりきったことを言われても親父は素直に返事をする。どちらが大物だか分かったもんではない。『ブウウウウン〜』車の音だ。来た!車が停まり、ドアが閉まる音がすると同時にタローが駆け込んできた。

「来たよ〜〜!」
満面の笑みだ。

「おう、タロー、来たか」
オレは、タローに応じながら、後から来たヤスシとミトさんにこっそりと第3の袋と第4の袋を渡した。手はず通りだ。

オレは、まず、ハナにポチ袋を手渡した。
「はい、お年玉。今年もがんばってね」

「ありがとう!」
ハナはうれしそうにそれを手にした。よし、次はタローだ。

「タロー、葉書は持ってきたか?」

「ううん、持ってきてない。でも、覚えたよ〜」

「えっ!」
予想外だった。

「偉いなあ、よく、覚え・」
言い終わらないうちにタローが口を開いた。

「じゃあ、いくよ〜」
いきなり来た。タローは、おとな5人の中心に移動し直立した。直立?いぶかしむ暇もない。タローはそのまま身体をふたつに折り、頭を膝にピタッと付けた。おお、なんと体が柔らか‥感心している場合ではない。タローは体を折り曲げたまま大声で叫んだ。

「麗しきご尊顔を拝し、恭悦至極に存じ奉ります!」

朗々としたいい声だ。だが、この姿勢はなんだ?…そうか!し、しまった。体勢までは約束していなかった。口上は、正座をして言うものだと思っていたのはオレたちおとなだけだった。まったくの先入観だ。タローには分かるはずもない。いや、本当は分かっていたのかもしれない。恥ずかしさを隠したかったのだろう。照れ屋のタローらしい。それにしても、世にもめずらしいポーズだ。オレは、水泳の飛び込み以外でこんな格好を見たことがない。こんな姿で口上を述べたのは、日本史上タローが初めてではないだろうか。呆気にとられたままの空気をお袋が破った。

「タロー、よく言えました。はい、お年玉」
といって、“オレ”からのお年玉を手渡した。

「ありがとう!」
元気のいい声でお袋に礼を言っている。タ、タローそれはオレの、オレからの…。もう遅い。そこまでは考えていなかった。だが、安心しろ。だいじょうぶだ。ポチ袋の中には、ちゃんとオレの名が記してある。それに、お袋からのお年玉は元旦にもらっているはずだ。タローは、すぐにポチ袋から500円玉が3枚だけ貼り付けてある一筆箋を取り出し、眼で文字を追った。それを横で見ていたハナが小さな声でつぶやいた。

「めんどくさそう…」

「えっ…!」
た、確かにそうだ。面倒くさいという“面”もある。5年生のハナにはそう思えたのだろう。素直な感想だ。だが、鋭い。痛いところを突かれたオレは、怯(ひる)みそうになったが、それでも、気を取り直してタローの次の行動を待った。きっと、きっと、タローは、タローなら…。タローは『次はおじじのもとへ』と書いてあるのを確かめると親父の元へ走った。

「おじじ、ちょうだい!」
手を差し出した。

「タロー、おじじにも言わないとね」
オレが言うと…

「言ったよ〜、みんなに言ったよ!」
そうだったのか。タローは、その場にいたすべてのおとなに対し、口上を一度で済ませたのだ。一度だけではダメという約束などしてはいない。一本取られたな。オレは、苦笑するしかなかった。それでも、第2の袋をうれしそうに探り、ヤスシ、ミトさん、お袋と楽しそうに回り、第3、第4、第5のポチ袋を愛おしそうに開いてくれた。『気持ちは通じたな…』オレは、ホッとしてその様子を眺めていた。

「エーガ、お年玉ありがとう!!!」
タローは帰り際、満面の笑みで答えてくれた。それで十分だった。

「おう、じゃあ、またな!」
ヤスシの車を見送りながら歩き出したとき、車の中からハナの声が漏れ聞こえてきた。

「エーガが一番楽しそうだったね」

そ、その通りだ。とほほほほ…(涙)

(了)


(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
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