<百八十六の葉>
詩10編 〜1990年代〜

 1990年代、ぼくは、よく詩(のようなもの)を書いた。がむしゃらに突っ走ってきた20代が終わり、現実と向き合わなければならなくなったころだ。20代後半、ぼくは、近藤真彦バンド『YAMATO』を脱退し、『NUDE』というトリオバンドを結成した。シンプルなロックで勝負をという意味でのネーミングだった。契約したレコード会社ファンハウスとは“売れる曲”を巡ってよくやりあった。ぼくは、変なところで根性を出しすぎてしまったらしい。結局は、バンドを解散し、レコード会社もお世話になった所属事務所も飛び出すという形になってしまった。

 『NUDE』の後半は、思うようにいかないというジレンマに陥(おちい)り自分を責めるようになっていた。その結果、作品やプレイに自信が持てなくなり現場から逃げ出したくなった。焦りもあった。甘えもあっただろう。だが、当時は、自分自身を客観的にみる余裕などなかった。ぼくは何が何でもひとりになりたかった。ぼくのせいでバンドとバンドを取り巻く環境は一気に勢いをなくしてしまった。レコード会社、事務所、音楽出版社等の関係者だけにではない。バンドのメンバーにも迷惑をかけてしまった。当時『NUDE』に関わってくれた人たちの顔は今でもはっきりと覚えている。誰もが一生懸命やった結果なのだからと言ってしまえばそれまでだが、期待に応えられなかったことが残念でならない。それでも、もし、当時売れていたとしたら、ぼくは、きっと今のぼくではないはずだから、どちらがよかったのかは誰にも分からない。

 事務所からのギャラもなくなり、ぼくは30歳を過ぎてから無職となった。それからの数年は、経済的というよりも精神的に厳しかったが、ベースを弾き、歌い、曲を作り続けた。一般的に言えば、このような時期を“苦労”の時代というのだろうが、苦労だなんて思ったことはただの一度もなかった。好きな道を歩んでいるのに“苦労”なんて言葉が思い浮かぶはずはないのだ。“修行”の時代ならしっくりくる。

 当時書いた“詩”を読んでみると、あのころの心境がよみがえってくる。『進むべき道はこれでいいのか』『自分はどうしたいのか』『何をすればいいのか』模索し迷いながらも懸命に進んでいたころの詩だ。拙(つたな)くてはずかしいものもあるが、考えてみると、自分の詩を発表できるなんて幸せなことだ。現在の環境に感謝しつつ10編を選んでみた。30歳前後の皆さんには「悩みなんてあって当然、心配しなくてもだいじょうぶだよ」ということを伝えたい。


『夏』

春が追いかけ
秋が振り向く

冬は永遠に会えない



『進化』

プカプカと浮いていたい
ぼくの中の魚がつぶやく


『意志』

ぽつんと…
たっているのか
たたされているのか
花瓶の中の
一輪の花


『道』

目の前に広がる
数え切れない道と

歩いてきたただひとつの道と


『迷い』

そろそろ寝よっかなぁ
でも眠くないなぁ
どうしよっかなぁ…


『決断』

やっぱり寝よう!
“パチッ”


『ある公式』

知ろうとしないこと
  =
知っているふりをすること
  <
知らないこと


『祈り〜John Lennonに捧ぐ〜』

あの人の蒔いた種が
実りますように…

あの人のたどった道が
とぎれませんように…

あの人の見上げた空が
いつまでも青くありますように…

あの人に…

あの人にふれた風が
ぼくにとどきますように…


『アテタマガサ』

アイデンティティー
ティータイム
タイムマシーン
マシンガン
ガン細胞に
サイボーグ


『そっとはじめよう』

そっとはじめよう
静かにはじめよう
ずっとずっと
願ってきたことだから…



(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
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