<百九十一の葉>
携帯音楽プレーヤー(下)

 1979年7月、初代ウォークマンが発売された。今ではウォークマンというとフラッシュメモリー搭載モデルのことを指すらしいが、ぼくたちの世代にとってのウォークマンは今でもカセットウォークマンだ。発売当時、高校3年生だったぼくには、この世紀の発明がかけ離れた世界の出来事のように感じられた。外を歩きながら音楽を聴くということを誰もがイメージできなかった時代だ。社会の評価も『何もそこまでして…』というようなムードだったと思う。事実、当初はあまり売れなかったらしい。

 ウォークマンは、そのネーミングからして新鮮だった。発売当初から現在まで、ウォークマン=携帯音楽プレーヤーだから、意味など考えたことはなかったが、今更ながら訳してみると唖然とする。ウォーク=歩く、マン=人、合わせてウォークマン=歩く人…。本当にそうなのか?“歩く人が聴く音楽再生機”の略だとしてもかなり大胆なネーミングだ。“歩く男”とするならば“ウォーキングマン”でなければならない。更に言うと、『Walk man』が英語ならば、意味は“歩け、人!”だ。

 ウォークマンは、和製英語だ。和製英語とは、“英語風”の日本語のことだ。英語のようで英語ではない。英語をモチーフとし、アルファベットを用いた日本人にしか通じない言葉なのだ。ウォークマンという言葉自体は、ぼくたち日本人の耳には何となく心地よい。少々強引だが、どんな商品なのか説明を受ければネーミングの理由も理解できる。だが、当時は、英語圏の人々、ネイティブスピーカーにとっては、まったく意味不明の言葉だった。もし、日本でも“歩け、人よ!”“歩け、人類!”なんて名の商品が出たら、『何だ、それは?』ということになるだろう。いや、待てよ。あまりに突拍子もないネーミングで、逆に注目を浴びるかもしれない。

 現在は、世界中の人たちが、ウォークマンは携帯音楽プレーヤーの商品名だということを認識しているが、発売当初は違っていた。海外の販売会社が意味の分からない和製英語を嫌ったためだと言われている。アメリカでは、ウォーク・アバウト Walk about(歩き回る)、ラン・アバウト Run about(走り回る)からできた造語『サウンド・アバウト』Soundabout、イギリスでは、なぜか密航者を意味する『ストウ・アウェイ』Stowaway、スウェーデンでは『フリースタイル』Freestyleの商品名で発売された。どれをとっても、お世辞にもかっこいいとは言えないし、『ウォークマン』ほどのインパクトが感じられない。結局は、日本で『ウォークマン』を手に入れた外国人アーティストたちから口コミで広まり、『ウォークマン』が世界共通の商品名となった。1984年には早くもCD(コンパクト・ディスク)ウォークマンが登場した。当初はディスクマンと呼ばれていた。その後、1988年にビデオウォークマンが、1990年にDAT(デジタル・オーディオ・テープ)ウォークマンが、1992年にはMD(ミニ・ディスク)ウォークマンが、相次いで店頭に並んだ。DATとMDは、今では、過去の産物になりつつある。

 それにしても、和製英語はおもしろい。いくつか例をあげてみよう。まずは『サラリーマン』。この言葉も日本でしか通じない。サラリー=給料とマン=男(サラリーマンは男のことを指すのでここでは男と訳します)とでサラリーマン。“給料男”…なのか?あんまりではないか。“給料を渡す男”ではなく“給料をもらう男”の意なのだろうが、すさまじい略し方だ。ちなみに、サラリーマンのことを英語では『white-collar worker』あるいは『office worker』と いう。意味は分かるが、何だか味気ない。もうひとつ、馴染みの深いところで“ガソリン・スタンド”。日本では“ガソリン(gasoline)”を売っている店(stand)というところからこう名付けられたが、英語では『ガス・ステーション 』gas stationあるいは『ペトロール・ステーション』petrol stationという。アメリカ、イギリス等、英語圏で車に乗ることがあったら気をつけたい。

 よく考えてみると、“和製英語”という言葉自体がすごい。“日本で作られた英語”…。御見逸れ致しました(笑)。和製英語は、ポップでありカラフルだ。万葉の時代から言葉を慈しんできた日本人の遊び心が随所に散りばめられた何とも楽しい表現方法ではないか。普段の生活に密着している分、親しみもある。


 ウォークマンの話に戻ろう。ぼくは、1981年にリリースされた第2代ウォークマンWM-2型を手に入れた。20歳だった。ぼくのように、興味がありながらも遠巻きに様子を見ていた人たちが飛びついた。結果、この機種は爆発的に売れ、携帯音楽プレーヤーの基礎を作った。ウォークマンとの日々は新鮮だった。

 ある日、ぼくは、グランド・ファンク・レイルロードのライブアルバムを録音したカセットテープを愛用のウォークマンに入れ、吉祥寺の家を出た。家からの道は、30メートルほど歩くと五日市街道にぶつかった。そこにある信号の付いた横断歩道を渡って駅へと向かうつもりだった。頭の中では「アーユゥレディーイー〜」 グランド・ファンクの名曲Are you ready? が鳴り響いていた。『もちろん、OKだぜぃ』と心のエンジンはいきなりフル回転だ。五日市街道に差しかかったとき信号は赤だった。右からも左からも車は来ない。手前側に1台の車が停まっているだけだ。グランド・ファンクのビートがぼくの足を止めてくれない。ぼくは、ササッと左右を確認すると、大丈夫だと道路を渡り始めた。その時だった。停まっていた車の陰から、別の車が飛び出してきた。『アッ!!』と思ったその瞬間、ぼくは後方に飛びのいていた。車は急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。ジャンプしたぼくの右足の脛にバンパーがあたった。

一瞬のできごとだった。びっくりしたが、痛みはない。「だいじょうぶですか!!」と真っ青な顔で降りてきた40歳ぐらいの女性の目の前で屈伸をしても何ともない。急ブレーキの音を聞いて飛び出してきた近所の人の目も気になった。ぼくは「だいじょうぶです。行ってください」と運転手を帰してしまった。運転するようになった今なら分かる。だいじょうぶだと言われたとしても病院に連れて行くのがドライバーの義務だ。ぼくは、何もなかったかのようにそのまま駅へと向かったが、駅に近づくにつれて次第に足が重くなってきた。そのうち、歩くのもきつくなってきた。当然だ。車は幹線道路を普通に走っていたのだ。最低でも40キロは出ていただろう。ぼくは、這うようにして家に戻り近くの病院へと向かった。

 今でも、外では、グランド・ファンクは聴かない。グランド・ファンクが悪い訳ではないが、車にぶつかった時の事を思い出してしまうのだ。歩きながら音楽に集中しすぎると危ないということだ。気を付けたい。

 携帯プレーヤーは、今後どのような道をたどるのだろうか。指先ほど小さく、クレジットカードのように薄く、より小型化されていくのだろうか。今年の秋からAppleが、iCloud という新しいクラウドサービスを開始するらしい。クラウドとはネット上に“雲”のように広がっているサーバー群のことだ。プレーヤー自体には音源が入っていなくても、前もってその“雲”に曲を預ければ、いつでも好きな時に好きな曲を聴けるようになるというのだが、詳しいことは分からない。デジタル分野の進歩は恐ろしいほどだ。2年後、3年後の予想すらできない。

 レコードで音楽を知り、カセットテープを楽しみ、ウォークマンやCDの誕生に驚愕したぼくたちの世代は本当に幸せだ。DATやMD、レーザー・ディスクが活躍した時期も知っている。ハードディスクやメモリー・スティックの恩恵にも与(あずか)れた。ここからの10年、20年も楽しみでならない。音楽の分野に限ってだが、後世、『1950年〜1970年代に生まれた人たちは幸せだった。黄金の世代だ』と言われるときが来るような気がしてならない。
(了)

(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
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