<百九十三の葉>
イチロー

 ぼくは、毎朝、マイルス・デイビスのマイルストーンズで目覚める。この曲を携帯電話のアラームに設定しているのだ。『パッ、(1拍休み)、パッ、(1拍休み)、パッパ、(2拍休み)。パッ、(1拍休み)、パッ、(1拍休み)、パッパ、(2拍休み)。パッ、(1拍休み)、パッ、(1拍休み)、パッパ、(1拍半休み)、パー〜〜、(1小節と3拍伸ばして1拍休み)※都合8小節』マイルスの軽快なサウンドが、ぼくの一日の始まりを告げる。起き上がると同時に携帯に手を伸ばし、アラームの停止ボタンを押すのだが、3月末からこの時期(9月末)にかけて、必ず続けざまにすることがある。ぼくは、アラームを止めるとそのまま左手の親指を右にずらし、間髪いれずにネット通信のボタンを押す。有料のスポーツサイトを見るためだ。

 それほどまでに気になるのは何か。イチロー選手の試合での成績とその内容だ。彼の所属するシアトル・マリナーズのファンには申し訳ないが、今のチーム事情を考えると勝ち負けはどうしても二の次になってしまう。イチローが何本ヒットを打ったのかを確認するためだけに、ぼくはサイトをのぞく。起きる時間によっては試合が始まっていないこともある。だが、たいていは、試合中や試合が終わった直後だ。今日は何本のヒットを打ったのだろうか。ヒットは内野安打だったのか、クリーンヒットなのか、はたまた二塁打だったのかホームランだったか。アウト内容も気になる。内野ゴロだったのか、外野フライだったのか。三振は喫したか。盗塁は…。ぼくは、これらの情報から自分なりの判断でイチローの状態を把握する。

 イチローファンとしては、ヒット1本では満足できない。2本でもまあまあだ。ヒット3本でやっと合格、4本ならば『よし!』となり、5本となれば『ヨッシャー!』と声が出る。まあまあだとか合格だとか、何を偉そうにと叱られそうだが、言葉の矛先は、もちろんイチローではない。自分自身の満足度を測るための尺度でしかない。ヒット3本で合格点なんて普通では考えられない。1試合にヒット2本が出れば万々歳の世界だ。並の選手ならば3本なんて1年に何度かあればいい方だろう。イチローには、そんなファンの勝手な要求さえも簡単に受け入れてしまうような懐の深さがある。もっと、もっとと、より高次元の結果を期待させてくれる何かがあるのだ。

 9月29日、シアトル・マリナーズは今シーズンの最終戦を迎えた。イチローは、メジャーリーグに移籍した2001年から昨年2010年まで、10年連続で年間200本安打を記録していた。メジャーリーグの長い歴史の中でも、10年連続で200本以上打った選手はイチロー以外にはいない。とてつもない記録だ。また、試合数の違いはあるが、日本のプロ野球で1シーズン200本安打を達成した選手は、イチロー(1997年)、青木宣親(2005年・2010年)、アレックス・ラミレス(2007年)、西岡剛(2010年)、マット・マートン(2010年)の5名しかいない。100本打てば一流打者と呼ばれるのだ。

 それでも、もし、彼が本当の天才で、練習もせずに楽々と毎年200本以上のヒットを重ねてきたとしたら、そこには何の魅力も感じなかっただろう。イチローは、ぼくたちと同じ心を持ち、緊張し、惑わされ、後悔し、迷いながら偉大な記録を重ねてきた。そして、そんな心模様を隠そうともしなかった。だからこそ、底知れぬ魅力を感じるのだ。

 イチローは、今シーズン、前人未到11回目の、そして、11年連続の200本安打を狙っていたが、結果は184本、打率2割7分2厘に終わった。11年連続打率3割以上という記録も途絶えてしまった。スイングスピードの低下、動体視力の低下、4月の成績がよかったから等、様々な理由が取り立たされている。だが、ぼくには10年間張り詰めてきた心が、ほんのちょっと休ませてくれと言ったとしか思えない。確かに5月、6月のイチローは、おかしかった。打てない時期があれほど続いたなんて今でも信じられない。マスコミの報道は、日々加熱していった。ニュースでは、連日、あと何試合で何本と具体的な数字が伝えられた。数字では絶望的な状況に陥ってもイチローはスタンスを変えなかった。どんな状態であっても自分のすべきことを黙々とこなすだけだと言わんばかりに、ひたむきにバッターボックスに立ち続けた。その姿に勇気付けられた人も多かったはずだ。ぼくには、刀をバットに代えた真のサムライにしか見えなかった。

 今シーズン、カージナルスの主砲プホルス選手もイチローと同じように、自身が持つメジャー記録を更新することができなかった。イチローと同じ2001年にデビューし、その年から続けていた打率3割、30本塁打、100打点という大記録が11年目で途切れてしまった。数字から見るとイチローよりも悔しい結果だ。本塁打は37本を放ち、メジャー史上初の新人から11年連続での30本を記録したが、打率は2割9分9厘、打点は99。あと1厘、あと1打点だった。悔しくないはずはない。それでもプホルスは、個人成績には執着せず「10月に戦えるチャンスを得られたことがうれしい。」と、最終戦でのプレーオフ進出を喜んでいた。この潔さは見事だった。

 歓迎したくないニュースもあった。メッツのレイエス選手が、打率3割3分7厘で球団初の首位打者に輝いた。前日までブルワーズのブラウン選手と1厘差の激しい争いを展開していたレイエスは、レッズ戦の1回に三塁線へのバントヒットを決めるとベンチに退いた。彼としては、してやったりのセーフティバントだっただろう。だが、本拠地にもかかわらずスタンドからは、ブーイングが巻き起こった。本人は「タイトル獲得は、チームやファンのためでもある」と釈明したが、後味の悪さだけが残ってしまった。全打席立つべきだった。その上での首位打者獲得だったら、ブルワーズのファンどころかすべての野球ファンが彼を讃えただろう。争ったブラウンも握手を求めただろうし、他の選手たちからも一目置かれる存在になったに違いない。だが、残念ながら、レイエスは、個人成績優先の道を選んでしまった。このようなことは、日本でも当たり前になっている。首位打者を争っている相手の結果に応じて、試合に出たり出なかったりする光景を何度見てきたことか。監督の言葉に従ったなんていう言い訳は通用しない。「行きます!行かせてください!」と言えないのはなぜだ。

 姑息な手を使って得た首位打者と正々堂々と勝負した挙句の2位とではどちらに価値があるのか。言わずもがなだ。名だけは残るかもしれないが、そんなことに何の意味があるのだろう。ぼくたちファンは、数字や結果よりも、常に全力を尽くそうとする選手の姿勢にこそ憧れ、尊敬するのだということを忘れないでほしい。

 イチローは、試合後、笑顔で語った。「なぜか晴れやかですね。200安打に一応、区切りがついた。追われることがなくなったので、ちょっとほっとしている」正直な思いだろう。手かせ足かせを解かれた来年以降のイチローの活躍をとくとご覧あれ。

 彼は、50歳まで現役を続けたいと言っている。球団は日米を問わないという。あぁ…マリーンズに来てくれないかなあ。マリーンズのユニフォーム姿のイチローを見てみたい。「イチロー選手、マリナーズとマリーンズは名前が似ています!」「『Mariners』と『Marines』アルファベットならもっと似ています!」と伝えてくれる人がどこかにいないだろうか。

(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
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