<百九十七の葉>
即興詩

さて、困ったぞ
さっきからオレは何をやっているんだ
ただ、パソコンの前に座り
何か文字を書いては消し
書いては消しの繰り返しではないか
前々から、あれを書こう、これにしよう
なんて考えていたのに

分かってる
そんなことは重々分かってる
だけど、言葉がつながらないんだ
言葉は音符のようなものだ
音符がなければ音楽は生まれない

で、オレは考えた
この困った状況をそのまま文章に
詩にしてしまおうと

即興音楽のように
一発勝負の書のように

散文での即興詩だ
苦肉の策であることに違いはないが
救いはある

散文詩とは
散文の形式をとった詩で
内容や調子が詩体をなすもの
とあるが
さて、この詩は
詩か否か

読者に納得してもらえるのか
楽しんでもらえるのか
その前に、百九十七の葉としてひとりだちできるのか
今回も、書けなくてすみませんと発表して
この詩はお蔵入りってことになって
何ヶ月か後に、実はあのときこんなものを書きまして
なんてことになるかもしれなくて

それでも満足するまで書き続けるしかない
満足?う〜ん、するのか?これで
それでも、こんな形、つまり即興詩という
初めての形態に挑んだことには意味がある
と思う

思おう

そうだ、捨てたものではないぞ
ただでは転ばない、という精神が
決してあきらめないという心が
あるではないか

そう思うとなんとなく意欲も生まれてきた
でもって、もしかしたら、おもしろい作品になるかも
なんて楽天的な発想も生まれてきたから
おもしろい

突破口は必ずあるということだ
ははははは…
大げさだな
いやいや、そんなことはない
プロでもそうでなくても真剣さや向き合う心に優劣はない

そこんところを分からないプロは
真の意味でのプロではない
プロだからすごいなんて思ってるプロは
プロでありながらプロではない

ここで、ざっと読み返してみたが
なかなかいいじゃないか
悪くはない
言葉も音もリズムだ
文章はメロディーだと言えはしないか
これまでリズムとメロディーで飯を食ってきたんだ
自信を持てばいい

それにしても
チャレンジ精神は大切だなと
つくづく思う
悶々としていた数時間が
最後に挑んだ数十分が
未来のオレの
力の源となる

前と後ろは
後ろと前だ

今まで生きてきた道は過去だから
“うしろ”のはずなのに
“以前”といい
これから進む道は先にあるから
“前”のはずなのに
“以後”と言う

前と後ろは同じなのか
前も後ろも同じなのか

前と後ろが同じなら
本当に大切なのはやっぱり
“今”だ

こんな結論にたどり着くなんて
苦し紛(まぎ)れの即興散文詩にも
未来はあった

後ろと前がつながった



(C)2011 SHINICHI ICHIKAWA
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