<弐の葉>
「2」と「1」の話


 『県民の2流意識を払拭するために球団が必要だった。』2005年10月26日、千葉ロッテ・マリーンズが阪神タイガースを破って日本一になった次の日の新聞に載っていた言葉である。この言葉の主は14年前にマリーンズの誘致に奔走した中心人物であった。ある種のショック、驚きと共に10代のころによく聞いた言葉を思い出した。「千葉県人は逆境に弱い」とか「あきらめが早い」、あるいは「楽天的すぎる」という類の言葉である。たとえば、北海道や九州から東京に出るのにはそれ相当の覚悟が必要だ。簡単には帰れない。それに比べて千葉の人は帰ろうと思えばすぐに帰れるし、気楽に行ける。だから覚悟が足りない、という訳だ。単に地理的な問題として語られていたとしたら悔しい(それだけではなかったかもしれない)が、当時は「へえ、そうなんだ。」と、何となく納得していた。だが、今、よく考えるとそんなことはあるはずもない。確かに楽天的な面はあるかもしれない。しかし、楽天的なのは大きな魅力のひとつだ。長島茂雄・全日本監督を見よ!マラソンの小出監督を見よ!(ご存知だとは思うがこの2人は郷土の先輩である。)逆境時にこそ力を発揮する!

 2流と言われるのは気分としてでも腹が立つが、もちろん人間性や人格のことを言っていたのではなく、東京には敵わない的な意識のことを言っていたのであろう。そういう部分ならあっただろうなと思える。いや、千葉に限らず地方で暮らすすべての人々の心のどこかに、東京に対する憧れに似たような気持ちがあった。違ってきたなと思う。年齢を重ねてこう思うようになったのかもしれないが、最近は地元を大切に、誇りに思う人たち(特に若者)が増えたように思う。地方のオリジナリティに目が向けられるようになったのか。素晴らしいことだ。BRUのような集まりは、たぶん47都道府県でも初の試みだと思う。福岡県などものすごい数のアーティストを輩出している県でも、こういった“県という枠組み”でのミュージシャンの集まりはないように思う。この“1番”には特別の価値がある。今では珍しくないメジャーリーガーだが、野茂選手は道のないところを行った。その勇気と勇姿に感動した。(※メジャーリーガーとしては過去に村上投手がいたが彼の後に道は続かなかった。)そして野茂選手の切り開いた道はたくさんのメジャーリーガーをはじめ、サッカー、バレーボール、バスケット、ラグビー等の選手へと続いた。僕は松井、イチロー、田口、井口をはじめ、中田、中村、田臥、丸山ら世界で活躍するすべての日本人アスリートを応援しているが、野茂選手のことは今でも特別の意味を込めて応援している。BRUの会員はまだ100人にも満たないし、野茂選手の場合とはまったく違う次元だけれど、その意義と志は同じように大きい。

 交通手段の発達と共に日本は狭くなった。先ほどの『地方に目が向けられるようになった。』という話にも関連してくるが、今は国内どこへでも簡単に行ける。僕がプロのミュージシャンとして活動し始めた1980年代前半は、いや、つい10年ぐらい前までは名古屋や仙台での仕事は泊まりだった。旅は(コンサートやライブで地方に行くことも旅という。)いい。何度行っても、それが同じところでも飽きることはない。それがグリーン車や飛行機移動の大名ツアー(こう言う)でも、車で回る貧乏ツアー(同)でも変わらない。観光地であるかなんてこともまったくもって関係なく、知らない街に行ける、知らない道を歩けると思うだけで、今でも前の日からワクワクするし、仕事でいろいろなところに行けるなんて幸せなことだ、とつくづく思う。 旅先での楽しみはそれぞれ違うと思うが、その土地の名産やおいしい物を探して食べるという楽しみはほとんどの人に当てはまると思う。僕にも年に何度かしか口にできないたくさんの好物がある。思い出すだけで飛んでいきたくなる。旅先でだけ会える友達もいる。これもまたいい。哀しいことに最近は長野や新潟までも日帰りになってしまった。

 さて、話を戻そう。マリーンズは千葉に来て初めて優勝した。初代のアジア・チャンピオンにもなった。ファンのすばらしさも称えられた。(これも誇りだ!)サッカーでジェフが続いた。ナビスコ杯で勝った!念願の優勝だ。そんな2005年にBRUは誕生した。『2005年は、マリーンズの優勝!ジェフの優勝!BRU設立!の年』、とはまず言われないだろうけど、それぐらいの気概を持って行きたいと思う。

(C)2005 SHINICHI ICHIKAWA
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