<二百三の葉>
安房狂想曲(二)

 春の嵐の中、東京駅をあとにしたぼくたちは、車のナビに従い館山へと向かった。先へと進む前に、訂正と謝罪をしなければならない。まずは、訂正…。ぼくが、改札口の正式な名を知らず、正確に伝えられなかったので訂正したいという意味だが、この場合、はたして“訂正”という言葉があたっているのかどうか。単に、ぼくが事実を知らなかったというだけの話なのだ。それでも、やはり訂正は訂正だ。…ん?“事実”?これも当たっているのかどうか。言葉の選択と使い方は本当にむずかしい。

 いきなり脱線してしまうが解剖学者の養老孟司さんが、言葉についておもしろいことを話していた。養老さんは『バカの壁』の著者としても有名だ。ぼくは、彼の人となりが好きだ。とくに言葉がいい。ぼくたちとはちょっと違った視線からものを見ている。独特の話しっぷりで、どんな人をも煙に巻いてしまう。その強引さゆえにたびたび誤解を招くようだが、ぼくには、彼の、言葉の歯切れの良さが心地いい。照れ屋で正直な人なんだと思う。ゆっくり話を聞いてみたいと思える人だ。

 養老さんが、“なぜ、日本人は英語を話せないのか”という問題について語っていた時のことだ。「日本人は、昔から勉強のことを『読み・書き・そろばん』と言っていたんですよ。この中に『話す』はない。読むことと、書くことに価値があったんです」と始まった。なるほど、確かにそうだ。興味深かったのは、その後に出た言葉だ。かいつまんで記してみよう。

 「日本人は、漢字とひらがなを別々の脳を使って理解している。ひとつの言語において複数の脳を使うのは日本語だけだ。漢字を絵として捉えるのは中国人も同じだが、中国語はひとつの“語”に対して発音は基本的にひとつしかない。ほとんどの言語がこれにあたる。それに対して、日本語には音読みと訓読みがある。例えば、“重”という字、おくり仮名に“い”が付けば『おも』と読み、“ねる”とくれば『かさ』と読む。音読みでは『じゅう』とも『ちょう』とも読み、名前では『しげ』とも読まれる云々…」

 脳をよく知る解剖学者が、日本語のような複雑な言語は他にはないというのだ。ぼくたち日本人は、これらを当たり前のようにして使っている。日本語を習得しようとする外国人の苦労が並大抵のものではないと分かる。養老さんは「日本人が、なぜ、英語を含め、他の言語を習得するのが苦手かを考える前に、日本語がどれほど複雑な言語なのか、脳がどのように使われているのかを勉強する必要がある」と結んでいた。英語の『I』は『私』であり『おれ』であり『ぼく』であり『わし』『おいら』『あたい』だ。この微妙で行き届いた表現の素晴らしさ。色の名前の美しさ。雨や雲の表現だって驚くほど豊富だ。ぼくは、養老さんの話を聞いて日本語の奥深さに改めて感動し、こんなところからも“侘び”や“寂び”が生まれるんだと誇らしく思った。日本語の“言葉”の、“名”の、麗しさを書いてきたところで本題に戻るが、皆さんが幻滅するのが目に見えている。ここで、気を取り直して、あるいは、一服でもしてもらって、ちょっと時間をおいてから続きを読むことをお勧めしたい。(※それでも、続けて読む方がいると思うので、3行ほど空けることにする。)

 間(ま)
※ぜひ、間を取ってからお読みください。



 ぼくとみっちゃんとの間に混乱と混迷をもたらした最大の原因は“名”だ。ぼくは、東京駅には『中央口』があると思っていた。だが、東京駅には、純粋に『中央口』という3文字の改札はない。『中央口』はないが、『中央口』が付く改札は、よっつもあることが分かった。『丸の内中央口』『八重洲中央口』『丸の内地下中央口』『八重洲地下中央口』だ。それだけではない。北口がよっつ(『丸の内北口』『八重洲北口』『丸の内地下北口』『八重洲中央北口』)、南口がよっつ(『丸の内南口』『八重洲南口』『丸の内地下南口』『八重洲中央南口』)。八重洲口にいたっては『八重洲中央口』『八重洲北口』『八重洲南口』『八重洲地下中央口』『八重洲中央北口』『八重洲中央南口』のほかに『京葉地下八重洲口』という改札口もある。なんとわかりにくいことか。一体全体、どんな理由があってこのような呼び名になったのだろうか。もともとは、丸の内側にしか改札口はなかったそうだ。改札口が増える度に、一応は考えたのだろうが、結果としては不自然なネーミングになってしまった。残念ながら、利用者のことを考えて名付けられたとは思えない。日常の中に東京駅が含まれる人たちにとっては当たり前の常識として通るだろうが、初めて訪れる人に対しては不親切極まりない。外国人ならばなおさらだ。携帯電話がある現代でも、ぼくとみっちゃんのようなことが起こるのだ。せめて、丸の内一番口、丸の内二番口とでもできなかったのだろうか。名付けた人物のセンスが問われる。いや心遣いの問題か。

 という訳で、ぼくがみっちゃんに対して、「中央口で待っている」と伝えた時点で、情報が不足していたということになる。『中央口南交差点』という名の交差点名もどうかと思うが、一事が万事だ。今後は、そういうものだと心してかからねばならない。知らなかったとはいえ、情報を的確に伝えるという最低限のことすらできていなかった。丸ビルや郵便局中央局というヒントになる情報を伝えたとはいえ、みっちゃんに対しては失礼なことをしてしまった。ここで、謝罪。「みっちゃん、ごめんなさい!」

 みっちゃんは、中央口がいくつかあることを知っていた。知りながら問題にしなかったところもみっちゃんらしい。ぼくを咎めなかったところも。さて、まとめ。普段東京駅をつかわないという皆さん、今後、東京駅で待ち合わせすることもあると思う。JR東京駅には、新幹線専用改札口まで含めると以下15の改札口がある。くれぐれもご注意を。

丸の内中央口
丸の内北口
丸の内南口
八重洲中央口
八重洲北口
八重洲南口
丸の内地下中央口
丸の内地下北口
丸の内地下南口
八重洲地下中央口
京葉地下八重洲口
京葉地下丸の内口
八重洲中央北口
八重洲中央南口
日本橋口

 重ねて言うが、言葉の選択や使い方は、本当にむずかしい。こんなことを書いている間に、ぼくとみっちゃんは、高速に載って『海ほたる』辺りまで来たということにしておこう。4月14日は、まだ始まったばかりだ。  (つづく)


(C)2012 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME