<二百四の葉>
日々是好日(四)

 『5月らしくないぞ』誰もがそんな思いで、今年の5月を過ごしたのではないだろうか。確かに変な天気が続く。まず、この時期にしては寒い。もっとも過ごしやすいと言われる5月の面目丸つぶれだ。ましてや、竜巻や雹が猛威を振るうなんて日本にはあるまじき…と言いたいところだが、我が国も生命体・地球の一部であることに変わりはない。人は、例外なく自然の恩恵も災いも受ける。天が与えるすべてを真正面から受け入れなければ、生きては行けないのだ。そこには、人知を超えた存在がある。だから、ぼくたち人類は天に地に、祈りを捧げてきた。自然の恵みに感謝し、天変地異には、ただひたすらにひざまずいてきた。日本は、地震が多いことを除けば、世界でも地理的に最も恵まれた国のひとつだ。自然の美しさは言うに及ばず、過ごしやすい風土はそれだけでも宝と言っていいほどだ。ぼくが生きてきたのはたかだか50年だが、これまでは、大地震も金環日食も竜巻も雹も映像の中だけのものだった。

 5月18日12時10分過ぎ、ぼくは仕事に出かけた。大雨と雷に注意との天気予報だったが、雨はパラパラという程度だ。空も明るい。ぼくは、これでいいかとビニール傘を手に取り外に出た。ところが、50メートルも行かないうちに、それこそ湖をひっくり返したような雨が落ちてきた。『バッバ、バッバ』とビニール傘を叩いたかと思ったらいきなり『ザザアアアアアーー』ときた。尋常じゃない。タイのスコールを思い起こすほどの豪雨だ。家に引き返すことも考えられたが最悪の選択だとすぐに悟った。ぼくは、目の前にあったトタン屋根の駐車場に駆け込んでいた。近くでワゴン車から荷物を降ろそうとしていたお兄さんも、開いていた後ろのドアから荷物と一緒に車に飛び込んだ。爆竹が鳴り響いているような空を見上げていると、少しでも飛沫(しぶき)を浴びないようにと膝を抱えた彼と目があった。こんなとき、人は必ず周りを思いやる。『だいじょうぶですか、しばらくの辛抱ですね』言葉はなくとも通じ合える。そして、いざというときには力を合わせましょう、ということも確認済みだ。

 突然、トタン屋根を打ち付ける音が変わった。『バアアアアアアーー』『ゴオオオオオオーー』から『バチバチバチバチッ』『ドコドコドコドコッ』へ。明らかに液体ではない何かがトタンやアスファルトを“打ち”つけて、いや、“撃ち”つけている。水飛沫があがる地面には白い氷の玉が出現した。氷の弾丸は、あっという間に山となった。雹だ。これほどの雹なんて見たことがなかった。ただ、ぼうっと観察しているうちに、ふと気付いた。「録音だ!」ぼくは、急いでアイポッド・タッチを取り出すと、録音のスイッチを押した。『バツバツバツバツ』ディストーションばりの猛音に針が振り切れそうだ。数分が過ぎた。雹の勢いは最高潮に達していた。そのとき「し、しまった!録音ではなく録画だった!」ぼくは、大急ぎで録画に切り替えた。だが、気付くのが遅かった。しばらくすると、直径8ミリほどの雹は、地面を真っ白に覆い尽くし、拍子抜けしたかのようにおとなしくなった。黒雲が去り、青空が広がった。わずか、5分ほどの出来事だった。録音した“音”は、何の音かさえわからないほどの凄まじさだった。そして、もう一方の“映像”だが、こちらもピークは越えていたとはいえ、地面に体当たりする雹の激しさは、はっきりと捉えることができた。

 『九十九ボーイ・第2部 欅物語』も『安房狂想曲』も始まったばかりだというのに、今回はどうして?という声も聞こえてくる。10日ごとに発表していたエッセイも無念ながら現在は20日ごとになってしまっているから尚更だ。“日々是好日”というタイトルのエッセイは4編目となるが、続きものではなく、徒然(つれづれ)に書いてみたいと思ったときに使う大切なタイトルだ。ひとつ前は、2年前の2010年7月10日に発表した百五十七の葉だ。読み直してみると、日々是好日の意味が分かりやすく書かれていてなかなか興味深い。この言葉の本当の意味からすると『晴れであろうが、大雨であろうが、雹であろうが、今を、今この時を前向きに生きることこそが大切だ』ということになる。ぼくたちの命は、自然の“あるがまま”を受け入れることが前提だから、何があろうと、何が起ころうと、生きて行くぞという覚悟が必要となる。人のDNAの中には、そんな気概が刻み込まれているのではないかと思われてならない。今、こうして当たり前の生活をしていられることがなんと幸せであることか。常人は、当たり前ではないことが起こったときにだけそんなことに気付く。だからこそ、時々“日々是好日”と唱えてみたくなるのかもしれない。

 ひとつ前の“日々是好日”に政治に関する記述があった。選挙を前に、日本の国会議員が得る高額報酬の異常さを書いたものだ。『国会議員の報酬を減額する』と堂々と公約した民主党が勝ったが2年経った今はどうだ?野党も追及しているのか。幕末、薩摩と長州を中心として反幕府勢力が天下をとった。新政府は、雲の上の存在だった徳川幕府亡き後、誰も手にしたことがなかった“自由”を手に入れた。新政府の人たちには、政治の、政治家としての見本を作ってほしかったが、清廉の人たちばかりではなく、自由を“好き勝手にできる”と解釈した人もいた。ある本にこんなことが書かれていた。新政府の議会の弁当の話だ。たかが弁当とは笑えない。ある議員が、我々は国民の代表なのだからと高級料理店に豪華な3重の弁当を注文した。昼になり、議員の誰もが『おっ、これはいい』と重箱を開けようとしたとき、西郷が黙って持参のでっかいお結びを出して「おいは、これでよごわす」とむしゃむしゃとやり始めた。大久保はじめ、誰もが弁当に箸をつけられなかったという話だ。新政府の議員が『国のために尽くしたんだ、これくらいはいいだろう』と考えても仕方がない。もし、ぼくがそこにいたら…。考えてみたが、やはり、3重の弁当を前に『しめしめ』と箸を伸ばしていただろう。それが、“普通”の人間だ。だが、西郷だけは高潔だった。どんな人だったんだろう。どんな顔をしていたんだろう。本を読めば読むほど、知れば知るほど、西郷の志の高さ、男らしさに惹かれてしまう。彼と同じようになんて生きられようはずもないがこんな人がいたんだ、こんな風に考えていたんだ、と知っているだけでも人生は変わるはずだ。

 天気の話から西郷の話へ、それこそ“自由”に綴ってしまったが『日々是好日と題して思い浮かんだことを記す』というのは、ぼくの中での決め事だから、脈絡がないと感じられた方がいたらどうかご容赦を。国がひとつにならなければいけない今、指導者はぼくたちをどこへ導いてくれるのか。あっ、自由ついでに、最後にもうひとこと。5月30日は、ぼくの母の誕生日だ。「お母さん、誕生日おめでとう!」


(C)2012 SHINICHI ICHIKAWA
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