<二百八の葉>
アリガッサマリョータ!(一)

 8月28日朝、ぼくは、TACOMAのアコベを抱えて京王線に飛び乗った。8月19日から、調布駅周辺の線路が地下化され、合わせて3つの駅が地上から姿を消すことになった。まさに今、3つの駅の新しい顔が急ピッチで整えられようとしている。市を南北に分断していた開かずの踏切は、その役目を終え、『カンカンカンカン』というあの独特の音を、ここで聞くことはもうない。日本の建設業の機動力は半端ではない。地上の駅舎は、あっという間に姿を変えるだろう。問題はその後だ。駅周辺は街の顔であり、街の印象を決定付ける。厚塗りの化粧を施した派手な顔になるのか、楚々とした凛々しい顔になるのか。市民の期待は大きい。

 朝のラッシュアワーは過ぎていたこともあって、車内の混雑はそれほどでもなかった。ただでさえ大きいアコベより、ひと回り以上も大きなTACOMAも邪魔物扱いされなくて済む。ひと安心だ。ぼくは、8月29日に行われるアコースティックベース2本のユニット『BB-43』のライブのため、28日から3日間の予定で奄美大島に行くことになっていた。『BB-43』は、ぼくが5弦の、相棒の藤田さんが4弦のTACOMAを使う。弦はともにブラック・ナイロンで、このベース2本のアンサンブルが『BB-43』サウンドの核になっている。同じメーカーの楽器でも音は微妙に違う。また、藤田さんとぼくが、違うメーカーの弦を使っていることも音が異なる理由のひとつだ。更に、指の太さや長さ、手の平の大きさ、腕の長さ等の質量、もっと言うと、左手の押さえ方や右手のタッチだけでも音は変わるから、誰ひとりとして自分と同じ音を出すことはできない。音とはそれほどまでに繊細なものなのだ。TACOMAは、アメリカ・ワシントン州のTACOMAにあるギター・メーカーでアコースティックギターやアコースティックベースを作っていた。作っていた、と過去形で書いたのは会社自体がつぶれてしまったという噂を聞いたからだ。実際のところはどうなのだろう。確かに、現在、日本では、TACOMAの新品を見かけることはまずない。中古品ですら、年に数本しか出回らないようだ。ぼくは、5弦を3年間探した。藤田さんが、お茶の水で偶然見つけてくれたのを思い出す。言わずもがな、ぼくは、すぐに飛びついた。それ以降も時々ネットでチェックしてはいるが見たことはない。

 8月27日深夜、ぼくは、BARAKAのツアーを終えて東京に戻った。関東は晴れて暑かったが、九州地方では大きな台風が猛威を振るっていた。台風15号は過ぎ去るかもしれないが、14号が戻ってくる可能性がある、という何とも中途半端な状況だった。深夜3時ごろ、ライブに備えて譜面の整理をしていたら、藤田さんから電話があった。『今、友だちから連絡があってさ、飛行機は無理かもしれないって…』声からは、あきらめのトーンも感じられる。中止になってしまうのか。ライブ自体は29日だったから、28日に飛べないとしても当日入りすればいいではないか、と思う人もいるだろうが、ことはそう簡単にはいかない。羽田からの奄美便は1日に往復1本しかない。もし、飛行機が飛ばなかったら、28日のチケットは払い戻しという形で処理され、29日便に振り替えてもらえる訳ではないのだ。29日のチケットも売り切れ状態だ。この時期、奄美へのチケットは取ることさえ困難らしい。28日に飛べなかった人たちが、数少ないキャンセル待ちに殺到することが予想される。奄美行の便がある福岡や鹿児島に行くことも考えられるが、時間、労力、お金をかけてもチケットが取れるという保証はまったくない。どう考えても、28日の便次第ということなのだ。奄美大島の『ASIVI』で行われるライブは、藤田さんと藤田さんの友人である下田さんとパー子さん、3人が中心となって企画されたものだった。早くから宣伝してくれているし、チケットもかなり売れていた。さ、どうする。いや、“どうする”ではない。この場合、“どうなる”が正しい。

 どうなるってったって、天気ばかりはどうしようもない。人間がこの世の中心だ、という錯覚の中で暮らしてきたぼくたちは、生きている地球に住まわせてもらっている、生かしてもらっているってことに気付いたばかりじゃないか。自然現象には、立ち向かう術もない。小鳥や虫たちのように雨風をやり過ごし、晴れてくれるのを待つしかないのだ。祈って待つ、それだけだ。『BB-43』が、奄美で演奏できるかどうかは、天が決める。

 28日早朝、ネットでチェックしてみると27日の段階で欠航が決まっていた沖縄便や鹿児島便が飛ぶという。これならば、だいじょうぶか。それでも台風の影響がどのくらいなのかは誰にも分からない。とにかく羽田まで行ってみよう。ぼくは、余裕を持って家を出た。藤田さんとは羽田で待ち合わせた。ふたりで、JALのカウンターに向かう。途中、掲示板があり奄美行を探した。あった!んん?何だ?掲示板には『引き返すことがあります』とある。カウンターに行って聞いてみると、奄美空港には向かうが、台風の影響で着陸できない場合は、羽田に引き返すというものだった。空港近くに行ってみなければ、まったく分からないのだという。『ええッ!?そんな〜』こんなときの心模様は複雑だ。行くには行きたいが『命がけってこと?』『賭けるのか…』そんな思いも頭をもたげてくる。『いやいや、違う。降りられなければ引き返すだけだ。だいじょうぶ』そんな声も聞こえる。藤田さんは、羽田に戻るのではなく、沖縄か鹿児島に着陸すべきだと言って憤慨している。カウンターでは、条件に納得した人はこちらへどうぞとばかり…。こうなったら、まな板の上の鯉だ。腹をくくろう。ぼくと藤田さんは、意を決してゲートをくぐった。

 飛行機は…小さかった。これで大風に耐えられるのか?心許ないではないか。ぼくは、魏の大軍を目前にした関羽のような心境で…というのは大袈裟だが、それでも『えい!』とばかりに足を踏み出した。席に着いて周りを見渡してみたが空席は見当たらない。そして、意外にも不安な顔をしている人は少ない。ほとんどの人が当たり前の顔をしてリラックスしている。なるほど、よく考えると、飛行機会社が無理をするはずはない。奄美に行き慣れている人にとっては、そう驚くようなことではなかったようだ。奄美行の飛行機は、何もなかったように離陸した。関東、中部の空は見事に晴れている。見えるのは、伊豆半島か渥美半島か。ぼくの上に雲があり、ぼくの下にも雲があった。 (つづく)


(C)2012 SHINICHI ICHIKAWA
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