<二百九の葉>
アリガッサマリョータ!(二)

 小型ジェット機ボーイング737-800型機は、ほとんど揺れることもなく快調に飛行し2時間ほどで奄美上空にさしかかった。この飛行機、小さくて心配だ、などと侮っていたがとんでもない。ボーイング社のホープであり、名機として誉れ高い旅客機だった。全長39.50m、最大離陸重量は79010kg。ギュッと絞られたボディには2基のCFM56-7Bエンジンが積載され、小さいながらもパワーがある。737-800型機にしてみれば、羽田に引き返すなんてことは訳もなかった。飛んでしまえば奄美まであっという間だ。雲も多いが晴れ間も見える。どうやら台風は、過ぎ去ってくれたようだ。機体は、左に大きく旋回しながら着陸態勢をとった。空から見た海は碧かった。優良機は、紺碧のグラデーションに引き込まれるようにしてゆっくりと降下した。

 奄美空港は島の最東端にある。ここからは、座席数が737-800の4分の1ほどの小型プロペラ機が喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島、沖縄へと飛んでいる。予想していたほど暑くはない。ただ、時折吹く強い風からは、過ぎ去った嵐の余韻が伝わってくる。縁がなければ、来ることはなかったかもしれない島での3日間が始まろうとしていた。ぼくと藤田さんは、ハードケースに身を包んだTACOMAのベースを片手に、島での第一歩を踏み出した。

 空港では下田さんとパー子さんが笑顔で出迎えてくれた。藤田さんもうれしそうだ。羽田空港でFacebook に不安な気持ちをツイートしていたから、心配してくれているかもしれない人のために、写真を撮って無事に着いたことを知らせようということになった。空港入り口脇にある“いもーれ奄美”と書かれた看板の前でパチッ!そして、2本のTACOMAをトランクに収めると、下田さんのレガシーはゆっくりと発進した。奄美大島は、想像以上に大きい。本州、北海道、九州、四国をのぞくと、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島に次いで、日本で5番目に大きい島だ。小さな島をイメージしていると面食らってしまう。

 下田さんの車は海岸線に沿って北上した。奄美の海をほぼ360度で見渡せる岬に案内してくれるという。“あやまる岬”だ。10分ほどで着いた。『きれい過ぎてごめんなさい。あやまっちゃう!』というところから名付けられた、なんて想像する人がいるかもしれないが、そんなはずはない。奄美には、色とりどりの糸を刺繍した手毬があるそうだ。岬一帯のなだらかな地形がその“あや”に織られた手毬によく似ているところから「あやまる」と呼ばれるようになったという。なんて美しいネーミングだろう。これだけで、島のおだやかな生活が想像できる。岬の先に立ってみると、風は強かったが、見渡す“青”の見事さに奄美に来たんだという実感が湧いた。思わず、名刺代わりの景色に敬礼だ。

 車は更に北上し、用岬(笠利崎)に着いた。急な坂道を10分ほど登った先には、笠利崎灯台が建っている。当然、上がろうということになった。上がってすぐのところに湧水があり、『ハブに注意!』という看板が目に飛び込んできた。「……」蛇はだめだ。恐ろしい。ぼくは、急に言葉が出なくなり周りの草むらに全神経を集中させた。ふと、ひさしちゃんのことを思い出した。ひさしちゃんは実家の隣に住む一級上の友だちだ。ぼくが小学校3年生のころだった。4年生のひさしちゃんは、オレンジ色の蛇を見つけるとササッと近付き、いきなり尻尾をつかんだ。大きなヤマカガシ、毒のある蛇だ。驚いたヤマカガシが振り向いて噛みつく間も与えずに、ひさしちゃんはヒュンヒュン、ヒュンヒュンとものすごい勢いで蛇を振り回した。まるで投げ縄のように。蛇はあっという間に目を回した。すると、今度はフラフラになった蛇をバシッ、バシッと地面に叩きつけた。ひとたまりもない。ヤマカガシは悶絶だ。挙句、ひさしちゃんは、気を失った蛇を首にぶら下げながらニコニコと胸を張った。ぼくたちがその姿を尊敬と畏敬の念で見つめたことは言うまでもない。ひさしちゃんは「おめえらもやってみろ」と言いながら、みんなの首に蛇を垂らしていく。蛇をぶら下げられた友だちは、微動だにせず、ただ直立不動で蛇を見つめていた。ピクリとでも動いたら大変だと言わんばかりに。ぼくは…ぼくはというと、どうしても、どうしてもだめだった。子供にとって、勇気がないとか意気地がないというのはかなりの恥だ。それでも、どうしてもできなかった。結局、この日は、蛇の胴体に触るということで勘弁してもらった。どんな感触だったのかもわからない程度にだが、最低限の面目は保った。だが、ここで小学3年生だったぼくの名誉のために言っておきたい。このころ遅れをとっていたのは、“蛇ぶら下げ”とザリガニ釣りの餌にするための“カエルの皮むき”、たったふたつだけだ。

 用岬から、南に引き返すころにはお腹が減っていた。その点は下田さんもパー子さんも計算済みだ。レガシーは、笠利町から龍郷町へと向かった。途中、通行止めになっている道路があった。前日の台風の爪痕だ。観測史上、最も激しい雨が降ったそうだ。樹が倒れ、山は地崩れを起こしていた。回り道をして、ぼくたちは、ひさ倉という店に入った。ここで、藤田さんリクエストの“けいはん”を食べるという。けいはん?言葉の響きだけではわからない。“鶏飯”こう書けば分かるだろう。“とりめし”のことだ。だが、この鶏飯、並みの“とりめし”ではない。

 普通、鶏飯(とりめし)というと丼ものや炊き込みご飯を想像する。だが、この鶏飯(けいはん)は、お茶漬けやひつまぶしに近い。鶏飯は奄美大島の代表的な郷土料理で、江戸時代に薩摩の役人をもてなすための料理だったそうだ。もともとは、鶏肉の炊き込みご飯だったが、戦後、もっとあっさりしたものをと工夫され今の形になった、と店のチラシに書いてあった。ごはんの上に、鶏肉の裂いたもの、錦糸卵、椎茸のスライス、タンカンという柑橘類の干皮、パパイヤの漬物、紅生姜、青ネギ、海苔、胡麻を載せ、その上に地鶏のスープをたっぷりかけて食べる。とにかく、放し飼いの地鶏が美味い。地鶏の出汁と塩だけのシンプルさがまたいい。

 ごはんをお茶碗に半分ほどよそい、具を好きなように載せる。そこに熱々の地鶏スープをドバっとかけ、あとはかき込むようにして食べる。スープの旨味、まろやかさは半端ではない。ゆっくり味わおうなんて言ってはいられない。口が、喉が、考えるまでもなくササッと飲み込んでしまうのだ。鶏肉の裂き方や椎茸、漬物、卵の切り方が絶妙なのだ。スープの香りと食感の良さで何杯でもいけてしまう。そして、パパイヤの漬物だ。鶏飯の具とは別に小さな皿に載っている。パリパリッ!ぼくは、口にした瞬間好きになった。書きながらも堪らなくなり、冷蔵庫にあったパパイヤの漬物を持ってきた。口に入れた。バリバリッ!なんという歯触り。やっぱり美味い。冷蔵庫にまだ少しはある。なくなってもパー子さんが送ってくれる約束だ。(ニヤリ)。結局、鶏飯をぼくは3杯、藤田さんは4杯食べた。 (つづく)


(C)2012 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME