<二十二の葉>
高倉健


 「高倉健」に縁がある年だ。今年になって偶然にも(そうでないものもあるが)高倉健が主演する映画を立て続けに観た。彼の204本目の出演映画「単騎、千里を走る。」(2005年・張芸謀監督)を記念して、にわかにクローズアップされていたからか、いろいろな媒体でその名を目にした。夕刊の映画紹介欄で「単騎、千里を走る。」を知り、雑誌にはインタビュー記事が掲載され、本屋にはエッセイ集「旅の途中で」が並んだ。

 高倉健は特異な俳優だ。(と言い切ってしまうほど彼の作品は観ていない。あくまでも僕の印象である。)204本というのは無条件ですごい。その時代その時代に楔(クサビ)のような衝撃的な作品を残すのも名優や名監督だが、50年もの間出演し続けるというのも同じように価値があると思う。そして75歳の現在でも観客の持つ彼のイメージをそのまま、いやそれ以上に維持していることには驚きを隠せない。男の色気という面でもこの先75歳になっていく日本男児に勇気と希望を与えてくれる。スターの中の何人かにひとりはこうした魅力をもっている。

 204本のうちのかなりの割合を占めるのが「網走番外地」や「日本侠客伝」に代表される任侠映画だ。不本意ながらこれらはまったく観たことがない。(15年ぐらい前まで僕が寅さんシリーズに対して持っていたのと同じイメージかもしれない。寅さんが活躍する「男はつらいよ」シリーズはあるきっかけで観始めたら止まらなくなり48本、一気に観てしまった。何事も自分の目で確かめなければ始まらない。)

 まずは去年までに観たことのある作品を思うままに挙げてみる。「野生の証明」「ブラック・レイン」「駅 STATION」「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」「ホタル」「八甲田山」「新幹線大爆破」「遙かなる山の叫び声」「四十七人の刺客」あとは中村錦之助主演の宮本武蔵シリーズぐらいだ。高倉健は佐々木小次郎役、なかなかのはまり役。そしてこの春観たのが「南極物語」「君よ憤怒の河を渉れ」、久しぶりの「遙かなる山の叫び声」、そして最新作「単騎、千里を走る。」だ。「南極物語」はハリウッドでリメイクされたのをきっかけにテレビで放映された。「君よ憤怒の河を渉れ」と「単騎、千里を走る。」には少し説明が必要だ。大衆文化を否定し続けていた中国の文化大革命が終焉を迎え、外国映画の開放政策が始まった1978年にその記念すべき第1作として中国で公開されたのがこの「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年・佐藤純彌監督)だ。西村寿行の同名小説が原作。高倉健扮する検事が無実の罪を着せられ北海道から東京まで逃避行をしながら自分を陥れた者たちに復讐していくというサスペンス・アクションだ。高倉健を助けるヒロインに中野良子(これがいい。) 付け狙う刑事に原田芳雄(またいい。)が扮している。この映画の与えたインパクトは絶大なものだった。中国では数億人が観たと言われている。その中のひとりがアジアの名匠・張芸謀(チャン・イーモウ)監督だ。彼の作品では「赤いコーリャン」「菊豆(チュイトウ)」「秋菊の物語」「HERO」「LOVERS」を観たことがある。どっしりと落ち着いたテンポ、説得力のある映像、現代屈指の名監督だ。彼は10代の時、初の海外映画を観て高倉健に憧れた。監督になってからも「いつかは高倉健と映画を撮りたい」と願い続けた。そして高倉健からの答えが「単騎、千里を走る。」への出演だった。病床の息子のためにひとり中国に旅立つことになった男の物語。目的に向かい黙々と訥々と歩みを進める彼と彼に同行することになった中国人の少年との危うい距離感やそれを超えた後の安らかなたたずまいがじわじわと沁みてくる。風景や街並みも美しく俳優たちの所作や言葉もその景色に溶けてあまりに自然だ。観後の余韻をいつまでも楽しめる素晴らしい映画だと思う。タイトルは日本でも馴染みの深い「三国志演義」に由来している。

 高倉健は黒澤明監督や小津安二郎監督のような世界的巨匠の作品には出演していない。任侠のイメージが強すぎたのか…時間的な接点がなかったのか…ほんとうのところはまったく分からない。しかし、高倉健のエッセイやインタビュー記事を読んでいてふと思ったことがある。巨匠の作品に出演することも、しないこともどちらもすごいことなのではないのだろうか、ということだ。強すぎる「個」には拒否反応を起こさせるエネルギーがあり、ひとつのパターンの継続が新しいスタイルを生むこともあるからだ。そこにはあくまでも自然体の高倉健がいた。彼の発する言葉からスクリーンのままの彼が伝わってきた。俳優の仕事とは?と聞かれて彼は答えた。「俳優の仕事とは監督の意図を知ることです。台詞回しのうまさでもないし表情を作ることでもない。監督が何を考えているかを理解するのが俳優の仕事です。」50年という時間が育むのは達人への道だ。迷いなき75歳の言葉は、今すべきことやこれから進むべき道を教えてくれる。


(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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