<二百二十九の葉>
セイッ!(七)

 ぼくの空手ノートには、その都度、注意されたことがポツポツと書いてある。入門したころのページを見てみると以下のように書いてある。「身体の軸をまっすぐに」「軸がぶれないように」「頭を動かさないように」「運足をしっかりと」「力を抜く」…。なんということだ。これらは、現在注意されていることとなんら変わりがないではないか。黒帯の先輩たちでさえ、常にこれらのことを気にしながら稽古に取り組んでいる。つまり、白帯のころから一番大切なことを学んでいたということになる。「体の軸を真っ直ぐに保つ」言葉にするのは簡単だが、これができるようになるには、かなりの修行が必要とされる。いや、“できる”ではだめだ。無意識のうちに体がそういう動きをしている、というところまで行かなくてはならない。体軸を意識するということ自体、まだまだということなのだ。

 体軸を中心に立つ、動く、突く、蹴る、ことができるようになるには、力を抜かなくてはならないのだが、これができない。現代の生活の中で、ぼくたちが脱力することはほとんどないと言ってもいいだろう。寝ている時でさえ、どこかに力が入っていて休むにも休めないのが現代人だ。当初は、稽古で力を抜きましょうと言われ、抜いたつもりがまったく抜けていないということに気付き愕然としたものだ。今でも、できているとはまったく思えないが、力が抜けていないということを自覚できるようになっただけでも、また、先生たちの立ち姿に力が入っていないと観て取れるようになっただけでも成長したと思える。現在のぼくは、意識した瞬間だけは力が抜けている…かもしれない、といったような状態だ。力を抜くことができるようになったら、いや、何度も言うようだが、抜くことを意識しているうちはまだまだで、自然に力が抜けていなければならないのであって、そうなったら、もし、そうなれたら、5段を授かることになると言っても言い過ぎではない。それほどにむずかしい。ぼくは、その域にまで達しているであろう武道家をわずか数人しか知らない。

 楽器の世界も同じだ。ベースを手にして最初に学ぶことは、正確なフォームだ。正しい手の置き方、指の向きから始める。肩に力が入っていてはだめだ。それこそ、体幹から音を出すイメージを持つことが大事で、背中から肩、腕、手の平、指先までスッと力が流れるように構え、弦を弾(はじ)く。弾(ひ)くというより、弾(はじ)くという表現の方があたっている。左手も同じだ。体全体を使って弦を押さえるというイメージを持ちたい。腕力や握力で押さえてはいけない。この点は、武道の基本とまったく同じだ。書の師からも常に同じような言葉を聞くから、どんな物事でも核の部分は同じ根を持っているのだと言わざるを得ない。あまりにもシンプルであり、シンプルだからこそのむずかしさがある。奥義は誰もが知らないところにあるのではなく、誰もが知っていること、誰にでも分かること、当たり前のことの中に潜んでいる。その核心に一歩でも近付きたいと思う。

 道場には様々な人がいる。道場で会うときは、すべての人が道着をまとっているから、まったくの先入観なしで付き合いが始まる。そこが素晴らしい。肩書きや職業は後から付いてくる。本来はこうでなくてはならない。まずは、その人ありきだ。教育者、会社員、鍼灸師、整体師、警察官、自衛隊員、美容師、役者。稽古を重ねるうちに親しくなり、その人の職業を知る。誰もが“素”の自分で向き合えるのが武道の大きな魅力のひとつだ。

 2007年3月18日、初の昇級審査を受けた。合格すれば9級のオレンジ帯をいただける。白帯は10級ではなく無級扱いだから、初めて級を持つことになる。立ち礼、座礼の礼法から始まり、呼吸法、着装(道着の着こなし)、伝統基本の手技・足技、組手の基本技・移動・応じ技、ミット打ち、組手の実技、最後に体力測定まで緊張の約1時間があっという間に過ぎた。疲労の度合いは、普段の稽古の比ではない。結果の発表は数週間後だった。結果が分かるまではドキドキして稽古に向かった。その日が来た。ぼくは無事に昇級しオレンジ帯をいただくことができた。小さな成果だったかもしれないが、数ヶ月の稽古が実った証だ。うれしかった。成績上位の何人かは、飛び級と言ってふたつ上の級を授かることがある。そんなかっこいいことが自分に起こるなんてことは考えもしなかったが、同じ時期に入門した高校生が飛び級で8級の青帯になった。高校生をライバル視するなんて無謀なことはできない。それでも、『彼に付いて行こう』と目標とすることにした。この頃のぼくには、黒帯ははるか彼方のもので、自分がそこまで辿りつけるなんて到底思えなかった。ただ、ひとつひとつ級を上げて行ければよかった。

 2007年10月14日、2度目の昇級審査を受けた。その結果、ぼくは、飛び級で7級をいただいた。同じ青帯でも金線が入っている。まったくもって信じられなかったが大きな自信となった。このころは、まだ稽古の最後までみんなに付いていけていなかった。必死の思いで呼吸を身に着けようとしていた。この年、ぼくは仕事の合間を縫って72日稽古に出た。単純計算で、5日に一度は稽古に通ったことになる。自分なりのがんばりが今に繋がっているに違いない。当然のことだが、どんなことでも積み重ねが大切だということだ。やはり、神髄はシンプルだなと納得する。 (つづく)

(C)2013 SHINICHI ICHIKAWA
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