<二百三十二の葉>
心の持久力

 7年ほど前からベースの教室を開いている。教室と言ってもマンツーマンでのレッスンだから、形態としては家庭教師に近い。それなりの音を出す必要があるから自宅ではなく音楽スタジオを借りてレッスンしている。個人的には“教室”や“塾”よりは“道場”という言葉を使いたい。道を追求する場であることに違いないからだ。生徒の、いや、道場生の多くは10代後半から20代前半の若者で、学生が半分、アルバイトをしながら音楽の道を目指している子が半分といったところだ。大学や専門学校への入学を機にレッスンを始めた子も多く、彼らの18歳から25歳ぐらいまでの大切な時期を、ベースを通して少しだけだが垣間見させてもらっている。真剣にミュージシャンを目指している子、ベースをやってみたくて趣味として始めた子、目標は様々だが、先輩と後輩、先生と生徒、師匠と弟子、呼び方はどうであれ、縁があってぼくが教えることになった子たちばかりだ。やはり、特別な思いがある。

 音楽の道で生きて行くのは大変だ。プロのベーシストと言っても仕事の内容は種々様々だ。バンドとしてデビューするか、セッションミュージシャンとして他のアーティストのサポートメンバーになるか、このどちらかが理想だがそう簡単には行かない。運よくバンドでデビューできたとしても3年後に残っていられるかどうかが問題で、その確率はよく見積もっても10%ぐらいのものだろう。セッションミュージシャンとしての道ならば、一歩一歩積み重ねて行ければいいのだが、そのための第一歩を得られるかどうかが重要な鍵となる。狭き門はより狭くなり、辿り着くことさえ困難だ。技術的にどんなにうまくてもプロになれるとは限らない。運や縁も絡んでくるからもどかしくややこしい。プロとして最低限の技術が必要なのは当然として、性格的に向いているかどうかも大きな要素のひとつとなる。アーティストとして生きることを選んだとしても、ベースの職人として生きる道を選んだとしても、それ相当の覚悟が必要であることは言うまでもない。

 不安があるのも当たり前だ。就職した友だちが月々の給料をもらい、ボーナスをもらい、結婚し、子ができ、家を持って行くのを横目でみながら、時給900円のアルバイトを続けていけるのか。30歳になったとしても、40歳になったとしても、プロになれる保証などはない。自分には無理かもしれないと悲観的になってもなんら不思議はない。プロを目指すということはそんな不安とも絶えず向き合わなければならないということでもある。だからといって、簡単にあきらめてほしくはない。本気で始めたのなら一度ぐらい勝負はしてほしい。ぼくも常にそんな葛藤を抱きながら彼らと対峙しているが、人生を選ぶのは自分自身でなくてはならない。どんな道を選んだとしても悔いを残さずに進むためには今を大切にするしかない。懸命にやるしかない。やりきった人からは後悔という言葉はこぼれない。

 趣味としてベースを続けて行きたいという場合も同様だ。就職したから、結婚したからベースを止めましたでは寂しすぎる。当然だが、楽器はプロだけのものではない。就職し会社の一員になったとしても、主婦になり母になったとしてもベースの道を究めることはできる。何かひとつ、人生をかけて続けられるものを持つ人は幸せだ。昆虫が好き、鉄道が好き、何でもいい。“好き”は生きる甲斐となり糧となる。好きなことを究めるというのは、人生を究めるということに通ずる。好きなことを続けている人は仕事の場においても一味違ってくると思う。すべての道は通じている。究めるということは、心に余裕や遊びができるということ、つまり、いろいろな方向からものを見られるようになるということだ。心に深みのある人は少々のことでは倒れない。笑ってこらえる姿は信頼へとつながって行く。

 今、道場生の中に大学3年生で就職活動をしている子が4人いる。内定をもらったのはひとり。あとの3人は厳しい就職戦線を戦っている。ぼくは、必ずレッスンの前後に生活の様子を聞く。顔を見れば大抵のことは分かるが「最近どう?」と声にして聞いてみる。あふれるように話してくれる子、ポツポツと話してくれる子、様々だ。おとなしい女の子がいる。作りのいい顔立ちで涼しげな印象なのだが、人見知りでおっとりとしている。彼女は面接がうまくいかないと悩んでいた。面接になると周りのみんなはハキハキとやる気を前面に出すが彼女にはそれができない。「やる気がないように受け取られていると思います」と言う。「どうしたらみんなに負けないように元気にできるでしょうか」

 話は逸れるが、少し前に、海外の化粧品会社のコマーシャルを見た。ある似顔絵作家が言葉による説明だけに基づいて同一人物の似顔絵を2種類描くというもので、1枚は本人の言葉を頼りに、そして、もう1枚は待合室でその人を見たという他人の言葉を基に描いた絵だった。描かれる本人は、顔の形や目鼻立ちについて自分の嫌いなところを強調して伝える傾向があった。出来上がった絵は、当然マイナスの印象で暗くパッとしない。しかし、その人の印象を語る他人の口からは魅力的な言葉があふれ出来上がった似顔絵は輝いていた。本人と2枚の絵を見比べると“他人から見た自分”の方が明らかに似ていた。誰よりも本人が驚いていた。『人は、自分の本当の美しさを知らない。あなたはこんなにも美しい』というメッセージだった。

 人には持ち味がある。色々な性格があっていい。持って生まれた個性を活かすことこそが大事であって、みんなと同じになる必要なんてないんじゃないかな、なんてことをぼくはゆっくりと話した。化粧品のコマーシャルのように、自分では短所だと思っていたことでも、角度を変えて見たら長所だったという場合が多々ある。確かに彼女はてきぱきとしたタイプではない。それでも、じっくりと考えてから行動することは決して悪いことではない。すぐに手を上げないということは慎重さにもつながる。じっくりと考えてやり始めたことを最後までやり通せる人は、どんな会社にとっても貴重な存在となるに違いない。結果として会社に利益をもたらすことだってあるはずだ。「瞬発力はないかもしれないけど、心の持久力があるじゃないか」ぼくは感じたことをそのまま伝えた。4人の就職先が決まったらみんなで乾杯だ。朗報を待つのみ。 (了)


(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
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