<二百三十六の葉>
61年会(上)

 2014年春、同学年のミュージシャンが集まり「一丁おもしろいことでもやるか」という話になった。『61年会』の誕生だ。先輩や後輩がひとりもいない同学年のミュージシャンだけの集まりなんて、普通ではありえない。スタジオやライブの場にも、普段の生活の場と同じようにあらゆる世代の人たちがいる。そんな中、数人であっても、ひとりであっても、同じ歳の人に出会ったら自然と親近感が湧き、懐かしささえ覚えてしまうというのに、その場にいる全員が同学年、しかも同業者というのは(“揃うはずがない”という点においてはある意味不気味でさえあるが)想像していた以上に居心地がいい。いや、そんな言葉では物足りない。敢えて興奮という言葉を使いたい。初めて会う人がいるにも関わらず、会場は同級会的な空気に包まれ、ぼくたちは、興奮していることにさえ気付かず同じ時を過ごした。

 61年会といっても同学年であることが参加の条件だから、正確に言うと、1961年4月2日から1962年4月1日生まれのミュージシャンの集まりということになる。61年生まれが丑年で62年生まれが寅年だ。この集まりを言葉にするとき、早生まれの人たちには申し訳ないが自然に61年会となってしまった。しかし、安心した。彼らはこのような扱いには慣れていて、こちらが気遣うほどには気にしていない、ということが分かったからだ。早生まれは得か損かというアンケート結果を見て驚いたことがある。得だと答える人の方がはるかに多かった。早生まれであることを楽しんでしまう懐の深い人たちが多いということだろう。また、同学年なのに、なぜ62年生まれの人のことを早生まれというのだろう、と61年生まれは不思議に思うが、視線を変えてみたらすぐに分かった。後ろではなく前を向けばいい。61年の早生まれの方はひとつ上の学年にいるではないか。61年4月2日から12月31日の間に生まれたぼくたちより確実に1学年先を行っている。

 4月1日生まれの人は、なぜ早生まれとみなされるのかと誰もが不思議に思うが、当然、理由がある。日本では少し前まで“数え年齢”と“満年齢”の2通りの歳の数え方が使われていた。数え年齢は、生まれた日を1歳として、以降1月1日を迎えた時に1歳を追加する。だから、その年に生まれた人が翌年の1月1日に一斉にひとつ歳をとる。国民全員で全員の誕生日を祝っていたようなものだ。何だか味気ない。この数え方は、中国を中心に朝鮮半島、日本、ベトナムで使われていたが、現在では韓国でだけ使われているそうだ。満年齢は、生まれた時を0歳とし、以降、翌年の誕生日前日が終了する瞬間(24時)に1歳を追加する数え方で、誕生日を起点として1年が満了すれば1歳が追加される。入学年齢に関しては、保護者は子供が「満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め(4月1日)から」就学させなければならないと学校教育法で決められている。つまり、小学校に入学できるのは6歳になった翌日以降に訪れる4月1日ということになる。4月1日生まれの人は3月31日の24時に6歳になるため、翌日の4月1日に小学校に入れるという訳だ。4月2日生まれの人は4月1日の終わりをもって6歳になるから、次の年の4月1日を待っての入学ということになる。

 日本では、新暦が採用された明治6年から満年齢を使用することになったが、しばらくは数え年も並行して使われていた。数百年続いた習慣だ。そう簡単に変えることはできないだろう。明治35年には満年齢に一本化されることになり、数え年は法的根拠を失ったが、それでも日常生活では使われ続けた。一向に改まらない状況を前にして、政府は、年齢を数え年によって言い表わす従来のならわしを改めて満年齢の使用を常に心がけなければならないと定めた「年齢のとなえ方に関する法律」を昭和24年に制定した。ぼくたちの祖父母が、数え年齢、満年齢のどちらもうまく使いこなしていたのも頷ける。一般社会の年功序列とは違うが、音楽の世界においても年齢は大事だ。1年でも先輩だったら当然敬語を使う。中学校や高校で体育会系のクラブを経験した人ならば、尚更その態度ははっきりしている。意識していても、していなくとも、その思いは自然に言葉や行動に表れる。

 どうして、同学年にこだわるのか。若いころの1年の差が、違いが、想像以上に大きいと思えるからだ。1974年、ぼくたちは中学生になった。この年にストーンズの『イッツ・オンリー・ロックンロール』、クイーンの『シアー・ハート・アタック』、キッスの『地獄のさけび』がリリースされた。このアルバムを中学1年生のときに聴くのと、ひとつ下の小学6年生が聴くのでは意味合いが違ってくる。1976年にリリースされたイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』やピーター・フランプトンの『フランプトン・カムズ・アライブ!』を中学3年生で聴くのと高校1年生で聴くのでは、これまた意味が違ってくる。遡れば、どんな作品でも聴くことはできる。だが、そのアルバムが世に出たときに何をしていたか、何を考えていたかという話になるとその影響は計りしれない。あの頃の1年は、今の年齢で言ったら、5年か6年か、いや、10年ほどの価値があったと思えてならない。アルバムがリリースされ、ラジオから流れる。レコードを買う。カセットテープに録音する。すべてが後に繋がった。そんな思いを同じ時に同じ歳で体験しているのが、同学年の仲間たちなのだ。

 数年前、ジャンガポッポというバンドと知り合った。ちょっと話してボーカルの尾上一平(以下敬称略)とギターの是永巧一がぼくと同じ歳だと分かったときに閃いた。野球選手の○○年会のように同学年のミュージシャンが集まったらきっと何かができる。ぼくは、すぐにふたりにその話をした。61年会という名もすらすらと口からこぼれ出た。「いいね~!」「やろう、やろう!」 即答だった。昨年末には、ずっと年上だと思っていた西山HANK が同じ歳だということを知った。(彼は誰にでもそう思われる。落ち着いた態度がそうさせるのだろう。)そろそろ時期が来たようだ。ぼくは、すぐに3人に連絡した。飲み会はすぐに決まり、同学年のミュージシャンが7人集まった。音楽界に対する恩を返したいという思いがあった。感謝の気持ちを表してもいい頃だという思いもあった。 (つづく)

(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
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