<二百三十九の葉>
7月の詩(うた)

7月になった
2014年も折り返しだ
毎年のようにときの流れが速くなるけど
それも理(ことわり)だ
ぼくに限った話じゃない

“理”は物事の筋道とか道理を意味し
もっともであるさま、当然であるさまのことをいう
孔子や老子の“次”の世代から広く使われ始めたらしい
墨子(ぼくし)、荘子(そうじ)、韓非子(かんぴし)、淮南子(えなんじ)の時代
時は権謀術数渦巻く戦国時代
同じ戦国時代でも日本のそれとは比較にもならない

たぶん
たぶんだけど
当時の中国の人たちはそのころ既に成熟しきってしまって
良くも悪くもピークを越えてしまったんじゃないだろうか
はるか先に行きすぎてしまうのも考えものだ

ぼくたち日本人はというと
しあわせなことに
本当にしあわせなことに
まだまだ成熟しきれていない

だからいいんだ
このまま
いつか太陽が燃え尽きるまで未成熟のままでいてほしい

“理”は朱子学や陽明学等の儒教でも重い言葉だ
もちろん仏教でも使われていて
日本人にとっても大切な言葉となった
言葉を越えて大きな概念となった

“筋を通す”
“自然を敬う”
日本人の骨格をなす概念だ


ここ数年
天気が変だ
天気がおかしい

変だといっても
おかしいといっても
あくまでも
ぼくたち人間からの一方的な言い分であって
地球にとっては迷惑な話だ

7月10日
今日も季節外れの台風が列島を舐めるようにして北上している
台風8号は沖縄の樹木をなぎ倒し九州を水浸しにした
現在は和歌山辺りを闊歩しているらしい
地球は生きているから
ぼくたちと同じようにくしゃみもすればあくびもする
ときにはヒステリックに泣き喚くことだってある

それでもぼくたちは我儘(わがまま)だから
やれ異常気象だの
やれ日本が亜熱帯性気候になっただのと吠えてしまう

集中豪雨やゲリラ豪雨だって初めてのことではないはずだ
列島が氷の下だったこともあるし
今よりずっと暑い時期もあった

先週
細かい雨が降った
霧雨だ
肌理(きめ)の細かい雨で小糠雨(こぬかあめ)ともいう
日本の梅雨らしい雨が愛おしくて
傘もないのに
しばらく動けなかった

6月24日には三鷹と調布に雹(ひょう)が降り
30センチも積もった
屋根や窓を突き破った雹は2センチ大だった
立派な災害だ

この国には雨の呼び名だけでも数十種類ある
時雨(しぐれ)
夕立
狐の嫁入り
このようにロマンチックな名の雨もあれば
特定の日だけに降る雨もある

旧暦5月5日に降る雨を“薬降る”(くすりふる)という
この日は薬日と呼ばれ
この日に降って竹の節に溜まった雨水には
薬効があると伝えられている

旧暦5月28日に降る雨を“虎が雨”(とらがあめ)という
この日は曾我兄弟が討たれた日で
兄の曾我十郎祐成の思い人だった虎御前が流す涙が雨になった

旧暦7月7日に降る雨は“酒涙雨”(さいるいう)だ
年に一度しか会えないふたりの惜別の涙だと言われている

天候が人間の思うようにならないのも理だ
ぼくたちは思ったよりはるかに小さな存在で
どうにかこうにか生かしてもらっている
それなのに音楽などで生計をたてようなんて
本当は虫のいい話で
音楽を仕事として生きていける時代に生まれたこと自体が幸運だった
としか言いようがない

きれいな水が飲めて
行く当てもなく散歩ができる環境にあるだけでも
十分ではないか

台風8号が東京にやってくるのは
明日の未明だそうだ
久しぶりにゆったりとした気分で詩を書いた
エッセイとはまた違った心地良さに包まれている

(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
-------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
BBS
HOME