<二百四十の葉>
ゴジラ(上)

 愛器YAMAHヘッドホンHPH-M220から伊福部昭のSF交響ファンタジー第1番が鳴り響いている。オーケストラの重厚な旋律がぼくの前頭葉を刺激し、物心ついたときから畏(おそ)れ憧れたゴジラをはじめとする怪獣映画への想いが当時のままに蘇ってくる。映画『ゴジラ』は、60年前の1954年に第1作が公開された。ぼくが生れる7年も前の話だ。ゴジラと共に育ったのは、ぼくたちの世代だけではなかった。ゴジラは60年に渡って子供を、そして、大人をも夢中にさせてきた。1945年の終戦の年に生まれた人たちが9歳のときにゴジラは現れた。彼らが最初のゴジラ世代だ。1945年8月6日に広島に、8月9日には長崎に、日本はふたつの原子爆弾を投下され唯一の被爆国となった。(※以前、8月6日と9日を忘れてはならないとの想いから『ロックの日』と題するエッセイを書いた。『ロックの日』は百三十の葉として2009年8月10日に発表した。)アメリカは、日本に原爆を投下してから、わずか9年後の1954年3月1日に太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行った。そして、その時、マーシャル諸島近海で操業していたマグロ漁船「第五福竜丸」が被爆した。第五福竜丸は、アメリカが設定した危険水域の外で操業していたにもかかわらず大量の放射能を浴びた。水爆の威力がアメリカの予測よりもはるかに大きかったからだ。水爆は、人類を破滅へと導く恐ろしい“武器”となった。この水爆実験でまき散らされた放射能降下物(死の灰)を浴びた漁船は 数百隻に及ぶとみられ、被爆者は2万人を越えたと言われている。

 同じ年、東宝で映画プロデューサーをしていた田中友幸は、日本とインドネシアの合作映画『栄光のかげに』が政治上の問題で4月に突如製作中止になり頭を抱えていた。11月3日封切は決まっている。他の作品で穴埋めしなければならなかった。1933年公開のアメリカ映画『キングコング』を見て、こんな映画を作りたいと思っていた田中は「ビキニ環礁の近くに太古の恐竜が眠っていた。それが水爆実験によって目を覚ます。水爆実験の放射能によって異常に巨大化したその恐竜は、日本列島、東京に上陸して暴れまわる。」というストーリーを考えた。運命がそうさせたのか。このアイデアは無事に企画会議を通り、結果として映画『ゴジラ』が誕生する。

 ゴジラという名が「ゴリラ」の“ゴ”と「クジラ」の“ジラ”から名付けられたのは有名な話だ。ゴリラとクジラから「グジラ」と呼ばれていた東宝の社員のニックネームをヒントに田中友幸が名付けたそうだ。それにしても、このネーミングの見事なこと。なんせ「ゴジラ」だ!(笑)ゴジラ、ゴジラ、ゴジラ…響きが心地いいったらない。まったくもってカッコイイ!以後、 ○○ラは、怪獣の名前の定番となった。(例:モスラ、エビラ、ヘドラ、ゴジラの息子のミニラ、大映のガメラまで。)ゴジラというタイトル文字もいい。このロゴの素晴らしさももっと語られるべきだ。“ゴ”と“ラ”の角を切り落とした形が何とも言えず、“ジ”は“シ”の3本の線の角度が絶妙で、3文字が合わさった造形は見事としか言いようがない。現代でも十分に通用するデザインだ。最近、東京国立近代美術館フィルムセンターで『赤松陽構造(あかまつひこぞう)と映画タイトルデザインの世界』展を見てきた。赤松陽構造の書の文字に興味があったからだ。『HANABI』『DOLLS』『顔』『うなぎ』等、どれも作品として素晴らしかったが、『ゴジラ』のロゴも勝るとも劣らない。映画のタイトル文字は、文字の美しさやおもしろさだけで成り立っているのではなく、映画の全編を貫いているイメージをきちんと表現できているかどうかが大切だということを学んだ。 BARAKAを結成してまもない頃、カタカナの『バラカ』を『ゴジラ』のロゴに模してデザインしてもらったことがある。なかなかの出来だった。

 このSF交響ファンタジーは第3番まである。合わせて約45分、何回目かの第1番が始まった。伊福部昭は、ゴジラのテーマソングの作曲者として有名だが、20本以上の東宝特撮映画の音楽を担当している。SF交響ファンタジーは、伊福部昭作曲の特撮映画音楽の数々を彼自身がフル・オーケストラのためにメドレー風に編曲したものだ。『ゴジラ』『キングコング対ゴジラ』『宇宙大戦争』『三大怪獣地球最大の決選』『怪獣総進撃』等の名曲をひとつの作品にまとめあげたものだが、別々の作品を並べただけという印象はない。名曲といってもいいほどの交響楽だ。コントラファゴットやバストロンボーン、チューバ等低音楽器が多く使われ、ティンパニーの他に大太鼓、小太鼓、コンガ、シンバル等打楽器奏者が4人もいるのが特徴だ。

 同じCDを長時間聴いていても疲れないのはYAMAHA HPH-MT220が優秀だからだ。HPH-MT220は原音忠実再生を謳(うた)ったヘッドホンで、録音された時の音を忠実に再現させたいというYAMAHA技術者の思いがこもっている。実際に、レコーディングでも使用しているが、ストレスのない環境を作り出してくれる。自分が出した音が自然に聞こえるというのはプレーヤーにとってはありがたいことだ。YAMAHAという楽器メーカーは、流行り廃りなどはどこ吹く風、独自の目線で音を追及しているところに好感が持てる。最近は、YAMAHAの5弦ベースBB2025Xをよく使う。匠の技があちこちに垣間見えて弾き手を気持ち良くさせてくれる。

 監督:本多猪四郎43歳、特撮:円谷英二53歳、プロデューサー:田中友幸44歳、音楽:伊福部昭40歳。この4人が『ゴジラ』を支えた4本柱であり、年齢は1954年当時のものだ。今編は、田中友幸と伊福部昭の音楽を中心に綴ったが、伊福部昭と彼の作品に付いてもう少しだけ触れてみようと思う。ゴジラになくてはならないものは地鳴りのような足音と、この世も終わりだと思わせるようなあの独特の咆哮(ほうこう)だ。ゴジラの咆哮はコントラバスで作られた。「一番低い音の E弦を駒からはずし、松脂を塗った革手袋でエンドピンから逆方向に強く引っ張って音を出し、その録音したテープを逆回転させたり回転を落としたりして作った。」という本人の言葉が残っている。この話を聞いた時には驚いた。ジャンルは違えど、同じように音を作り出すことを職業にしている身としては、この音に辿り着くまでにどれほどの苦労があったのかが忍ばれて、彼らの偉業を称えずにはいられない。この音を、いや、この声を聞くだけでも十分に価値がある。

 おもしろい話もある。今日、「ゴジラのメインタイトル」と呼ばれているあの有名なフレーズ「ドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ…」は、ゴジラの登場に合わせた音楽ではなく、実際は、ゴジラを攻撃する東宝自衛隊の進撃のためのマーチだそうだ。(映画の中の自衛隊の名が東宝自衛隊だということは初めて知った。) 言われてみると確かにそうだ。映画を観てみると、東宝自衛隊の攻撃時にだけ流れている。そして、なんと、この有名なフレーズは、ゴジラ以前にも何度も使われていたというから驚きだ。伊福部昭がこのフレーズを初めて使ったのは、彼の『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲』の第1楽章であり、その後、柳家金語楼主演の松竹コメディ『社長と女店員』や宇野重吉主演の大映のサスペンス映画『蜘蛛の街』でもテーマとして使われたという。今となっては、あのフレーズがコメディやサスペンスで流れていたなんて信じられない。そういえば、コルトレーンも同じフレーズを様々な曲で、場面で吹いている。音楽は自由であり、いいフレーズはどのような場面でも活きるということか。

 ゴジラほど愛される怪獣は他にはいない。ゴジラについてもう少し書き進めてみようと思う。次回をお楽しみに。 (つづく)

(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
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