<二百四十三の葉>
夕日の町

夕日ってこんなにキレイだったっけ
そう思わせてくれたのは
自分が生れ育った町の夕暮れだった

日々、あたりまえのように繰り返される日没の光景に
これほどまでに感動をおぼえるようになったのは
歳を重ねてきたからか
他の地で生きるようになったからか
18歳まで毎日のように目にしていたはずの夕日が愛おしくてならない

家を出て50メートルほど西に歩くと
栗山川がある
そのおだやかでゆったりとした表情は湖のようで
のどかな、この地域に住む人たちの雰囲気そのものだ

聞えてくるのは虫の音、鳥の声、犬の遠吠え
そして、飛行機のエンジン音だ
成田空港から飛び立った飛行機が
数分ごとに南の上空へと消えてゆく
広い空間に響く音が何とも心地いい
総武本線の列車の音と重なったなら更にいい

川向うは上総(かずさ)の国
こちら側は下総(しもうさ)の国
国境(くにざかい)だったふたつの小さな町は
数年前、合併してひとつの町となった
栗山川は国と国、地域と地域、町と町の境ではなく
町の中心となった

中学校の野球部時代
ぼくたち光中は東総地区で戦った
この地区はどこも野球が盛んで当然、激戦区となった
甲子園で優勝した銚子商業高校がある銚子には1中から8中まであり
さらに、飯岡中、海上中、旭1中、2中、干潟中、八日市場1中、2中、野栄中と
強豪チームがひしめいていた
※平成25年、銚子8中は少子化のため閉校となり4中と合併し銚子中となった

中学2年のとき東総地区大会を勝ちぬいた
夢の県大会、千葉寺球場での決勝戦で敗れるまで
光中は輝き続けた
ぼくは一塁手として試合に出場することができた
今思えば夢のような夏だった

試合の度に銚子へ、飯岡へ、海上へ、旭へ
自然とこの地域に馴染んだせいか
今でも東総地区への愛着は強い

東総地区の西はずれだった匝瑳郡光町は
山武郡横芝町と合併して山武郡に組み込まれ
東金市、山武市(さんむし)、山武郡(さんぶぐん)からなる地域のひとつとなった
今の光中野球部は、横芝中、芝山中、松尾中、蓮沼中、成東中、成東東中、山武中
山武南中、九十九里中、東金中、東金東中、東金西中、東金北中が相手となる
以前とは、まるっきりカラーの違う地域での戦いとなった
中学生にはそれほどの違和感はないかもしれないが
OBのぼくたちは少々戸惑っている
それでも、若者たちよ、新しい歴史を作るんだと
楽しんでしまえ

ぼくは成東高校に進んだから
成東はもちろんのこと東金や八街、松尾、芝山
千葉の土気、誉田などにも友だちができた
BRUのおかげで千葉市内にも柏にも館山にもたくさんの友人がいる

太陽が沈みかけたところから
沈みきるところまでほんの10分程度だ
近所のSさんが犬を連れて歩いてきた
数年ぶりに挨拶を交わした
ここの夕陽は本当にきれいですね、というと
えっ?と意外そうな顔をしている
それもそうだろう
70年以上もこの場所で夕陽を見続けてきているのだから
特別に美しいとは思えないのだろう
甥っ子や姪っ子に言ってもピンとはこないようで
ふうん、と一応、返事らしきものだけはしてテレビの続きを見ていた

めったに見られない景色だからこそ美しいと思える場所がある
毎日見ていても美しいと思える場所がある
何気ない日常やありふれた毎日の中にこそ
本当に大事なものはある
ということがなんとなくでも分かってくるから
歳を重ねるのはおもしろい

横芝光町を“夕日の町”と勝手に名付けてみたが
どこでも夕日は美しいに決まっている
それぞれの地域に住む人たちが
自分の町の夕日を美しいと思えることが素敵で
他の町の夕日もきれいだなって思えたら更に素敵で
それこそ栗山川のようにおだやかな佇まいでいられたらいいなと思う
心に余裕がなければ他を認めることなんてできないから

今回は10月8日と9日の夕日を見た
おまけに、8日の夜は皆既月食まで見ることができた
あれほどはっきりとした月食は初めてだった

地球は生きている
月は生きている
太陽は生きている
宇宙は生きている

そんな当たり前のことを実感させられることが多いこの頃だ
今この星に生きることに
この国に生きることに
もっともっと感謝しなければならない
もっともっと感動しなければならない

さて、ぼくの“夕日の町”で
次に夕日を見られるのはいつだろうか

(C)2014 SHINICHI ICHIKAWA
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