<二百四十九の葉>
しとしとぽとぽとぴちゃぱしゃん

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

今年は雨が多い

ように感じられる
本当にそうなのか
そうではないのか

ただ
実際に雨が降った日を数えようとは思わない
知ったところで
知らなかったところで
何かが変わる訳ではない

どちらかというと
知らないままの方がいい
そんな曖昧な“感じ”でいるのが心地いい

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

部屋の窓を開けたら
なぜかすらすらと
詩が始まってしまった

今年は雨が多い

なんて思っていたからか
3月の雨がそうさせるのか

そんな矢先に
ピンポンとチャイムが鳴った
宅配便かとモニターのボタンを押す
「はい」と出ると間髪入れずに
『太陽神さまが降りていらっしゃいました』
とご婦人

この世に絶対はないから
誰が本当に正しいのかは
分からない

ただ
本当に太陽神さまが降りていらしたとしても
根も葉もない作り話だったとしても
今のぼくは詩と向き合いたい
すみません付き合えません

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

今度はアイフォンが鳴った
スペインの友人からのメッセージだ
そうだった
ブルーノートでのライブは今日だった

『今日のコンサート、来れるの?』
行けるか行けないかを連絡することになっていた
申し訳ないが行けない
「ごめん、今日は行けないや」
すぐに返信したが心が重い
『いいよいいよ、どうなったか知りたかっただけだよ』
やさしく返されるのがつらい

行けないことより
行けなくなったと連絡できなかった自分が情けない
コンサートの当日まで
ぼくからの返事を待ってくれていたのに

行ける可能性はあった・・・
その数パーセントのために
返事を先延ばしにしてしまった

「連絡できなくて本当にごめん・・・」
そうメッセージを返した
彼はがっかりしたに違いない
それなのに
『気にしない気にしない』
と気遣ってくれる

やるせなさが残る
不甲斐なさが募る

雨音が
3月の雨音が沁みる

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

音楽は
雨音に近づけるのか

この音に
どうやって立ち向かえばいい

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

雨はちょっとずつ激しさを増している
これがリズムなのか
これがメロディなのか
これがハーモニーなのか

そのままの
ありのままの
音・・・

音はただそこにあるだけだ

媚びることのない
阿(おもね)ることのない
無作為の音が
そこにある

この雨音のように
気取らず
構えず
工(たく)まず
繕(つくろ)わず

音を出すことが
はたしてできるだろうか

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

しとしとぽとぽと
ぴちゃぱしゃん
ぴちぴちぱらぱら
たたつとん

雨音がいつ止むのかは
誰も知らない


(C)2015 SHINICHI ICHIKAWA
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