<二十七の葉>
ひいひいひい

 今年もお盆が終わった。“盆と正月”と言われるように日本人にとっては大切な行事だ。この時期、多くの人が帰省する。お盆とは盂蘭盆(うらぼん)の略で『盂蘭盆経』の目連の説話に基づいた“祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事”だそうだ。辞典からの引用を続けると、陰暦7月13日から15日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊・神仏・無縁仏に供えて冥福を祈る。一般には墓参り、霊祭りを行い僧侶が棚経にまわる。地方によって新暦7月、8月など日が異なる。『うらんぼん』、『精霊会』とも言う。とある。(ここではこれ以上の説明はしないので興味のある方はぜひ調べてみてください。)1年に一度、家や先祖を振り返るのに打ってつけの行事だったのだろう。現在まで当たり前のように受け継がれている。小さい頃は家族で祖父母の家に行った。大人たちは布を棒の先に巻いてそこに石油か何かを浸して松明のような物を作り、暗くなるとその松明に火をつけて何軒か先の道角まで先祖の霊を迎えに行った。迎え火である。「何しに行くの。」と聞いたら、「ご先祖様が道に迷わないように角まで迎えに行くんだよ。」と言われた。「ご先祖様なのに何で自分の家が分からないんだろう。それに、近所の人たちもみんな火を持って歩いているのにどうやって自分の家の火を見分けるのだろう。」と子供心にちょっと疑問に思ったがそれ以上は聞かなかった。昨今は心を込めて迎えに出るような先祖孝行の人は、文字通り“奇特な人”になってしまったような気がする。きっとご先祖様たちは「殊勝な気持ちで迎えに来るのなら帰ってもいいよ。」と空から様子を眺めているに違いない。

 さて、ご先祖様。この先祖という言葉はかなり曖昧で観念的だ。いったい誰と誰のことを指すのか。墓標には『○○家之墓』と彫られている場合が多い。明治になるまで一般庶民が名字を名乗ることは禁じられていたから、墓に名字を入れるようになったのは明治以降だとしてもそれ以前にも当然墓はあった。先祖代々の墓は基本的には長男が受け継いでいるが、最近では核家族化、少子化の影響で守る人がいなくなり朽ちていく墓もたくさんある。先祖には“家系の初代”、“血統の初代”という意味の他に、“家系の初代以後、一家の現存者以前の代々の人々”という意味もあるから亡くなってしまった祖父母も先祖ということになる。祖父母の親も、そしてまたその親も、というように続いていく。100年前の先祖にも200年前の先祖にも親はいたはずだから、ずっと遡っていくとどこまでいくか見当もつかない。遙か古の先祖、弥生人、縄文人、さらには原人にだって親はいたし、もしその前に猿だったとしたらその猿にも親はいた。…。止めよう。このままいくと爬虫類やミジンコの類までご先祖様になってしまう。いや、ご先祖様には違いないのだが、このエッセイの話とは関係ないので以下、ご先祖様はホモサピエンスと言われる人間になってからということにしよう。

 30代続いている家があるとする。家を繋いで来たという点では代々皆先祖だが、血の繋がりという面ではそうでない場合もある。時には子供が早逝したり、できなかったりで養子をとったこともあっただろう。しかし、そのような場合でも皆立派な先祖と考えていいのではないだろうか。直接ではないにしてもその家の精神や何かしらを必ず伝えてくれているに違いないからだ。家に、名に係わったすべての人たちを先祖と言っていいのだと思う。

 いったい僕たちはどのくらいまでの先祖を把握しているのだろうか。亡くなったおじいさん、おばあさんはもちろんのこと、曾(ひい)おじいさん、曾おばあさんの何人かまでは、顔は知らなくてもなんとなく分かる。(※僕が住んでいたところでは曾祖父母のことをなぜか“としょ”と言う。どんな字を書くのかは謎だ。)それが、その1代前の曾曾(ひいひい)おじいさん、曾曾おばあさんの代になるとわずか4代前にも拘わらず皆目見当がつかない。それもそのはず曾曾おじいさんと曾曾おばあさんは8人ずつもいるのだ。僕の血の中にはこの名も知らぬ16人の曾曾祖父母(ひいひいそふぼ)のDNAが16分の1ずつ受け継がれている。更に曾曾曾祖父母(ひいひいひいそふぼ)からは64分の1…(※これ以上“曾”を連発すると右手人差し指が破綻をきたす惧れがあるので以後、曾曾曾(ひいひいひい)の場合は曾(3)、曾曾曾曾曾(ひいひいひいひいひい)の場合は曾(5)とさせていただきます。)更に10代前まで遡ると曾(8)祖父母はなんと1024人、彼らのDNAを1024分の1ずつ受け継いでいることになるのだ。そして、彼らの兄弟たちとも血は繋がっている。

 文化人類学者・小山修三氏(国立民族博物館名誉教授)によると、縄文時代中期(紀元前3〜2000年前)の日本列島の人口は約26万人。また、歴史人口学研究者・上智大学教授の鬼頭宏氏の『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)によると、紀元前後の弥生時代が60万人、西暦750年(奈良時代)450万人、1600年(関ヶ原の合戦当時)1200万人、1700年(江戸時代中期)3230万人程度だという。近年では、統計局が発表している人口推計によると日ロ戦争直前の1900年に約4300万人、元号が大正から昭和に代わった1926年には6070万人、2006年2月1日現在で1億2778万9000人となっている。ここでおもしろいことに気付いた。20代前の曾(18)祖父母は104万8576人もいる。1代を25年とすると(子供を産む歳を仮に平均25歳としてみた)20代前の先祖が暮らしていたのはちょうど500年前の1500年にあたる。室町時代だ。1600年の人口が1200万人だとすると1500年には1000万人ぐらいだったと想像できる。そうだとすると1000万人の中の約105万人、つまり10人にひとり以上が僕の曾(18)祖父母だったことになるし、彼らに兄弟がひとりずついたとしたら5人にひとりが血の繋がりを持った先祖ということになってしまう。もう少し遡って27代前になると曾(25)祖父母は1億人を越えて当時の人口をはるかに凌いでしまう。それも僕だけではない。すべての人に同じことが言える。こうなると意味不明だ。何が何だか分からない。一体全体どういうことなんだ!?本当に申し訳ないがこの話、これ以上は放棄せざるをえない。遺伝学、生物学の立場から言えばまったくもって的外れのことを言っているのかもしれないし、「なるほど!」と納得のいく学問的な答えはあるのだろう。だとしても、考えようによってはこの思い付きも悪くはない。それぞれが“墓前で手を合わせて先祖の冥福を祈る”ということは自分だけではなく“人類すべての先祖に対して手を合わせている”ということになる。なんて素敵なことだろう。「おじいちゃん、おばあちゃん、冥福を祈ります。そしてご先祖様…。」とつぶやいた瞬間、想いは世界中すべての人々の過去と未来に繋がっている。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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