<二十九の葉>
日々是好日(2)

 急に秋らしくなった。まだまだ残暑が厳しい日もあるが、いたる所に秋の気配が漂い始めた。夕方の心地良さはこの上ない。何かおもしろいことはないものかとサンダルを引っ掛けて散歩に出てみる。エッセイを書くにあたっておもしろいテーマがそうそう転がっている訳ではない。「これを書こう」とひらめいた時はいいが、そうではないことも多い。がしかし、そんな時、何を書いても許されるのがエッセイのいいところだ。『二十八の葉』を読み返したところで音楽体験の続きから書いてみようと思う。

 小学校に上がると音楽の授業があった。残念だが一年生のときの授業内容はあまり覚えていない。音楽室はなかったから体育館でのクラスだった。そのころはいつもの教室を出て移動するというだけでワクワクした。渡り廊下を進み別棟の教室の前を通り、更に屋根付きの石の階段を降りた所に体育館はあった。子供にとっては初めての体育館、それも自分の学校の体育館だ。佇まいや館内の様子を今でもよく覚えている。当時としてはごく当たり前のものだったとは思うが、何とも言えない厳かな雰囲気が好きだった。入口前にあった三段の花壇も見事だった。当時の校舎は建て替えられてしまったが、体育館はまだまだ現役でがんばっている。さて授業、まず初めに先生のピアノに合わせて国歌と校歌を覚えたように思う。音楽の教科書に載っていた曲はどれも好きになった。最初に習った楽器はカスタネットと足踏みオルガンだった。ハーモニカを習い始めたのも1年生の頃だったと思う。

 音楽に関して言えば、その他に保育園からの友達の影響でヤマハの音楽教室に通うことになった。「♪小鳥がね お窓でね 小首を振り振り 聞いてるよ…」音楽教室はいつもこのポップなテーマソングから始まった。性に合ったのか、週一回のオルガンレッスンは楽しかった。そして、そのうち自然にピアノを習うようになり、レッスンは小学校を卒業するまで続いた。(※参の葉で書いたように中学校時代は野球一筋の生活だった。もったいないことにピアノにはまったく触わらなくなってしまった。)7歳から12歳までの6年間、週一回のレッスンではあったがピアノで音楽と向き合ったことが僕の音楽人生(と堂々と言ってしまうが)の基礎になったことは間違いない。しかし、次に手にした楽器がギターとベースだったため鍵盤からは更に遠のいてしまった。

 クラシック音楽には素晴らしいメロディーがたくさんある。長い年月人々に愛され続けているものだけが残っているのだから当然のことだが、もし堅いというイメージや難しいという先入観だけで敬遠されているとしたら本当にもったいない。長い交響曲でも全てを聞く必要はまったくないし、事前に勉強することなんて何もない。特定の楽章だけを聴いてもいいし、好きな箇所だけ拾い聞きしてもいい。名手の音色だけを楽しんでもいい。有名な作品をすべて聴こうなんて無理なことを考えずに縁のあったもの、ふと耳にして気に入ったものを聴けばいい。映画やCMで流れた曲を聴いて気持ちいいメロディーだなって思ったことは誰にでもあるはずだ。ルールはない。クラシックだろうが、ロックだろうが、民謡だろうがいいと思うものはいいし、気持ちのいいものはいいのだからしょうがない。理屈は後から付いてくるものだ。好きなものに傾向があるのは当然だが、だからといってジャンルや形態には絶対に囚われない方がいい。

 “ジャンル”について最近思うことがある。BRUは『Boso Rockers Union』と名乗ってはいるが当然ロック限定の集まりではない。活動の趣旨を考えるならRockersのところをMusiciansとする方が適切だがロックが縁でできた集まりだし、独創的なネーミンングをと考えた時に、言葉の響きや匂いで“千葉”よりは“房総”を、“音楽”よりは“ロック”を選んだのだ。BRU主催のライブイベントも『Boso Rock』と銘打っているが(10月29日のライブが15回目の開催となる)名前を聞いただけでロック以外の音楽をやっている人たちに敬遠されてしまうのだとしたら残念だ。『Boso Rock』に出演する個人会員のために今年結成したBRUのセッションバンドにも『The Boso Rockers』なんて名を付けてしまったものだから余計にややこしくなってしまった。皆さんにはこれらを踏まえて、どうか広い心で参加していただけたらと思う。(笑)これまでもいろいろなタイプのミュージシャンに参加してもらったし、これからも千葉で活躍する、また縁のあるあらゆるジャンルのミュージシャンに参加してほしいと思う。またそんな人たちを知っていたら是非紹介してほしい。ちなみに10月29日のBoso Rock Vol.15はアコースティックに限定したライブ、初めての試みでもあるので重ねて楽しみだ。

 前回のBoso Rock Vol.14に出演してくれたバンドのメンバーのひとりにライブの当日、60回目の誕生日を迎えた先輩ミュージシャンがいた。還暦の誕生日にライブだなんてカッコよすぎる。60歳にして現役で楽しんでいる先輩を見て、みんなは「俺たちが60歳、70歳になってもこうやって集まってライブ演っていたいよな」と話していた。この思いはBRUの理想のひとつと言っていい。20年後、30年後、僕もみんなと楽しみを共有していたい。また、高校生の息子たちとバンドを組んで親子初競演をはたした人もいた。「筋金入りのロック魂を見せねばならぬ。」とお父さん、力が入ってしまうのも無理はない。「わが道を行く〜!」と恐れを知らない息子たちは自分の演奏にのみ全精力を傾ける。そこに迷いなんてものはない。迷いがなければ生まれるのは勢いだ。10代特有のエネルギーが爆発していた。空間にはある種の微笑ましさが漂っていたが、父の音ははたして息子たちの心に響いたか。今度会ったら聞いてみようと思う。(笑)このバンドのあり方もまたBRUの理想のひとつだ。音楽とは、表現とは、自由なものだ。どんな形態だっていい。BRUのライブ会場には、すべてを受け入れようと腕を大きく広げて見守ってくれているたくさんのお客さんがいる。ステージ上だけでなく客席にもBRUのカラーが出始めているのだ。音楽に興味のある人はまずは自分の想いを形にしようとするところから始めればいい。ギターが欲しかったらバイトしよう。貯めてあったお年玉の出番も近いぞ。楽器に自信がないのなら歌でステージに立てばいい。知らなかった自分を発見できるかもしれない。歳だってまったく関係ない。50歳からバンドを始めるなんてのもいいと思う。ライブはテクニックを競う場ではない。想いを伝える場だ。気持ちは技術を遙かに上回る。楽器の見本市でもない。2万円のギターからでも心を揺さぶる演奏は生まれる。美男美女の披露会でもない。カッコよさ、美しさはにじみ出るものだ。

 近い将来、おじいちゃんと孫の競演なんてこともありそうだ。金婚式にふたりで初ライブなんてことも…。その時は喜んでベースを弾かせてもらおう。 


(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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