<参の葉> 先生!

 

 『70年、画(えが)く所は実に取るに足るものなし。』70歳の北斎は言った。今まで画いてきたものは取るに足らないというのである。更に言い放つ。90歳、死の床での言葉。『あと10年生きられたら本当の絵師になれるのに…いや、あと5年でいい。』そして瞑目。「なんだ〜!?」とは思わないか?「おいおい、あれだけの作品を残したあなたが何を…」 と、常人はつい言いたくなる。江戸時代後期に活躍した浮世絵師“葛飾北斎”(1760〜1849)は下総の人、郷土の大先輩である。(このうれしい事実は最近知った。)今回はこの先輩の話。

 びっくりした、というより呆然としてしまった。「すごい…。」北斎の絵は大好きだったけれど、この記事を読んで尊敬せずにはいられなかった。すぐに切り取ってノートに貼り付けた。この気持ちの持ちようは何なんだ!70年とか90年とか、時間の経過になんてまったく関心がない。あるのは、ただ“絵”への情熱だけだ。このように生きられる人が果たしてどのくらいいるか…。このように思える人がどれだけいるのか…。本当の天才、本物の芸術家とはこういうものなのだろうか。

 今年、2005年10月25日から国立博物館で北斎展が開かれている。出展総数は約500点。これだけのものが集まるのは100年ぶりだという。次の100年は待っていられないから勇んで行ってきた。平日だというのにものすごい人。ここでも北斎人気のすごさが感じられる。年代順に並べられているから1枚たりとも見逃すまいという人の視線と熱気で入り口から大混雑。係りの人も「先にもたくさんありま〜す!」とか「どこから見てもいいんですよ〜。」とか叫んでいた。音楽と一緒で絵もライブがいい。いや、ライブに限る。最も強く感じるのは大きさだ。絵の大きさには作者の意図や主張が込められている。10号には10号の、100号には100号の主張がある。(北斎展ではそんなに大きなものはなかったが。)これが画集だと同じページに同じ大きさで並んで載っていたりするから印象がまったく違ってくる。それから当然だけど、筆使いや絵の具の乗せ方、微妙な色合いも自分の目で確かめられるし、作者が画いた時の感情に直接触れられるような作品に出会える時もある。

 北斎は『富獄三十六景』等の版画で有名だけれど、肉筆画もたくさん画いている。20歳でデビューしてから、『春朗』→『宗理』→『北斎』→『戴斗』→『為一』と名前を変えてきて、最後が『画狂老人卍』。北斎にも“総”の人の血が流れているせいか、楽天的なところが大いに窺える。画狂老人の名前からしてそうだし、今回特に見たかった『北斎漫画』なんて茶目っ気たっぷりだ。この『北斎漫画』がヨーロッパに送られた陶磁器の包装紙に使われていて、それを機に広まっていったというのだから本当にマンガのような話。更に考えると今、世界を席巻している日本のアニメの先駆けだったのかもしれない。 北斎展は12月4日が最終日。この<参の葉>がアップされるのが11月30日だから、残りはあと4日しかない。たぶんものすごく混雑すると思うけれど興味のある人は行く価値あり。ついでだけど、見終わったら(たっぷり2時間はかかると思う。)たぶんお腹が減っているはずだからお勧めをひとつ。上野駅に向かう途中、動物園の入り口右側のピザ屋はかなり美味しい。これで完璧。

 最後にもうひとつ。ある雑誌に『北斎先生真似される!』という特集が組まれていた。“北斎先生”の絵とゴッホ、ドガ、マネ、セザンヌの絵がそれぞれ対に並べてあった。それらは、ストーンズやツェッペリンのリフ(リフレインの略、あるフレーズやメロディー−2小節であったり4小節であったり−を繰り返すこと。いいリフだと聴いただけでその曲が分かる。ローリング・ストーンズのブラウン・シュガーとかビートルズのデイ・トリッパーとか。レッド・ツェッペリンの場合はたくさんありすぎて選べない。まさしくリフの宝庫。)をそのまま使って曲を作るようなもので、いかに彼らが北斎先生に憧れていたかが分かる作品ばかりだった。影響されたのは画家だけではない。冨獄三十六景の『神奈川沖浪裏』に触発されドビュッシーが交響詩“海”を、クローデルがブロンズで“波”を生み出した。

 1999年、アメリカの「LIFE」誌が発表した『この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人』の中に、北斎先生は日本人として唯一選ばれた。センチュリー(100年)ではなく、ミレニアム(1000年)を代表する人として選ばれたのだ。まさに1000年にひとりの逸材であった。

(C)2005 SHINICHI ICHIKAWA
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