<三十四の葉>
Fの壁

 2005年11月10日に初エッセイを掲載してか1年が経った。月に3編を目標に書き始めたが「いつまで、そして何編まで続くか」なんてことはまったく考えもしなかった。ましてや「千の葉だから千編まで」なんていうのは言葉の綾でしかない。「何があっても半年は続ける」と約束はしたものの、手探り状態のままで踏み出した。何を書くか…正直言うと自分でもまったく予想できなかったし、期待と不安が入り混じった複雑な心境だった。半年だと単純計算で18編になる。初挑戦という立場で考えた場合、この数が多いのか少ないのか今でも分からない。機会があったらプロの書き手に聞いてみたいと思う。半年の予定が…見事に(笑)今編で1年の区切りを迎える。満足感はあるし、なんとなくうれしいが「自分自身を褒めてやりたい」なんてことは口が裂けても言えない。いや、言いたくはないし言ってはいけない。オリンピック2大会連続でメダルを獲得したマラソンの有森裕子選手の名言だがやっぱり自分で自分を褒めるのはどうかと思う。その前に普通ならそんな気持ちになんてなる訳がない。魂が許さない。もしそんな気分に浸りたかったら褒め上手の人に褒めてもらうといい。「それで?」「それで?」と言って、綺羅星のような言葉のシャワーを思い切り浴びせてもらうといい。心を許せる人同士でしか味わえないちょっとしたご褒美のようなもの、おまけ、おやつみたいなものだ。たまには必要なことなのかもしれない。さて、良い機会だからこの1年間、エッセイに向かった心の葛藤(ちょっと大袈裟だが)を綴ってみようと思う。言ってみれば自分自身のエッセイに対する一種のケジメのようなものだ。

 順調にいけば1年で36編になるはずだった。といっても0の付く日に発表することになっているから(当初は1の付く日に、とも考えたが31日、1日と繋がってしまう月もあるので0の付く日に発表することになった)28日までしかない2月は2編でいいことになり、年に35編という計算になる。当たり前だがこれは詭弁に過ぎない。本当は28日に発表するのが筋だ。もし、2月は2編でも構わない、ということを自分で言い出していたなら、僕は自分自身に負けたことになっていただろう。2月になると10日ごととはいえ書き続けることの難しさを痛感し始めていた。連載開始から数ヶ月は自分の書いたものを読んでもらえるという喜び、そしてイメージや漠然とした想いを形にすることのおもしろさに指(最初は原稿用紙に万年筆で書いていたがすぐにパソコンに向かうようになった)も心も弾んだが、次第にプレッシャーのようなものが頭をもたげて来た。当然、焦りだすと視野は狭くなるし、まだ時間はあるにも拘わらず、書けなかったらどうしようとマイナスの発想に襲われるようになってしまう。そんな気持ちを知ってか知らずか、2月20日に発表する『十一の葉』の原稿を送った時にBRUの担当者から「2月は0の付く日が2回ですから次は3月10日にしましょう」という提案があった。ここでは本当に葛藤があったが“武士の情け”(はははは、やっぱり大袈裟だ)ということもあると思い、甘んじて申し出を受けることにした。今考えると、この2月20日から『十二の葉』発表の3月10日までの時間が気分転換という妙薬となり思いがけない余裕と新しい意欲をもたらした。

 上手、下手は別として、何事においても“続けることの難しさ”とは、こういうところにあるのではないだろうか。たとえば、ギターを始めた人のほとんどはすぐに『Fの壁』にぶちあたる。ギターにおけるコード(和音)ではC(ドミソ)G(ソシレ)の基本フォームはちょっと練習すればすぐに弾けるようになるが、F(ファラド)のコードを押さえられるようになるにはかなりの練習と忍耐を必要とする。Fに略式のフォームはない。Cの変形で6弦の第1フレットFを押さえない(というか6弦と1弦を弾かない)という形があるが、初心者にとってこれは邪道だ。6本の弦をきちっと押さえなければ納得できないのだ。6弦(1番太い弦)の第1フレットを人差し指の先で押さえ5、4、3弦を小指、中指、薬指でド、ファ、ラと押さえる。さらに2弦と1弦の第1フレットを人差し指の付け根でしっかり覆って、初めてFを征服したことになる。統計(どんな統計だ?経験上の“勘”にほかならない)によるとギターに挑んだ人の約半分はここで脱落してしまう。それほどまでにこの『Fの壁』は高く厚い。あっという間に夢は打ち砕かれ、他の楽器に移るか(おもしろいことに楽器には相性というものがあって、ギターはダメでも違う楽器の達人になることだってありうるのだ)あきらめの早い人に至っては「音楽にさようなら」なんていうことにもなりかねない。結局は新品のギターの大半が友達の手に渡るか押入れの中の粗大ゴミになるかで、最初の持ち主の傍らに留まる確率は50%にも満たないのではないだろうか。本当の意味での試金石となるFコードの習得は、この厳しい第1関門を突破した人たちに対しても絶大な効果、効用を生む 。「ギターは甘くない」と心に杭を打たねばならぬほどの教訓を与えてくれるのだ。僕はといえば中学2年生の時にガットギターを手に入れ、どうにか『Fの壁』を乗り越えた。そのままギターの道を進んでもよかったが、中学3年生の時に隣町の体育館で初めて耳にした“アンプから出たベース音”に痺れてしまった。ステレオやヘッドホンからではけっして伝わらない低音の響きの心地よさを体感してしまった。空気を通して体で浴びたその音は、絵で表すとドラゴンボールの主人公・孫悟空の得意技“カメハメ波”のような衝撃波だった。皮膚を刺激するかのようなあの感覚は忘れられない。そして僕は高校入学と同時にベースを手にした。

 2月に続いて5月も2編しか発表できなかった。この時期はBARAKAのフランスツアーと重なり、準備を含めてすべての時間をツアーに集中させたかった。この時は僕の方から「1回休ませてください」と申し出た。楽しみにしていてくれた人には申し訳なかったし、決めたことを実行できない悔しさはあったがどうか勘弁していただきたい。

 この34編のエッセイは僕にとって本当に大切なものとなった。これからも1編1編にその時々の想いを“書く”ではなく“書き込んで”“注ぐ”ではなく“注ぎ込んで”いきたいと思う。「いつまで、そして何編まで続くか」は今でも分からない。まずは100編が目標、と言いたいところだが、常に目の前の1編に全力で、真摯に、時には遊び心も忘れずに向かっていきたい。僕自身、書くことにおいて『Fの壁』を乗り越えたのかどうか些か不安は残るが、いかなる道であっても壁は次々とやってくる。より大きな壁となって…。乗り越えねばならないすべての『Fの壁』は“道標”“道導”と言い換えてもいい。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
----------------------
PAGE TOP
目次
ESSAY TOP
HOME