<三十六の葉>
ノリオの日常
ノリオの休日(二)


 幹線道路を横切ると静かな住宅街が広がっている。駅へと向かう道を反対方向に進むと突き当りに外国企業の研修所が見えてくる。立派な建物が品良く並んでいるところを見るとやはり環境には恵まれているのだろう。建物の周りの緑は目に優しく庭や垣根の隅々まで掃除が行き届いている。土曜日、それも早朝ということもあってか、すれ違う人はまばらだ。研修所を迂回して大型スーパーを過ぎると今度は日本の大企業の社宅が並んでいる。その先の四つ角を右折すると新しくできたばかりの道路が映画のセットのように輝いている。それにしても日本の道路はきれいだ。縁石や街路樹、歩道までが美しい。この丁寧さは世界に胸を張って誇れる日本人の美徳のひとつだ。これもまた“技”なのだ、とノリオは感動を新たにする。

 目的の店『三休』はその道路を100メートルばかり行って右に曲がった所にある。小さな小屋といった佇まいの建物はかなりの年代物だ。実は、ノリオは通うようになる何年も前からこの店のことを知っていた。知っていたと言っても、ただそこに「蕎麦屋がある」という認識を持っていたに過ぎない。今、歩いて来た道をノリオは気に入っていた。深夜、ウォーキングをしていた時期があって、その時は必ずと言っていいほどこの店の前を通っていたのだが、古びた暖簾と「そば・うどん」と書いてあるノボリを見るまではそこが蕎麦屋だということさえ気が付かなかった。「ここ蕎麦屋だったんだ」「ぼろい蕎麦屋だなあ」「どんな人が食べにくるんだろう」…真夜中に見る『三休』はある意味恐ろしかった。当時は自分がこの店に足を踏み入れるなんて想像もできなかった。ノリオはどのようにして『三休』の暖簾をくぐったのか。

 3年ぐらい前だろうか、『三休』の近くに24時間営業の中華料理屋『北京飯店』がオープンした。(今でも営業しているようだが24時間営業ではない。営業時間がどのくらいに縮小されたのかは分からない)映画関連の会社に勤めているノリオは、ある日、取材とインタビューを兼ねて撮影現場である宇都宮に行った帰りに、車でこの辺りを通りかかった。朝の4時ごろだった…にも関わらず『北京飯店』は賑わっていた。腹を空かせていたノリオと同僚のヨウヘイは車を停めてこの店で腹を満たすことにした。ノリオは五目そばを、ヨウヘイは担々麺を食べた。中国人シェフによるその味はかなりのものだった。それからというものノリオは時々、深夜というよりは早朝と言ったほうがいい時間にここを訪れては中華料理に舌鼓を打っていた。

 それから1年ほど経ったある朝、5時過ぎだったろうか。『北京飯店』を訪れたノリオは愕然とした。24時間営業、年中無休を誇った『北京飯店』が閉まっているではないか。何時間も前から『北京飯店』の五目焼きそばだけをイメージしていたノリオのショックは大きかった。「なんてことだ…」ノリオの空腹は限界に達していた。「コンビニにでも行くしかないか」ため息と同時に歩き出したその時、ノリオの前に『三休』が立ちはだかった。屋根の下の換気扇から蒸気がものすごい勢いで噴き出していた。店のすべてが夜の佇まいとは一変していた。まだ寝ぼけ眼(まなこ)の朝の景色を切り裂くかのようにその一画だけがエネルギーの塊となっていた。ノリオは引き寄せられるようにガラス戸に手をかけた。

 そして今日、『三休』の戸を開けるのは何度目になるのだろう。『三休』は土曜日も営業している。日曜、祭日が定休日だ。朝の5時に開き、午後の1時過ぎには店じまいを始める。以前、2度ほど痛い目にあっていたから店の営業時間は確実に把握していた。ノリオはちらっと店の中を見てから、席の空いている側の戸を開けて店に入った。今日も店は静かな活気に満ちている。蕎麦を茹でる大釜は店の奥でこれでもかと湯気を吐き出し、従業員たちの無言の気合と美味い物を食うぞという客の期待が入り混じって異次元とも言える様相を示している。ノリオも当然引き締まる。カウンター席のみの小さな店、いわゆる立ち食い蕎麦屋だ。L字型のカウンターには6、7人が精一杯というところか。釜の前には店主らしきおやじさんがドンと構え、その道の達人のみが持つ雰囲気を漂わせている。狭い店内ではおやじさんを含めて4人がせわしく動いている。おかみさんと思われる年配の女性は60代後半だろうか。あとのふたりは若いのか、そうでないのかよく分からない。ただ黙々と働いている。この小さな店に4人、というところからして並ではない。従業員のふたりは修行に来ているのだろう。おやじさんは店にいる限り釜の前をけっしてふたりには譲らないが、いない時にはどちらかが蕎麦を茹でる。ふたりの腕前もかなりのものだ。

 ノリオはワカメとかき揚げ入りの温かい蕎麦をたのんだ。ワカメはこぶしの大きさほどの量だ。たっぷりある。大きめにザクっと切ってあって味も濃い。かき揚げは近くの業者から届けられるので数に限りがある。ありつける時はラッキーだ。蕎麦は茹で加減が絶妙で、コシの良い歯ごたえが脳の隅々にまで伝わって行く。独特なのは大量の熱湯でザザァーと茹でた蕎麦を一度冷水にサッと通し、間髪を入れずに再び湯がくところだ。温かい蕎麦でも最後まで美味しいのはこの茹で方の所為かもしれない。ノリオは起きてからの思いを込めてズズーッとかきこんでいく。タイミングを見計らってワカメとかき揚げを口に入れ、ダシの利いた熱い汁を喉で味わう。熱さは美味さの根本だ。一噛み一噛みゆっくりと味わいたいのは山々だが舌がそれを許さない。

 ノリオの右側に入って来た人たちは噂を聞いて来たのだろう。初めてだと一見してわかる。もの珍しそうに店内を見回してからゆっくりと天ぷら蕎麦を注文した。対照的に常連らしき人たちは「おはようっ」「うっす」等の挨拶のみで、あるいは一瞥のみで注文が済んでしまう。一瞬のアイコンタクトで次々に注文ノートが埋まってゆく。ノリオがなんとなく羨ましさを感じながらも平然として蕎麦をすすっていたその時だった。常連たちの前に出された蕎麦を見たノリオは気付いてしまった。あきらかにネギの量が多いのだ。これは悔しい。ノリオもネギが大好きなのだ。「次回はとりあえずネギ多めで、とでも言ってみよう」そう思った。しばらくは落ち着いた時間が流れていたが、次に入ってきた客が言った言葉にノリオは一瞬耳を疑った。その客は確かに「ハーフの大盛り」と言った。「ハーフの大盛り?どういうことなんだ?」「ハーフって五割蕎麦のことか?二八蕎麦とか十割蕎麦ってのは聞いたことがあるが蕎麦粉半分、つなぎ半分の蕎麦なんて聞いたことがないぞ」「いや、ハーフ、つまり“半分”の大盛りってことは4分の3ってことか?だったらちょっと少なめでってたのめばいいじゃないか」ノリオは頭をめぐらしたが、そうこうしているうちに大盛り用のどんぶりが用意され、その中に蕎麦とうどんが半分ずつ入れられた。「そのハーフですか…」 あっけに取られながら、次に来た時には注文してみようかと一瞬思ったが「蕎麦とうどんを一緒に食べる勇気は…今の俺にはない」 と思い直した。

 汁の最後の一口をグッと飲み干してどんぶりを置いたノリオは「美味かった。ここに来て本当によかった」と心の底から思った。「ごちそうさまでした」と心を込めてつぶやき、そっと暖簾を押し上げた。風が汗ばんだノリオの頬を撫でた。(つづく)

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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