<四十の葉>
時間

 2006年が終わろうとしている。ここ数年は時間の経過が異常に早く感じられる。だが「ついこの間正月を迎えたばかりなのに」なんて思っているのは僕だけではないはずだ。振り返ってみると世間一般でよく言われる『30歳を過ぎると早い』というのは本当だった。その感覚は年々増し、時の流れをより早く感じるようになってきている。子供の頃とはあきらかに時間の流れるスピードが違うのだ。1月(ひとつき)も、1週間も、1日も…どれもが短くなった。1時間さえアッという間だと感じられることが多くなった。小学生の頃は5分や10分の休み時間でも校庭に出て遊んだものだが、それでも満足感や充実感があったのだから今考えるとおもしろいものだ。ただし、この“時が早く過ぎる”という感覚は、あくまでも『期間を区切った時間の長さ』が短いと感じられるようになったということに過ぎず、その間に起こった出来事や人との出会いを軸に考えると、時間の長さはまったく別のものになる。様々なケースがあるが、出来事や記憶と時間の関係は、その出来事と自分自身との距離、関係の深浅、そして印象や衝撃の大小に深く関わっている。180度、逆に感じられることもあるからおもしろい。人は“人間として相対的に感じられる時間の流れ”とは別に“自分だけが感じるもうひとつの時間の流れ”を心に持っている。

 いい意味でも悪い意味でも、自分にとってショッキングな出来事、印象深い出来事はいつまでも鮮明に覚えているものだ。まず、近親者との別れがそうだ。肉体的には時間を経ていても、あまりの辛さに「あの時、時間が止まってしまった」という人さえいる。いつまでたっても昨日のことのように思い出されたり、一瞬にしてその日に戻ってしまったり…。そこにはその人だけの時間が流れる。ここ十数年を考えてみても阪神淡路大震災やニューヨークの同時多発テロ等は記憶に新しい。21世紀の幕開けというおおきな節目を迎えたのも“ついこの間”の出来事として感じられる。

 逆に、ちょっと前の出来事なのに“はるか昔”と感じられることもある。BRUがそうだ。2005年1月29日に第1回目のBRU主催ライブ“Boso Rock”が行われたのが、遠い昔のことに思える。これは、BRUという存在が僕たちの“あたり前の日常”として生活の一部になってしまったからに他ならない。何も言わなくても続いていくことが当然だと思っているし、すぐにまたみんなに会えるんだという安心感にはこれっぽっちの疑いもない。この“あたり前の日常”になったということがすごい。スタッフの大変さは言うに及ばずだが、奮闘しているのは彼らだけではない。多くの人が忙しい中、自由にできる大切な時間の一部を使って参加しているのだ。好きだからと言ってしまえばそれまでだが、そんなに単純な話ではない。大切に思う気持ちがなければ続く訳がないのだ。BRUの“日常化”はスタッフ、会員、出演者、お客さん、協力してくれるライブハウス、この会に関わるすべての人の想いの結実だと言ってもいい。BRUを通して知り合った友だちともたった2年の付き合いだなんて信じられない。しょっちゅう会っているという訳ではないのだが、何年も前からの友だち、としか思えない人たちがたくさんいる。同じ目的や気持ちで進んでいけることは喜びだということを改めて実感させられた。こういう気持ちが人生の醍醐味のひとつなのだ。

 今年は1月28日(船橋ROOTS)、29日(千葉ANGA)の2デイズを皮切りに4月30日(千葉ANGA)、8月19日(市川ROUTE14)、8月20日(千葉ANGA)、10月29日(柏WUU・アコースティック)、12月3日(千葉ANGA)と7回のライブを行った。次回の2007年4月7日(千葉ANGA)のライブで17回目を数える。あれもしたい、これもしたい、BRUを通じてやりたいことはたくさんある。理想もある。実現の難しいこともあるだろうが、よく考えると発足してからまだ2年しか経っていないのだ。これまでのようにみんなで一歩一歩、確実に進んで行けたらと思う。

 新聞やテレビでは今年の10大ニュースで2006年を振り返っている。冬季オリンピックがあった。WBCがあった。核実験があった。親が子に殺された。子が親に殺された。いじめや不安が死を呼んだ。エセIT長者の化けの皮が剥がされた。いろんなことがあった。あなたにとっていい年だったか、良くない年だったか。国にとっていい年だったか、良くない年だったか、世界にとっていい年だったか、良くない年だったか。年頭のエッセイにも書いたが、正月はうまくいっている人もいってない人も平等にリセットできるいい機会だ。ほんのちょっと、マイナーチェンジをするだけでもいい。新しい何かをひとつだけ取り入れてもいい。小さなアイデアが大きな変化を生むことがある。あと2日で2006年が終わる。昨日も今日も2度と巡っては来ない。まだ見ぬ明日も2度と巡ってはこない。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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