<四十四の葉>


 “みち”とは道の意の「ち」に接頭語「み」がついてできた語だそうだ。漢字では道、路、途、径と書く。この言葉の起源は古い。辞書で意味を調べると例文の出典の多くが万葉集や土佐日記、平家物語などで、昔から“道”は “みち”だった。しかし、道はその規模や通っている場所などによっていろいろな呼ばれ方をされるようになっている。道路、街路、野路、隘路、街道…そして迷路、袋小路、岐路。人生もまた人が一生をかけて歩む道だ。道という言葉には人生と重ね合わせて派生したさまざまな意味が含まれている。時にはあまりに当たり前すぎて知っていると思っている言葉の意味を調べ直してゆっくり読んでみるのもおもしろい。僕の電子辞書に載っている“みち”の意味を簡単に紹介しよう。

 @人や車が往来するための場所。通行する所。道路。通路。
 A目的地に至る途中。
 Bみちのり。距離。
 C人が考えたり行ったりする事柄の条理。道理。
 D特に儒教、仏教などの特定の教義。
 E道をわきまえること。分別。
 Fてだて、手法。手段。
 G方面。分野。
 H足場。踏台。

 ざっとこんなものだ。言葉にしてみるとどれも「ふむふむ」「なるほど」と思えるがやはり奧深い。各々の意味にはあまり関連性がないように思えるがどれも芯の部分で“貫く”という意味合いが感じられる。最近、ふたつの“道”について考えることがあった。ひとつは上記のCの意味に近いだろうか、日々の研鑽の上に成り立つ“道”、信念を持って繰り返す“道”、いわゆる「道を究める」の道であり、そしてもうひとつは「人生」という意味での“道”だ。

 “道”の付く言葉でまず思いつくのは芸術としての茶道、書道、華道。柔道、剣道、空手道などの武道全般。他にもあまり聞き慣れないが生き方を表す士道(士としての道)、婦道(婦人としての道)、芸術の道である歌道、詩道、画道。職業に関しては医道(医者としての道)や吏道(官吏としての道)など…。おもしろいところでは美道(男色の道)なんてのもある。共通しているのは信じた道を、選んだ道を突き詰め、究める、ということだ。仕事でも趣味でもこれだと思うものがある人は幸せだが、それを“道”だと思えるのならなお素晴らしい。現在、これと言える道がない人は何かの道に挑戦してみてはどうだろう。日本人ならではの美しい道、あるいは力強い道を選ぶことをお勧めしたい。

 商売にも農業にもそれぞれの道がある。大工の道、銀行員の道、教師の道、警察官としての道、営業の道、税理士の道、研究者の道、自動車整備の道がある。文学の道、漫画の道、そして音楽の道も…“道”には究めるという喜びがある。もうここまでだという「到達点」がないところがいいのだ。武道の場合、何年もかけて黒帯を手にしたとしても、その時からが本当の修行だという。気の遠くなるような話だが、そんな境涯にたどり着くためには信念と納得の日々を積み重ねていくしかないのだ。何事においても“続ける”と いうのがキーワードであり、達人もスペシャリストもオタクも“道を究めた人”という意味では同じだ。僕もベースの道を突き進みたい。バンドの道を究めてみたい。

 さて、もうひとつの“道”。自分はどんな道を歩んできたのか、歩いていくのか。誰もが考える問題だ。今、立ち止まって後ろを振り返ってみると、歩いてきた道は、当たり前だが一本しかない。その一本の道はどんな道であろうと自分で選んで歩んできた道だ。後悔などしないでおこう。いい機会だから振り向くのではなく、完全に後ろを向いてゆったり眺めてみるというのはどうだろう。目に映る道は太い道だろうか、頼りのないか細い道だろうか。太陽に照らされた明るい道だろうか、鬱蒼とした森の中を這うような暗い道だろうか。誰の道でも多少は曲がりくねっているだろう、いたるところに障害物があるだろう。いくつもの岐路が、分岐点が見えるはずだ。自ら進んで足を踏み入れた道であっても、逃げ込んだ道であっても、偶然入り込んだ道であっても、迷い込んだ道であってもかけがえのない自分のたったひとつの道なのだ。

 今、また新たな岐路に立っているとする。ここから先の道は無数だ。目の前には無限の道がある。辿ってきた道をそのまま行くのもいだろう。踏み固められてしっかりした道であることが想像できる。脇道に逸れてみるのもいいかもしれない。入り口は狭くともその先には広大な景色が広がっているかもしれない。ふたつの大きな道を前にどちらに行こうか決めかねている人も、意を決して歩き出すときは確信を持った力強い一歩を踏み出してもらいたい。見通しのいい太くて真っ直ぐな道であれば尚いい。でも知っておかなければならない。最初の一歩を踏み出した瞬間に目の前の道は一本になり、残りのすべての道は消えてなくなってしまうということを。選ぶというのはそういうことだ。自分で決めた道だ。勇気を持って進めばいい。

 先日、車検をお願いするためにいつものガソリンスタンドに愛車を預けに行った。代車を用意してもらっていたのだが、なんとなく歩いて帰りたくなって「代車はキャンセルして歩いて帰ります」と告げて歩き出した。「どのくらいかかるだろう。疲れたらバスにでも乗ればいいや」と気楽な散歩である。以前も触れたが、知らない道を歩くのは本当に気持ちがいい。ある意味、これも“道”の発見に他ならない。たっぷり2時間かかった。タオルも用意してなかったから冬だとはいえ汗びっしょりだ。何千回も歩いたであろう家の前の道にたどり着いたとき、夕焼けがやけにまぶしかった。

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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