<四十八の葉>
楽器の話(一)

 初めて手にしたベースはウエストミンスターのリッケンバッカー・モデルだった。中学校を卒業して高校入学を目前にしたちょうど今頃の季節、1977年のことだ。30年前になる。ボディーの色はナチュラル(木そのものの色)で白のバインディング(縁取りのようなもの)が施してあった。ポジション・マークは三角定規形の二等辺三角形だ。このベースはアメリカの楽器メーカー・リッケンバッカー社製のベースのコピーモデルだった。リッケンバッカーのベースはポール・マッカートニーがビートルズ解散後、新たに結成したバンド“ウイングス”で使用していたことで有名だ。ポールが使っていたベースはドット・ポジション、バインディングなしという特別仕様だった。(1980年ごろに日本の楽器ブランド・グレコの完全コピーモデルが発売されたのだが、なんと当時それを買った幼なじみの八巻が一昨年プレゼントしてくれた。うれしかったなあ。)僕はビートルズに夢中だったからポールと同じベースが欲しかった。本当はポールがビートルズ時代に使用していたヘフナー社(ドイツの楽器メーカー)のバイオリン・ベースが欲しかったのだが(第1希望)、日本で買えるのかどうかさえ知らなかったし、知っていたとしても中学生の手に届くものではなかった。バイオリン・ベースのコピーモデルはグレコのものが発売されていたが(第2希望)、それにも手が出なかった。リッケンバッカーの本物は(第3希望)当然、高価だ。あきらめるしかない。グレコのリッケンバッカーモデル(第4希望)という選択肢もあったが、我慢だった。第5希望ではあったが、僕の憧れと夢を満たしてくれたのがウエストミンスターのベースだった。価格も妥当で、子供のころから貯めていたお年玉がなくなっただけですんだ。ウエストミンスターはグレコの廉価ブランドで、グレコのワンランク下の製品を揃えていた。(※ちなみにウエストミンスターというのはロンドンのテムズ川左岸の地域名で、ウエストミンスター寺院が有名。政治、宗教の中心地である)ウエストミンスターのギターとベースはグレコのカタログの片隅に何気なく掲載されていた。

 当時、日本にも個性的な楽器ブランドが数多くあったが、名を知られていたのはグレコとヤマハぐらいのものだった。日本製のギターやベースはワールド・スタンダードだったフェンダーやギブソン等の高価な楽器を手に入れることができない人たちのために比較的低価格で売られていたため、エレキやバントに憧れるティーンエイジャーたちも簡単にではないにしろ楽器を手にすることができた。ヤマハやグレコは5万円弱から10万円程度の価格設定だったように記憶している。当時の物価を考えると決して安いとは言えないが、国産のギター・ベースがミュージシャンの卵たちに希望を与えてくれていたのは間違いない。楽器は値段が高すぎるのもよくないが、安すぎてもいけないと思う。ある程度の覚悟を持てるくらいの値段がいい。

 ヤマハはモズライト(※ベンチャーズが使用したことで有名)のコピーらしきものも作ってはいたが、果敢にもオリジナル製品を主力として勝負していたように思う。その流れは現在まで続いていて、いつの時代にもヤマハ独特の音を響かせている。グレコはフェンダー、ギブソンの楽器を徹底的にコピーした製品が主力だった。日本人のこの分野での才能は世界が認めるところだ。この頃作られたものには今でも評価されるものが少なくない。トーカイのギターと共に高値で売買されているものもある。80年代後半から目立たなくなってしまったが、まだまだ現役でがんばっている。

 うろ覚えだが、30年前でもフェンダーのプレベ(※プレシジョン・ベースのこと。アメリカのフェンダー社が世界で初めて発売したエレクトリック・ベースで、今も人気は衰えていない)は22〜23万円はしたと思う。現在でもアメリカ製の新品はそのくらいの価格だから、当時としてはかなり高い買い物だった。今とは違ってジャズベ(※ジャズベースのこと。フェンダーがプレシジョン・ベースに次いで発売したベース)はプレベに比べて人気はいまひとつだった。当時は1960年代に作られたプレベやジャズベは“ビンテージ”ではなく、“中古”だった。どれもが10万円台で売られていた。1960年代製のギターやベースが楽器屋の奧に厳重に保管されている今となっては信じられない話だ。現在では1961年から63年の間に作られたジャズベには200万円以上の値段が付いている。64年から66年あたりでも状態がよければ150万円はくだらない。70年代のものでも70〜80万円するものがでてきた。いくらなんでもこれは行き過ぎだと思う。どうしてこんなことになってしまったのだろう。60年代のプレベやジャズベがいい音だというのは分かる。長い間空気にさらされてきたボディーに響く音はほどよく乾いている。アンサンブルの中にあっては、音の存在感など別格だ。だがベースの音はこれだけではない。他にも“いい音”のする楽器はたくさんあるのだ。日々、生まれてくる新しい楽器の中にも素晴らしいものが数多くある。それらの中には残念ながら的確に評価されていないものもあるが、称讃され人気の高いものもある。

 10年ぐらい前までは古いものと新しいもののバランスがしっかりとれていた。だから、今、ビンテージと呼ばれるようになってしまったギターやベースが、楽器の価値のバランスを崩してしまっているように思えてならない。仕方のないことかもしれないがミュージシャンではなくマニアが値を吊り上げているというのが実情だ。これらの楽器はミュージシャンの手を離れコレクターのものとなってしまった。演奏されることによって価値が出るはずの楽器が飾られ、きれいに保存されることで価値を決められるようになってしまったのだ。本当に残念だが、現実を見つめなければならない。見渡せばいい楽器が、身の丈にあった楽器がたくさんあるはずだ。楽器を探しているのなら情報に惑わされてはいけない。自分で手にとって触れてみることが大切だと思う。

 どんなタイプの楽器であろうと、まずは自分の音を作り上げることを考えればいい。自分の音を持った人ならば例外なく、どんな楽器であろうとその人らしい音を出すものなのだ。ベースの場合、大事なのは左手の“押さえ”と右手の“タッチ”だ。この“本当の基本”ができていないと、楽器本来の音を引き出すことはできないし、ボディーは決して鳴ってくれない。ベースを手にしてから30年、僕の楽器の歴史を振り返ってみるつもりで書き始めたのだが、まだ1本しか(それも途中だ!)紹介できていない。もうしばらく続けてみようと思う。(つづく)

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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