<五十六の葉>
MOTTAINAI

 “MOTTAINAI”これは、ぼくたち日本人が普通に使っている“もったいない”という言葉をローマ字表記したものだ。今や、この“MOTTAINAI”が“TSUNAMI”や“TATAMI”のように日本語でありながら世界共通語として知られるようになってきた。“もったいない”はぼくたちにとっては普段当たり前のように使っている言葉だから、世界でクローズアップされていると聞いたときはちょっと意外な気がした。この言葉の持つ意味や概念は奥深い。それこそ問答無用に素晴しいと思うから、今、この精神を世界に広めようというのはよく分かる。もし世界語として最初に紹介したのが日本人だったとしたらまったく不思議には思わなかっただろう。だが、その提唱者は外国人だという。なぜ日本語なのか…小さな疑問が後を引いた。

 その理由は簡単だった。“もったいない”に代わる言葉が他の言語にはなかったからだ。この“もったいない”を知り、深い感銘を受け世界に紹介したのは2004年に環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したケニア出身の環境保護活動家、ワンガリ・マータイさんだ。テレビで見たことがあるという方も多いと思う。時代の先を歩く人にふさわしく常に豊かな微笑をたたえている。彼女は2005年2月に京都議定書関連行事のため来日し、新聞社とのインタビューでこの言葉を知った。『日本人が古くから持っている“もったいない”の精神こそが環境問題を考えるにふさわしい』と感動した彼女はその後、この言葉の意図と概念を世界に広めようと他の言語で該当する言葉はないか探した。だが“もったいない”のように自然や物に対する“敬意”が込められている言葉、そして、ゴミ削減(Reduce)再利用(Reuse)再資源化(Recycle)という環境活動の3Rの精神をたった一言で表せる言葉はとうとう見つからなかった。そこで、この“もったいない”という日本語を“MOTTAINAI”という世界共通語として広めようとしているのだ。我々日本人にとっては当たり前の“もったいない”に相当する言葉が他の言語になかったなんて本当に意外に思えたが、こういった点で世界に貢献できるなら何よりも誇らしい。

 ちょっと脱線するが、他の言語には訳せない日本語をもうひとつ知っている。初めてバンドでロンドンに行った時のことだ。ぼくたちは拙い英語で初対面の対バンのメンバーやお店の人に挨拶をした。まず、「はじめまして」という意味の“How do you do”を口にし、その後で日本人ならばこういう場面で必ずと言っていいほど言う挨拶の言葉を伝えようとした。ところが何と言ったらいいのか思い浮かばない。そこで、英語に堪能な日本人に聞いてみたら「その言葉は英語にはないよ」とあっさり言われてしまった。みんなで唖然としたのは言うまでもない。その挨拶とは「よろしくお願いします」だ。日本人なら手紙でもEメールでも電話でもほとんどの場合、この「よろしく…」で締めくくると思うのだが、西洋では何をどうお願いするのかはっきり言わないと分からない、曖昧なことは言わない、という理由なのだろう、訳しようがないということだった。ぼくたちは「今日はライブを楽しみましょう」とか「素晴しい一日にしましょう」という意味の言葉を伝えるしかなかった。「よろしくという英語はないんだ…」これは一種のカルチャーショックだったが、同時に日本語の素晴らしさを垣間見たような気がした。

 “MOTTAINAI”と思えるものはなにか…まずはエネルギーが浮かぶ。水や空気等の自然の恵みもそうだ。次に衣食住に関するもの、そして時間も…。ぼくたちの生活に関わるほとんどのものは“MOTTAINAI”の対象になるのではないだろうか。特に“食”に関しては何年も前から深刻だ。現在地球では8億人が飢餓に苦しんでおり、毎日25000人もの人たちが飢えが原因で死亡しているという。それにも関わらず日本では毎年2000万トンもの食糧が捨てられている。世界の食糧援助の総量750万トン(2004年)をはるかに上回る量だ。これはどういうことだ?“MOTTAINAI”の国として恥ずかしくはないのか?日本の食料自給率は40%だ。半分以上の食糧を輸入しており、その量は年間約5800万トンに達している。単純計算だが、この国では輸入した食糧の3分の1を捨てていることになる。そして、それを自覚していないというところが恐ろしい。バイキング形式のレストランやホテルで時々信じられない光景を目にすることがある。山盛りになった食べ残しだ。自分の食べられる量も分からないのか、残すことを何とも思っていないのか…。見かけるたびに哀しくなってしまう。ぼくたちは“MOTTAINAI”の国の住人としてその精神を世界に伝えなくてはならない。そして、それはこの国の先人たちへの感謝の気持ちを表すことにも繋がるのではないだろうか。

 ドイツのハイリゲンダムで開かれた主要国首脳会議(G8:ハイリゲンダムサミット)は、最大の焦点だった温暖化対策の基本目標について合意をみた。京都議定書を否定したアメリカが含まれていることに意味がある。2050年までに温室効果ガスの排出量を半減しようということになったが、まだまだ問題は山積みだ。2008年7月に開かれる北海道洞爺湖サミットが交渉のヤマ場となるようだから、我が国の首脳に期待したいと思う。こういう場でこそ存在感を発揮してほしいものだ。ここでは我々の地球の運命を託すことになる先輩方に「よろしくお願いします」と言いたい。彼らにこの言葉が通じることを願う。洞爺湖には行ったことはないがさぞや美しいところだろう。来日する各国の首脳に心があるならばその地に立つことだけでも意味があるように思えてならない。

 技術の進歩が“MOTTAINAI”の実践に一役買っていることもある。一概には言えないが、交通、通信手段の進歩はうまく使えば時間の“MOTTAINAI”を解消してくれる。車に搭載されているETCや首都圏のほぼすべての鉄道やバスで使えるようになったSUICAやPASMOだって時間の節約に役立っている。そして、医学の進歩は“命”の“MOTTAINAI”を助けることがある。科学や医学の進歩にも真剣な眼差しを向けていきたい。

 ワンガリ・マータイさんは1977年からグリーンベルト運動という植林活動も展開している。ケニアの砂漠化を防止するために始められたこの活動は、現在ではアフリカ各国に広がりこれまでに4000万本が植えられた。そんな彼女が日本で“MOTTAINAI”の次に注目したのが“FUROSHIKI”だった。風呂敷は(※もちろん包むものの大きさに限りはあるが)どんなものに対しても変幻自在に形を変えてすっぽりと包んでしまう。たった1枚の布を万能のバッグにしてしまったぼくたちの先祖の知恵には温かい遊び心があった。はるか先の子孫たちが笑顔で暮らせるように“MOTTAINAI”の心だけは失くしてはならない。

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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