<六の葉>
賀正


 新しい年になった。やはりそれだけでおめでたいと思う。何でもそうだけれど始まりというのは気持ちのいいものだ。1年は365日。言うまでもなく太陽のまわりを1周するのにこれだけかかる。この“365日”という日数は人間が日々生活するのに“区切り”としてちょうどいいように思えてならない。単にずっとこのサイクルで生活しているから、ということでは片付けられないような気がする。もし今の感覚で1年が倍の730日だったとしたらもっとだらだらして人間本来の怠け根性があからさまに出てしまうだろうし、半分の182日だったら結果ばかり気にしてバタバタしているうちに1年が終わってしまう、ということになるだろう。ましてや1年という区切りがなくて今日は73万○○日とかいうのは絶対に困る。まず物事のけじめがつけにくくなる。けじめはできることならその年のうちにつけてしまいたいと思うものだ。だが“年末”がないとすればその機会が失われて決着が延び延びになってしまうだろう。それに“年末”がないということは“年始”もないということだ。新しい年を迎えるあのなんとも言えない爽やかな気持ちさえも味わうことができなくなる。誰にとっても新年とは清々しい気持ちで迎えたいものであり、みんな新しい期待のような何かを(無意識の人も含めて)心のどこかに持っているに違いないのだ。今日がその新しい年の始まりだ。365日に一度来る自分のための祈りの日だ。毎年この日はこれからの1年を大きく眺めて少々のことには目をつぶってもいいから大胆にいこうと思える。結果として今年がかけがえのない一年になったとしても当たり前の一年になったとしても、区切りの時期を迎えた時に納得できるような年にしたいと思う。そして今年は自分のためにある!と都合よく思えるくらい前向きでありたい。

 2006年の元旦は24時間と1秒あるらしい。この1秒の正体は『うるう秒』といって標準時の基準となっている原子時計と地球の自転、公転のリズムとの間に生じる誤差を調整するためのものだそうだ。国際地球回転事業(聞いたことがない)という団体の決定をうけ、日本では独立行政法人情報通信研究機構(これも初めて聞いた。世の中には本当に多くの名も知らない団体があるものだ。)が、2006年1月1日の午前8時59分59秒と9時00分00秒の間に8時59分60秒を入れて調整するという。携帯電話の電波時計も問題なく調整されるのだろうか。時間は絶対だ、というイメージがあったがこんな風に人間が「せいの!」であわせている話を聞くと決してそうではないことが分かるし、よく考えるとうるう年やうるう秒があるなんてすてたものじゃないなとも思える。この世界の“遊び”というか“余裕”というか、この世界自体が直線ではなくゆるやかな、なめらかな曲線で形付けられているようでほほえましい。そしてがんばる我ら人間の涙ぐましい帳尻合わせと考えると更におもしろい。うるう秒の調整は1972年7月1日が1回目で前回は1999年の元旦。今年は23回目の調整だそうだ。

  BRUは今月で1周年を迎える。理想と現実の壁は厚いが想い描く“絵”がなければ一歩も前には進めない。現実の道は平坦ではない。でもそんなことは分かり切ったことで、今大事なのは無理なく焦らず歩いていくこと。時には道草したっていい。本当は遊び心満載の世界に生きているのだから。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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