<六十の葉>
ノリオの日常
ふぁっしょん(二)

 「いつからだろう。人が服を着るようになったのは…」何を着るか散々悩んだ挙句、遅刻が確定的になったノリオは電車に揺られていた。「今日は朝から疲れたな」ラッシュを過ぎた電車は空いていた。ノリオは座席にもたれながら「何で人は服を着るようになったのだろう」などとがらにもなく哲学的思考を展開し始めていた。そして、何年か前テレビで見たアフリカ大陸の地図を頭の中に思い描いた。

 その番組は人類誕生の秘密にスポットをあてていた。『かつてアフリカ大陸は広大な熱帯雨林に覆われていたが500万年前の地殻変動により大陸が隆起し標高4000m級の山脈ができた。更にその中央部が陥没してアフリカを南北に貫く巨大な裂け目、大地溝帯が出現した。その結果、高い山脈が西側の大西洋から吹き込む湿った風を遮るようになり、山脈の東側には森がなくなり草原が広がった。西側の猿たちは森で満ち足りた樹上生活を続けることができたが、東側の猿たちは草原で食料を得るために地上を2足で歩かざるを得なくなった。これが人類の第一歩となった。』というような内容だった。もちろんまだまだ仮説に過ぎないがノリオはおおいに感心したのを覚えている。「この大地溝帯の形成により草原に躍り出た勇気ある猿たちの体毛は退化…いや進化したのか?」(これは深い問題だ。簡単には語れない。)とにかく体毛は失われ肌が露出されるようになっていった。「草原では気温が高かったのだろうか、湿度に関係しているのだろうか。汗だ。汗が関係しているような気がする。それにしても歩くことと体毛が少なくなったことの間にはどんな因果関係があったのだろう」ノリオは眼を閉じて想いを巡らし続けた。

 “衣食住”と言う。人間が生きていく上で必要不可欠な3要素のことだ。“衣”はその中でも第1に挙げられている。『地震、雷、火事、親父』のように古くから伝えられてきた言葉の順番にはなにかしらの意味がある。それだけ“衣”は大切なのだろう。「“衣”には何よりも体温を守るという働きがある。人類は長い年月をかけて体毛を失くしたが、そのころの気候は“衣”の必要がないほど暖かかったのではないか。そして、何千年後かは分からないが後に“寒さ”というものに出会い、対峙したのではないか」とノリオは考えた。体毛にも残った部分がある。最たるものは頭髪だ。“毛”にはクッションの働きがある。髪の毛が脳を守るために残ったことは間違いない。あとは手と足の付け根に残る“毛”だが、これは摩擦から肌を守るためなんじゃないかな」なかなか冴えてるぞ、とノリオはほくそ笑む。「“毛”は急所を守るためにある、と聞いたことがあるが、そうだとすると左胸(心臓)や首(頸動脈・脊椎)にも毛が生えていないとおかしいことになる」(著者注:けして想像しないでください。)そんなことを大真面目に考えながら「それにしても昨今の女性の脇はすっきりとしたものだけど摩擦は大丈夫なのかな?」と素朴な疑問が浮かんだ。「これも…ふぁっしょんだよな」ノリオは納得する。

 “ふぁっしょん”とは“流行”のことを言うのだが、いつの間にか“服装”という意味でも使われるようになった。ノリオはいつになく深く思考の奧へと入っていく。「服を選ぶ時、いや着る時もそうだが人は無意識に他人の目を意識してるんだ。なぜこの服を選んだのかという問いに対し、多くの人は『素敵だから』『かっこいいと思ったから』『似合うと思うから』と答えるだろう。でも、心の奥底では他人から見て『はずかしくないか』『変に見えないか』『かっこよく見えるか』『おしゃれに見えるか』という意識が働いていることは間違いないよな。『安ければどんなものでもいい』という人だって『変に見えようがオレはどんなものでも着るよ』という逆の意味での主張があるんじゃないかな。つまり“衣”には季節に対応した体温保護の役割の他に常に自分を主張する役割もあるってことなんだ」当たり前のことのようだが、いや、当たり前のことだからノリオのようにはっきりと言葉にする人は少ない。確かにノリオが言うように人はどこかで『自分という人間をまずは見た目で評価させよう』と思っている部分がある。それは服だけではなく時計、財布、カバンのような小物から車、家に至るまですべてのものについて言えるのではないだろうか。

 ノリオは今まで出会った人の中でかっこいいと思った人たちのことを思い浮かべてみた。ノリオの頭に浮かんできたのは男女も年齢も問わず“自分を持っている人”たちの姿だった。そう考えると自信のない人ほどトゥーマッチというかアンバランスというか変に服装や持ち物でアピールをしている人が多かった。髪型を含めた服装や持ち物は職業や立場によって傾向がある。おもしろいものだ。サラリーマンにはサラリーマンの、職人には職人の、医者には医者の、スポーツ選手にはスポーツ選手の、ミュージシャンにはミュージシャンの流儀がある。これは否定できない。その職業にプライドと信念を持っている人のかっこよさに憧れて後に続く人たちがまねてきたのだろう。伝統と言ってもいい。

 ノリオは改めて身の丈に合った服装をしていこうと思った。「このグレーのTシャツもまんざらじゃないな」と悦に入ったところで電車が目的地にすべりこんだ。「課長に嫌みのひとつも言われそうだ」現実に引き戻されたノリオはつぶやいた。その時だった。「ふぁ、ふぁ、ふぁっくしょーん!!」隣席の准教授風の人が大きなくしゃみをした。まさに20億光年の孤独。

※20億光年の孤独:谷川俊太郎の詩のタイトル。同名の処女詩集に収載されている。

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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