<六十七の葉>
楽器の話(十)

 1977年9月10日、土曜日。「Lips」にとって初ライブの日がやってきた。成東高校の体育館が初ステージの舞台だ。この日は朝から晴れ渡っていた。短波長の散乱光が軽快なフットワークを見せ青空はどこまでも青い。その中を真っ白な雲が気持ちよさそうに泳いでいた。バンドの門出を祝うには申し分ない晴天だ。70年代後半の日本は今のようにロックバンドが完全に市民権を得ていたとは言い難い。だが、公立高校の文化祭でもライブが許されていたのだからバンド文化は黎明期を抜け出し着実に歩みだした頃だったのだろう。世の中も新しい文化として認めざるを得ない方向に傾き始めていたように思う。この点では10年先輩の時代とは明らかに違う。先輩たちは白い眼にさらされながら時代を繋いだ。その想いは一滴(ひとしずく)から小さな流れとなり今では日本ロック界の大きな水脈となっている。現在この国のいたる所で響いている声や音には歴史のスパイスが効いているのだ。そして、言うまでもなく60年代からミュージシャンとして生き抜いてきた先輩たちの音は一味違う。彼らが紡ぎ出すワンフレーズ、いやたったひとつの音にさえ40年という歳月のエキスがしみ込んでいる。人間としての存在感からして別物なのだ。学ぶべき点は数え切れない。

 4月から初ライブを迎えるこの日までの5ヶ月は必死だった。すべての週末をバンド練習に費やしたといっても過言ではない。6月後半からはテツロウも毎週のように顔を出すようになっていた。以前書いたように彼は背中に白いストラトを背負い50ccのバイクで颯爽(さっそう)と現れた。彼が加わるとバンドサウンドは一変した。バラバラだったサウンドに一本芯が通ったかのように「Lips」のバンドとしての立ち姿がどうにかこうにか様になった。楽器を始めて間もない他のメンバーたちが自分の音を追うだけで精一杯だということを分かっていたのだろう。テツロウは細かいことはとやかく言わずぼくたちの演奏を見守っていた。やはり大人の佇まいだったとしか言いようがない。しかし、ギターが3本鳴っているというのはどんな感じだったのだろう。今となっては想像するしかないが凄まじい音だったに違いない。あのころの練習の音をカセットテープに録音していたら…と想うと残念でならないが思い付きもしなかったのだ。あきらめるしかない。

 朝から何となく地に足が着いていなかったぼくたちは初めて迎える高校の文化祭の賑わいに飲み込まれまごついてぎこちなかったが、慣れてくるにしたがってふわふわしていた心も少しずつ落ち着きを取り戻してきた。昼食が終わるとぼくとミコト、そしてコウチの3人は校門でカッツを待った。カッツの学校は九十九里町にあったため、半日の授業が終わってから来ると成東高校に到着するのは午後1時半ごろになるはずだった。ぼくの手にはクラスメイトから借りた学生服が握られていた。規則では他校の生徒は出演できないことになっていたのでそれをかわすためにぼくたちが考えた苦肉の策だった。『校内に入る前にカッツに着せなければ…』学生服一枚で先生の目をくらまそうとするとは田舎の高校1年生、やることが微笑ましい。ばれたのかばれなかったのか…後で聞いてみると普段は厳しい先生たちもこの日ばかりは見て見ぬ振りをしてくれたようだった。カッツもぼくもこの時の光景はよく覚えている。カッツの姿を見つけた時、待っていたぼくたちは意味もなく飛び上がった。

 『今日こそ猛練習の成果を見せる時ぞ』メンバーの燃え方は尋常ではない。この日を目標にがんばってきたのだ。当時の学園祭には近隣の学校からかなりの人数が集まった。文字通り“祭”だったのだ。体育館にもたくさん(少なく見積もっても500人以上はいたと思う)の人が集まり熱気が渦巻いていた。いよいよ「Lips」の出番だ。ぼくたちはステージに上がった。クラスメイトがぞろぞろとステージ前に集まってくる。中学校時代の友だちの顔がいくつも見える。1年生バンドがめずらしかったのか上級生たちもぞくぞくと集まっている。担任の先生も、入学してからずっとバレー部に誘い続けてくれたG組の熱血先生も、ちょっと気になるE組のアミちゃんもいる。『ここで燃えないでいつ燃えるんだ。やるぞ!』もう迷いはなかった。アンプにシールドを差し込み音を確かめる。音が出るのを確認するとなぜか1曲目に演奏する曲を弾き始める。それぞれがバラバラにだ。みんながひとしきり音を出すといよいよだ。カッツのカウントに合わせて1曲目が始まる。ミコトもコウチもカッツもぼくもテツロウさえも必死だ。ぼくはベースを弾き歌った。曲が終わった。ものすごい拍手だ!喚声だ!『やった!』MCで何を話したかは覚えていないがここでもまたみんなバラバラに2曲目を練習し出した。そしてカッツのカウント…。すべての曲がそうだった。1曲終わるごとに次の曲をみんながそれぞれに練習し出すのだった。そこまで普段の練習通りにやらなくてもよかったのにとおかしくてたまらないが、ベースを持っての初ステージにはいい印象しか残っていない。この日の衝撃がその後のぼくの人生に大きな影響を与えたことは言わずもがなである。

 順番は忘れてしまったがぼくたちが演奏したのはBeatlesの「I saw her standing there」「All my loving」「She loves you」、Bay City Rollersの「I only wanna be with you」、KISSの「Hard Luck Woman」の5曲だった。その数時間後だったか、次の日だったか、これも定かではないが「Lips」は成東高校の視聴覚室で2回目のライブを行った。2度目のライブも大成功に終わったが、このライブが「Lips」のラストステージになってしまった。(つづく)

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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