<七の葉>
八犬伝


 1月も1週間を過ぎると落ち着いてくる。この正月は3日間ゆっくりと過ごした。雑煮、御節等、正月にしか食べないだろうものを食べてテレビでは『里見八犬伝』を見た。南総安房が舞台だからエッセイの参考になるかなという気持ちもあった。この話は江戸時代後期の作家曲亭馬琴が三国志や水滸伝のような話を書きたいと思ったことに端を発している。あらすじを簡単に。室町時代中ごろの物語。安房の領主里見義実(よしざね)の娘、伏姫(人と犬で伏)はかつて義実によって処刑された玉梓(たまづさ)の呪いによって飼い犬の八房(やつふさ)と夫婦となる。ある日伏姫は仙童に「八房の子ができている」と告げられ「身に覚えがないのに」と思いつめて自害する。形ある子ができていたのではなく“気”だけの子ができていたのだ。伏姫が持っていた数珠の八つの珠に『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』の文字が浮き出て“気”とともに空高く飛び上がり八方に散っていく。数年後にその珠を持つ八剣士が集まり里見家の存亡をかけて戦い、劣勢をはねのけて勝利するという話だ。八剣士はそれぞれが城主となり里見家の八人の姫と結ばれる。勧善懲悪のこの物語は当時生活に苦しむ人々の喝采を浴びた。馬琴、48歳から76歳まで28年間の力作、98巻106冊に及ぶ。

 この物語は“八つの珠”、“八人の剣士”というのが味噌だ。どういう訳か人は、特に男はこういった“限定された少人数が活躍する話”に憧れる。『七人の侍』がそうだし『サイボーグ009』がそうだ。個性の違った数人が力を合わせて目的を達成するところに爽快感がある。単純にカッコイイのだ。バレーボールの6人、野球の9人、サッカーの11人もまったく同じだ。ここで重要なのがバランス。エースアタッカーやストライカー、4番打者だけが集まっていたのでは意味がないし絶対に勝てない。違ったタイプを揃えた集団はひとつの生物のように機能し始める。個性と言ってしまえば簡単だが、それぞれの選手が性格を含めた持ち味や特色を発揮してお互いをカバーし合う。更にその日の調子の善し悪しに応じて補い合うこともできるようになる。だからこそおもしろい。さらに監督はそれらの人々を適材適所に配することができるかどうかで評価される。

 ここでもう一つ思い浮かばないか?そう、“バンド”である。バンドのメンバー構成にも同じことが言える。バランスが大事であり、いいバンドほどメンバーの顔がはっきりと浮かぶ。ビートルズしかり、ツェッペリンしかり。会うべくして会った仲間が結束して同じ目標を目指し歩き始める。そのバンドはそのメンバーでしか存在しえない。オリジナルメンバーのすごさはそこにある。大げさに言うと世界中にある数え切れないバンドにそれぞれの“八犬伝”があるということだ。こう考えると自分たちのバンドにより深い愛情と誇りが持てる。その気持ちも大切にしていきたい。

 また、里見八犬伝に影響を受けていると思われる作品はたくさんある。犬と竜の違いはあるが、鳥山明の『ドラゴンボール』がここから着想を得ているのはあきらかだし、球一、球二に始まって球九郎までの9人の超人が、それこそ超弩級の試合を展開する70年代の名作漫画『アストロ球団』(遠崎史郎、中島徳博)もそうだ。こちらは皆が同じ痣を持っているというところまで似ている。

 馬琴が憧れた三国志。僕は学生時代に吉川英治版を読んだ。血沸き肉躍る話とはまさにこれをいうのだろう。昼夜に関わらずむさぼり読んだのを覚えている。更に柴田連三郎版、陳瞬臣版、駒田信二版、最近では北方謙三版も読んだ。それぞれ面白かったが(時代もあったろう)最初に読んだ吉川版のイインパクトには敵わなかった。横山光輝の漫画は吉川英治版を忠実に画いている。
 
  3人、4人、5人と、人数は違っても、どのバンドにも運命的な出会いがあったに違いない。その出会いが新しい音を生み出していく。素晴らしいことだ。僕らミュージシャンにとって、バンドとは本当にかけがえのないものだと改めて思い起こさせてくれた正月の里見八犬伝であった。

(C)2006 SHINICHI ICHIKAWA
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