<七十一の葉>
短編小説
『ジャックとむらっ気』

 「オレはもうだめだ…」ジャック時田はしぼり出すようにつぶやいた。そして、もう一度決意を確かめるかのように強く言い放った。「辞める!」倉庫の2階にある20帖ほどの部屋は一瞬にして凍りついた。「そ、総長!」続ける言葉も見つからずに副総長のロック大岩はジャック時田をただ見つめている。ロック大岩の隣では折りたたみイスを蹴倒して立ち上がった参謀のフランク小川が唇を噛んだまま動かない。ふたりはそのまま立ちつくした。3人の首脳、10数名の幹部が一同に会するこの日の定例会議はまったく予想だにしなかった結果となってしまった。2007年の11月4日は比較的暖かかったが、割れたガラス窓から吹き込む風が冬の足音を感じさせた。

 『なんてこった。ここまでの苦労が水の泡じゃねえか』『もう少しでパープルキングの牙城を崩せるかもしれねえってところにまで来たのに…』『この人の悪い癖がでちまったなあ…』『犯極露死の命運もこれまでか…』ロック大岩とフランク小川は総長であるジャック時田の突然の引退宣言に戸惑いながらも先のことを考えなければならない立場にいた。いや、今すぐに手を打たねばならなかった。幹部たちは唖然としたまま地元へと帰って行った。夜の8時には定例会議の報告をしなければならない。報告はホームページとEメールを使って行われていた。ホームページの動画にはジャック時田自身が必ず登場し、全メンバーに対し定例会議の結果を伝え日々の活動を鼓舞するのが通例となっていた。2年前、事故で顔に重傷を負った時でさえ中継したのだからジャック時田が顔を出さない理由など作れるはずはなかった。幹部たちにも口はある。ごまかすことなどできない。フランク小川は爆走家としてすべてを正直に語り伝える決心をした。動画には自らが出演し総長の言葉を伝え全会員に向けEメールを一斉送信した。

 ジャック時田は南関東をほぼ手中に治めた爆走族“犯極露死”の総長として絶大なる信頼と統率力を誇っていた。彼はロック大岩、フランク小川らと共に南関東に点在していたいくつかの中堅爆走族をまとめあげ、関東全域を勢力圏にしていた“パープルキング”の単独独占を脅かすまでのグループを築き上げた。その手腕から豪傑の名をほしいままにし、彼ならいつかは関東に覇を唱えるであろうとまで言われていた。今や犯極露死は関東ではパープルキングに次ぐ第2の勢力を誇り、この9月に行われた関東の爆走家の晴れの舞台“関東頑晴爆走大会”では、マシンの技術や技能を争う12の競技のうち5つの部門で優勝を飾ってパープルキングの連続完全制覇を阻んだ。その結果、念願の“2大勢力拮抗”達成目前かと思わせるほどの躍進をみせた。ジャック時田の引退宣言はその矢先の出来事だったのだ。

 ジャック時田の引退宣言には訳があった。定例会議の前日、ジャック時田は大きな決意のもとパープルキングの新ヘッド・シャーク村上と極秘会談をしていた。この会談のことを知っていたのはロック大岩とフランク小川のみだ。ふたりは総長の意を汲みすべてを一任した。ジャック時田はシャーク村上との共闘路線を模索したのだった。『関東で覇を争っている暇はねえ。今、“東北連合”や“中部爆走連盟”等、関東を取り巻く情勢を考えたら関東人同士で争ってる時じゃねえんだ』関東の爆走家たちの集まりである関東爆走評議会は大きな問題を抱えていた。日本における爆走界の安定を図るために決められていた協定の期限が迫り、その延長を巡って賛成派と反対派が激しく対立していたのだ。パープルキングは結論を急ぎたかった。すぐにでも延長を宣言したい。それに対して犯極露死は意見がまとまらない。賛成するものもいたがほとんどはパープルキングに対する反抗心から延長反対の立場を取っていた。「宿敵と手を組めるはずがねえじゃないか」若手の突き上げは激しい。それでもジャックには自身があった。『みんな必ずオレに付いてくるはずだ。オレに逆らう野郎がいる訳ねえ』
 
 シャーク村上との会談は予想以上にうまく運んだ。合意だ!しっかりと握手をして『あとは犯極露死をまとめるだけだ』彼は意気揚々と引き上げた。しかし…定例会議で彼の提案は無下に否定された。「総長、何言ってんですか!」「そりゃあねえじゃねえですか」猛反対の声にロック大岩とフランク小川すら口を挟めない。「ふざけんじゃねえ…」ジャック時田は当然カチッときたがその前に誇りと自信が吹き飛んでいた。ショックだった。『オレの力ってこんなものだったのか』『ちくしょう、辞めてやる』そういう意味ではジャック時田も“ただの人”だった。自分の思い通りにいかなかったというだけで立場も忘れてしまった。まるで駄々をこねた子供だった。それだけではない。何を思ってか「犯極露死には関東をまとめる力はまだない」と批判までしてしまった。

  ジャック時田の言葉は日本中を駆け抜けた。犯極露死やパープルキングのメンバーだけではない。国中の爆走家の耳に届いた。「何で今?」「どうして〜?」という困惑の反応に混じって少なからず「またか…」という声があった。ジャック時田は過去に新しい組織を作っては壊すということを数回やっていたのだ。きまぐれな面があると言っていい。引退宣言ニュースが発表された当初は『ジャック時田の“わがまま引退”は受理されるだろう』『新しい総長は誰だ』という話で持ちきりになったが、1日経つと状況は一変した。犯極露死の幹部みんなが引き止めに回ったのだ。傍で見ていた人々はいぶかしんだ。『何やってんだい。ガキの喧嘩じゃあるまいし』それでもこの問題に興味のある人のほとんどは『あそこまで言ったんだ。どんなに慰留されても辞めるだろう』と思っていた。

 「不器用で口下手なオレを許してくれ…」「もう一度がんばりたい」3日後、ジャック時田は涙をためながら小型カメラの前に座っていた。動画を見つめる爆走家たちの心中は複雑だった。豪腕振りはすっかり影をひそめその顔はあきらかに覇気がない。何をどう説得されたのかは分からないが『ジャック時田が側近だけを連れてパープルキングに走ったら大変なことになる』という危機感を抱いた犯極露死幹部が必死に説得したようだ。これでは狐と狸の化かし合いだ。いやそちらの方がよっぽどましだ。もし、この話が本当だとしたら犯極露死の隆盛は長くは続かないだろう。引き止めた側も留まった側も少しは歴史を勉強した方がいい。このような場合、復権した人が以前より力を発揮した試しはない。近い将来彼はリーダーを退き新しい力に後を託すことになるだろう。

 この物語とまったく同じような出来事はありとあらゆる場で起こっている。保育園の庭で…国政の舞台で…どの世界にも例外はない。そして、我々の中にも彼らとまったく同じ感情が潜んでいる。(完)

(C)2007 SHINICHI ICHIKAWA
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